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69歳のいまでも「なぜ、社会がこうなっているのか」がわからない。世間の本音やほんとうのことが知りたい。ネットは玉石混交だけれど、検索して調べてみます。訪問していただいて感謝しています。ありがとう。m(__)m

『経済で読み解く織田信長』まとめ1

 おはようございます。

 時々、焼酎を思いっきり飲みたくなるのですが、昨夜がそんな日でした。

 少し二日酔いです。

 夜中に何度も目が覚めたし……夢は見なかったけれど……

 やはり欲望に溺れてはダメです。反省しています。

 今朝、5時になっても、まだ暗いのです。曇りの天気だからか。

 

 

 

 

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 『経済で読み解く織田信長』を読んだのでまとめます。

経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する

経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する

 

目次(章のタイトルだけ)

序に代えて ~お金の流れで「歴史」を読み解く

第一部 中世の「金融政策」と「景気」

 1章 明の景気が日本経済を左右した時代

 2章 室町幕府の財政事情

第二部 寺社勢力とは何なのか?

 3章 老舗「比叡山」VS新興「京都五山

 4章 京都五山のビジネスと本願寺の苦難

第三部 武将と僧侶の仁義なき戦い

 5章 信長の先駆者たち

 6章 「一向一揆」とは何か

第四部 信長は何を変えたのか?

 7章 信長の本当の業績

 8章 信長の活躍が日本を救った!

あとがき 

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「序」に、こう書かれています。

経済の掟

  1. お金の量が多ければインフレになる。
  2. 量が減ればデフレになる。
  3. デフレになると自国通貨高になる。

 

 適当なインフレ(財政出動)で、経済は活性化する。

 民間の市場のお金を吸い上げる(増税や民間金融機関の国債買い)で、デフレに向かう。

 

 経済とは――お金の量である。

  • デフレになると債務は膨れ上がる。
  • そうなればインフレにして、借金の実質的価値を目減りさせる必要がある。

 

 

第一部

1章 ( 日本は江戸時代まで、自国の通貨がなかった)

 宋や明の銅銭をそのまま通貨として使っていた。

  • 室町時代は、寺社勢力が明との貿易の担い手であり、金融機関の働きをしていた。
  • 銅銭一貫の価値は、支那に比べて、7倍ぐらいの米が買えるほどの差があった。
  • 銅銭が貴重でありデフレ状態だった。
  • 自国通貨が発行できなかったので経済のコントロールは難しかった。

 

  明朝がやっていたことは支那を中心とした多国間の「国際貿易秩序」の構築でした。(P[43)

 

  • 明がやっていた朝貢貿易
  • それが原因で明は財政難に陥った。
  • それで不換紙幣「大明宝者鈔」が発行されたが、名目レートの価値に及ばなかった。

 こうして明は滅びることになってしまいました。経済が上手くいかないと、国は滅びます。

 

 P60~には「国際金融のトリレンマ」が解説されています。トリレンマとは「この3つのうち2つを達成すると残りの1つは達成できない」という経済法則です。

  1. 固定相場制
  2. 金融政策の自由
  3. 資本取引の自由

 

 

 2章 室町幕府の財政事情

 義満は1401年、明の皇帝に対して臣下の礼を取って日本国王に封ぜられ、「日明貿易」を開始します。その結果、大量の銭貨が流入し日本の貨幣経済は大いに潤いました。歴史の時間に「足利義満の頃に北山文化が栄えた」と習ったことの背景には、「マネタリーベースの増加」という経済現象があったのです。(P67)

  •  明との貿易(銅銭の量)によって室町時代の経済は左右された。
  • 義満が死ぬと、4代将軍義持は明との貿易を止めてしまう。経済の不調は、国内の反乱につながった……
  • 6代将軍の義政は明貿易を再開するが……その頃は明の力は衰え、朝貢を制限するしかありませんでした。
  • そういう国際事情から、室町時代はデフレの時代だったのです。
  • 景気が低迷すると、人は自暴自棄になり、反乱や戦争につながります。

 

第二部

 3章 寺社勢力

 寺社勢力とは貿易に精を出す商社であり、荘園を持つ不動産オーナーであり、土倉や酒屋といった町の金融業者に資金を提供する中央銀行でした。

 比叡山天台宗)は巨大な権力を持っていました。

 それに立ち向かったのが京都五山臨済宗)です。

 本願寺浄土真宗)や日蓮宗は遅れてきた新興勢力としてありました。

 

  • 臨済宗の始祖栄西と良弁(天台宗)との対立があった。朝廷の裁定の場での反論は――「興禅護国論10門」に詳しい。
  • 栄西博多湾岸の土地を将軍から下賜される。そこに聖福寺を建てる。(1195年)
  • なぜ天台宗臨済宗は争ったのか。宋との貿易の利権を巡ってである。臨済宗が交易から得た資金によって鎌倉幕府は支えられた。寺社勢力というのは現在でいう経済マフィアなのです。
  • 交易によって持ち込まれる銅銭が経済を活発化させた。

 

 歴史にもマネタリーベースが基盤という発想が必要です。通貨量が増大するとインフレ基調になって経済は活発化する。

 

  • 大和一国に守護権を持つ興福寺=春日社と、近江の大半に巨大な荘園を有していた延暦寺との対立があった……
  • 五山の禅寺が官寺となって以来、五山の荘園は増加していきました。禅僧は新興の領主階級となって、そこからあがる利益は鎌倉幕府キックバックされました。政治権力との癒着です。

 

 比叡山にとって琵琶湖はシーレーンでした。関所を設け、通る船から通行料をとって、莫大な利益をあげていました。

  • 1345年延暦寺山門僧の強訴事件が起こります。これは新興勢力の禅寺との対立が表面化したものです。
  • 1367年には南禅寺楼門撒却事件が起こります。北陸に多くの荘園を持っていた五山が物資を運ぶために、比叡山の領地である近江を通らねばならなかったのが対立の原因でした。縄張り争いのようなものです。
  • 康暦の政変」によって、それは五山側の勝利に終わりました。義満の時代は、五山が支那との貿易で得た利益で幕府を支えました。それは応仁の乱まで続きました。 

 

4章 五山のビジネス

 P128~130は、五山の金融ビジネスが解説されています。当時の金融利権(利子の様子)が図によって説明されています。

 またP131~は五山の「総資産」を石高で推定しています。

 

 P134は荘園の代官業務を代行する「東班衆」について解説されています。米が不作で手数料の米が採れないと、領地が奪われてしまう。まるで悪質な金融業者のようなものです。

 

 この章では本願寺比叡山の対立が書かれています。いつの時代も新興勢力は既成の勢力に叩かれる。比叡山の僧兵はいまでいう暴力団のようなものと考えればわかりやすい。

 初期の本願寺は襲撃される側でした。

本願寺の歴史 - Wikipedia

 

 比叡山という古い利権と、新興の寺社が作っていく新しい利権との対立、戦い。

 歴史は階級の闘争であるとともに、経済の利権の奪い合いでもあります。

 

           *            *

 

  寺社勢力がヤクザであり、経済マフィアの側面を持っていたということは、本質を衝いていると思いました。こういう直截なことは、いままで誰も言わなかった。

 歴史の表面に表れるのものは「利権」を代表しているのです。

 

 次回は第三部からまとめます。

 

 

 

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       リンクを貼らせていただいたサイトの方にお礼申し上げます

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   読んでいただいて、ありがとうございました。

   すべて穏やかで、誰もが幸せでありますように。