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69歳のいまでも「なぜ、社会がこうなっているのか」がわからない。世間の本音やほんとうのことが知りたい。ネットは玉石混交だけれど、検索して調べてみます。訪問していただいて感謝しています。ありがとう。m(__)m

『経済で読み解く明治維新』を読む 2

 おはようございます。

 大阪の夜は蒸し暑くて……寝苦しい。いつもの夏のように蚊帳を吊って戸を開けて寝ています。もう少し湿度が下がってくれたら心地よいのですが……

 

 世間では愛知県のトリエンナーレ展のことが話題になっています。

 展示した側は〈反日〉の思想を持っているのでしょう。それはいいけれど、「これが正しい」と押し付けてくる偏狭さを感じます。反日の人にとっては人生をかけた生きがいなのでしょうからしかたないですが。

 相手を不快にするようなことは、共感も感動も呼びません。アートは相手を貶めたり不快にしたりするものではない。物事の新しい視点を指し示すものです。

 展示されたものは、たんなる「反日プロパガンダ」をアートと自称しているだけです。

 税金が使われているのが異常です。

 役所のなかに「反日が正しい」と考えて実行する人たちがいるわけです。

 税金を使って日本を貶めてもらわなくても、十分、日本は中国や韓国から貶められているのではないですか。この展覧会は、日本を分断し混乱させるのが目的のようで、それは達成されました。

 

 生きるのは一筋縄ではいきません。静かで強くなくては…… 騒々しさに負けてしまいます。

 

 

 

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  第2部から読みます。

 

 

目次(章のタイトルだけ)

まえがき

第一部 飛躍的に発展していた「江戸時代の経済」

 第1章 「貧農史観」を捨てよ!

  Ⅰ 絶対に笑ってはいけない、歴史教科書24時

  Ⅱ 〈真実の江戸時代〉を検証する

 第二章 なぜ江戸時代はいつも「財政難」なのか?

  Ⅰ 江戸幕府の懐具合

  Ⅱ 「成長重視派」VS「財政規律派」

  Ⅲ ぬるま湯を許さない国際情勢

第二部 資本主義を実践していた「大名」と「百姓」

 第3章 大名と百姓のビジネス

  Ⅰ 江戸幕府のユルい政治力

  Ⅱ 「平和」が経済成長の大前提

  Ⅲ 江戸時代の実業家

 第4章 借金苦に喘ぐ大名、アイデアに溢れる商人

  Ⅰ 「流通」の発達

  Ⅱ 借金まみれの幕府と大名

第三部 なぜ江戸幕府は〈倒産〉したのか?

 第5章 「民間の活力」を生かせなかった江戸幕府

  Ⅰ 限界を迎えた「石高制」

  Ⅱ 薩摩と長州の藩政改革

 第6章 「明治維新」に必要だった、薩摩藩の〈リアリズム〉と長州藩の〈狂気〉

  Ⅰ 「薩長同盟」の経済的背景

  Ⅱ 「貨幣制度」の混乱と「円」の誕生

あとがき

 

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 元禄、元文、文政の江戸時代の好況には必ず「貨幣の改鋳」という「金融緩和」政策がありました。

 逆に「寛政の改革」や「天保の改革」は緊縮財政政策をとったため、デフレ不況に陥りました。まだ資本主義の理論もわからなかっので、経済政策は偶然に左右されることが多かったのです。

 

3章
  • 経済は(身体)で、政治は(衣服)です。ぴったりとして身の丈に合い動きやすいことがいちばんいい。
  • 1628年には「奢侈禁止令」が出されています。江戸時代に入り、平和になり豊かになったと推察されます。
  • 家光の時代に金銀の産出はピークを迎えました。
  • 金本位制なので、貨幣が鋳造できないとデフレ不況に陥ります。

 

江戸時代の借金の仕方――P128

① 質入借金型(百姓、小市民)

② 書入借金型(寺社、武士、上級市民)

③ 無担保借金型(上級武士、大名) 

 

  三井高利は兄の呉服屋で修行して、金融業で成功します。しかし大名貸しが極めてリスキーなことに気づき、1673年に呉服屋を始めます。これが有名な越後屋です。越後屋の商法は町民を相手にするという斬新なものでした。

 その頃、大名は次々とデフォルトしました。大名は幕末にかけてずっと莫大な借金を抱え続けることになります。その様子はP129~137で解説されています。

「町人考見録」に登場する55人の豪商のうち、過半数以上の30人が大名貸に失敗して破産しています。大名たちは借金の返済ができなくなると、しばしば「お断り」してくるからです。(P132)

 

 

4章

 経済が発展すると運送業が盛んになります。川村瑞賢は幕府の委託を受けて東回り航路を整備しました。これは経済を支えるインフラとなりました。――P147

 

 生産性は向上して、江戸時代の人口は1000万人から3000万人に増えました。

 しかし、1700年からは間氷期に入り、たびたび大きな飢饉に見舞われました。

 米相場は高止まりします。

 被災地に米を運んで、莫大な利益を上げる者も出てきました。初期資本主義が完成されていきます。

 P157~165は、民間の海運業の発展を描いています。

廻船問屋「右近家」と「内田家」――P157

船問屋 - Wikipedia

「海外貿易」の草分け、銭屋五兵衛――P161

 

 一方、幕藩体制は家格という身分制に縛られていて、才能ある人物が登用されませんでした。また幕府の徴税権が全国に及んでいないことも構造的な欠陥でした。

 P169~177では幕府の危機管理の政策が書かれています。各藩に出された「手伝普請」は諸藩の財政を圧迫し、これが原因となって明治維新へとつながっていきます。

 

 

5章

 民間の経済の拡大は幕藩体制を揺るがすことになります。幕府の改革は失敗し対応しきれなくなります。政治は門閥主義、財政は石高制、貿易も制限しているので、経済発展について行けません。経済(身体)と政治(衣服)の乖離が進みます。

 

 米の生産性が上がると、石高制で米を給料としてもらっていた武士階級は、相場が下がることによって追いつめられます。幕府の米の相場を高く維持する政策は失敗しました。

 そのことは『限界を迎えた「石高制」』(P181)で解説されています。

 つまり、米を年貢として取る徴税システムが時代に合わないものになったのです。幕藩体制はデフレ・レジームだったのです。

 

 解決する方法――それがP190~203に解説されている『藩札という切り札」の項です。これによって諸藩は不完全ながらも貨幣量をコントロールすることで財政再建をすることができたのです。

 


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薩摩と長州の藩政改革――

 P204~216は、薩摩がどのように商人からの「借金を踏み倒そう」としたか書かれています。

 砂糖の専売や貿易での儲けは島津家につけ、借金とは別会計にします。そうなれば借金はいくら増えてもいいのです。どうせ、払えないのですから。

 

 長州藩の藩政改革は、基本的に薩摩藩と同じやり方です。

 長州藩と毛利家を分離し、長州藩に債務を押し付けて、キャッシュを産む事業は毛利家に付け替えます。大っぴらに毛利家に付け替えると領民や武士たちの反発が予想されるため、長州藩では「撫育方」という特別会計を立ち上げて表からは見えにくいように分社化が実行されました。(P212)

 

 

 

「為替レート」が致命傷になった江戸幕府――

 P217~235は、日米通商条約での間違ったレートの考証です。当時は金本位制だったので、貨幣に含まれる金の含有量をどう計算するかでレートが変わってきます。

 当時の勘定奉行には貨幣制度についての知識はありませんでした。

 そのため、外国貨幣と交換する過程で、日本の金が海外に流失することになります。

 P224には、どのようにして流失したか、その仕組みが解明されています。

 

 

6章

薩長同盟」の経済的背景――

 薩摩はなぜ長州と手を結んだのでしょうか、謎です。

薩長同盟」を結び、長州藩は鉄砲と引き換えに米を渡す、という取引でしたが、薩摩藩は米を受け取りませんでした。幕藩体制はもうダメだ、という思いがあり、共同して幕府を討つために長州藩に有利にしたようです。

 

 P244は「田園化する長州」という項目で明治期の長州を検証しています。維新の原動力になった長州の殖産興業の経過です。

 ウェーバーの論文では「工業化の前にプロト工業化という」段階があるそうです。

 明治時代の末までみれば、山口県は工業化に失敗したと……書かれてあります。

 (このへんは専門的な話なので、あまり興味が持てなかった)

 

 

『 「貨幣制度」の混乱と「円」の誕生』の項は、明治の太政官札の話です。太政官札は信用がなかったので、1871年に「円」が登場しました。これは当時のグローバルスタンダードだった金本位制と国内の通貨を連動させるものでした。

 この頃は米相場が極端に下がっていたので、円の発行はデフレに対する対策でもあったということです。

 

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感想です―― 

 3章からは統計のグラフも利用され、経済の内容が解説されます。

 江戸時代の経済のあり方が具体的に描かれています。それで、よくわかりました。

 経済の側面から歴史を見るということは新しい視点です。

 教科書に書かれている出来事をただ覚えるだけではなく、疑問を持ったら自分で考えて答えを探してみることが大事だ、とわかりました。歴史はおもしろい。

 

 

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       リンクを貼らせていただいたサイトの方にお礼申し上げます

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   読んでいただいて、ありがとうございました。

   すべて穏やかで、誰もが幸せでありますように。