日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

69歳のいまも……人生、後悔することばかり。世の中がなぜこうなのかもわかっていない。世間には本音と建前があるのは知っているけれど……ほんとうのことを知りたい。WEBは巨大な辞書で、玉石混交ですが、検索してみます。訪問していただいて、感謝しています。ありがとう。

『慈しみに満ちた人、ブッダ』を読んで

 おはようございます。

 今朝は寒い。大阪市生野区の天気予報をみると、6時で1.8度になっています。それぐらいの気温なんだ。

 朝はいつも目薬を差し、痛風の薬を飲みます。顔を洗い、お茶を飲み、ひげを剃り、体操をします。

 昨日は雨模様だったけれど朝に洗濯をしてしまった。

 老人で仕事もしていないけれど、やることは多い。食事も自分で作るし。お酒も飲まなきゃならない。(^^)/

 健康なのがいちばんです。

 

 NZで白人至上主義者の犠牲になった多くの人々のご冥福をお祈りいたします。

 何を考えてもいいけれど、やっていいことと悪いことがある。

 人を殺した者には罪の意識を感じて欲しい。

 移民に反対する保守政治家に卵を投げつけるのもだめだ。弁論で勝負しないと。

 何を考えてもいいので、〈どんな行為をしているか〉が大事です。

 

  

   

…………      …………      …………      …………

 

 

  巻末に書かれている著者紹介――著者は奈良で茶業を営みながら、若い時から原始仏教の本を読み込んでいたそうです。

ブッダの言葉集」といってもいい。ブッダの言葉や初期仏教への思いをエッセイにしたものです。

 

 わたくしは若きときより、歴史上のブッダは何を説かれたかを知りたくて研究を重ねてまいりました。原始仏教の研究には多くの碩学がおられ、ブッダのことばを伝えるものとして『阿含経』があります。北伝には漢訳『阿含経』、南伝には『南伝大蔵経』、また中村元博士の書物などがあります。わたくしはこれらの書物から人生上の幾多の教えをいただきました。(P2)

 

 

目次

まえがき

第一章 ブッダの苦難に満ちた生涯

 1 苦しみを知る

    誕生と少年期 出家を決意する 苦行を捨てて菩提樹の下で禅定に入る

    梵天を勧請する 提婆達多の反逆を受ける カピラ城が滅亡する

 2 死を前にして

    ブッダ、最後の旅に出る ベールヴァ村での教訓

    ヴェーサーリーの重閣講堂で死別の遺訓を述べる

    バンダ村で戒・定・慧・解脱を説く ボーガ市における四大教示

    号泣するアーナンダへの遺言 臨終の言葉 遺体の火葬

    戒律を巡るブッダ死後の混乱

第二章 ブッダの教えの神髄

 1 自分の心と向き合う

    正しい心 慈しみの心 戒と定と慧 慚愧の心 憐れみの心

    遠くへの慮り 愛欲の業を知る 敵意なき心

 2 自己を知り自己を磨く

    自己こそ自分の主 欲望の抑制 自己を磨け 解脱への道 

    自利利他のために行う 父母を尊ぶ 守護とは

 3 戒めを胸に

    在家の五戒 四つの難いこと

 4 幸せでありたいなら

    こよな幸せ 破滅への門 なまぐさの克服 この世の最上の富とは

    安らぎ

 5 業は不滅

    いかなるものも隠すことはできない 業のちから 因縁

    運命は変えられる 行為が運命を左右する

 6 日々を新たに

    健康・足るを知る・信頼 怒りと忍耐 幸せへの門 苦しみが嫌なら

    正しい見解 リーダーたるもの 無借金の楽 類は友を呼ぶ

    貪と瞋と癡を去れ 無常・苦・空と我ならざるもの 自業と自得

    真の愚は賢なり 子は親の財ではない 後悔 悟り 忍耐と堪忍

    道理の実践 徳行のちから 信仰と智慧 暗黒からの脱出 救い

    灯明を求めよ 予言

第三章 ブッダ、未来の教え

 1 信としての仏の信仰

    仏への不壊浄 正法を伝承せよ 如来を敬礼すべし

    法の相続者たれ、財の相続者たるなかれ

 2 未来を開くために

    無量心と四摂事 樫しむ心と貪りの心を滅し施しをなせ

    自ら清浄の人であれ 悪行をなすも悔い改めるならばその罪は微薄

    福聚に積まれた財宝は滅せず 慈・悲・喜・護心と布施は平等の法

    生まれを問うことなかれ 利義をもたらすかどうかを考えよ

    古道の輝き 光の人生と闇の人生 人の恩を忘れない 悟りの道

    すべての人、生きとし生けるものたちに慈しみを

あとがき

 

              *            *

 

 その時の気持ちと、ブッダの教えが書かれているので、わかりやすいです。

 詩句の番号が書かれていません。ダンマパダの言葉なのか、スッタニパータからの言葉なのか、他の経典の言葉なのか不明です。でも「ブッダのことば」ということでいい。

 

 

 興味深かったトピックを取り上げてみます。

 

正しい心

 世界は心で作られていると仏教は考えます。正しい心でいれば、正しく動いていく。

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛の)足跡に車輪がついて行くように。

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。――影がそのからだから離れないように。

 

  他人が自分にひどいことをすれば、その人を憎み、怨み、仕返ししてやろうと思ってもしかたありませんが、そう思う心が自分を害します――そうP57に書かれています。

 ぼくもそうだと考えます。

 他人が自分を騙したり、ひどいことをするのは、自分のせいではありません。他人がかってにやっていることです。その人の業が表れたものでしょう。

 その人が愛しくて親しいと思うのなら、そういうことを止めてもらった方が自分は心地いいのだと説得すべきでしょうが、他人なら……他人がかってにやっていることです。そういう人だから、そういうことをしているのです。

 なるべく関係を避けるべきです。

 他人は他人。自分は自分です。

 

慈しみの心

 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに苦痛を与えることを望んではならない。

 

 著者はブッダの思想を貫くものは慈しみの心だといいます。

ブッダはいかなる場合にも、人に慈しみの心で接した人でした。……それは「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし」とのことばによく表れています。母親は自分の子供を命を懸けて守ります。それで子供はその母の愛によって信頼関係ができ自立して立派な子に育ちます。ブッダはそう考えて、慈しみの心をすべての人に広げようとしました。(P58)

 

  慈愛の心……それをすべての人に当てはまるのは無理でしょうが、理想はそうあるべきです。少なくとも自分の身近な人にはそうあるべきです。

 この世で、身近で関係を持てる人はそう多くはいない。家族や親友は大事です。優しく接すれば、優しさが返ってくる。

 ぼくのような人間がいうのはなんですが……

 

敵意なき心

 著者はこう書いています。

 人間関係は複雑です。心を開いている人もいれば、そうでない人もいます。心を開いている人はその心が理解しやすいですから、人間関係を上手に維持できますが、心を閉じている人とは、人間関係を保つのに苦労することが多いものです。そういう中にあっても、常に自分の心は平静でありたいものです。大きな人間になりたいものです。(P65)

 

 ブッダのことば――

敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあっても心おだやかに、執着する者どもの間にあって執着しない人、――かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。

  ここでの「バラモン」は正しい人の意味でしょう。当時の支配層のバラモンは腐敗し、道徳もなかったようなのです。

 

 

四つの難いこと

 では、

人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。

 ということばを受けて、インドの輪廻思想について書かれています。「六道のどの世界に生まれるかは、われわれ自身の行為とその行為の結果との総体である業(カルマ karma )にもとづくとされ、しかもこの業は、現在世のわれわれを越えて延長して考えられた。なお、輪廻の考えは部分的ながらギリシア思想のなかにもみられる」と。

 

 そして遺伝子研究の権威の村上和雄氏の言葉を引いて、

「人類の誕生は、宇宙の進化から必然的に生み出された結果なのではないか」

「私たちは、たまたま地球上に生まれたのではなく、宇宙そのものが私たちを必要としているから、知性を持った人類を生み出したのだ、ということだ」

 

 ぼくの家の宗教は浄土真宗ですが「人身受けがたく……」は三帰依文の言葉だそうです。 

法話

 

 

なまぐさの克服

 も、「そうか」と思ったエッセイでした。

 粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々、――これがなまぐさである。肉食することが(ままぐさい)のではない。

 この章では〈なまぐさ〉の定義が並べられているのですが、いずれも単純に肉食とは言っていない。「肉食することが(ままぐさい)のではない」という言葉が繰り返されます。

 ブッダの思考は自由です。言葉を変えてしまう。

「肉食することが(ままぐさい)のではない」――生き物を殺すこと、盗む、嘘をつく、欲望を制しないこと、怒り驕る、強情、偽り、嫉妬……などがなまぐさい。

 

安らぎ

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、――これがこよなき幸せである。

 

修行僧よ。この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝はニルヴァーナにおもむくであろう。

 

 

 

 

           *            *

 

 エッセイなので気軽に読めました。こういう信仰告白的にみえる本は忌避する人もいるでしょうが、誰でも何かを信じたり、物事に傾倒しているものです。

 宗教的な本はうさんくさいと思われがちですが……

 ぼくの考えでは、初期仏教の本はいちばん信仰から遠い、むしろ論理や倫理や哲学です。

 

 

 

 

 

お知らせ

 ずっと怠けていたギターの練習を優先したいと考えています。

 読書してまとめる、という形で継続してきたのですが、読書は時間がかかる。

 これからは〈自分が疑問に思ったことを検索して、考える〉日記ブログにします。それなら続けていけます。

 よろしくお願いします。

 

 

 

 

…………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     すべて穏やかで、誰もが幸せでありますように。