日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

69歳のいまも……人生、後悔することばかり。世の中がなぜこうなのかもわかっていない。世間には本音と建前があるのは知っているけれど……ほんとうのことを知りたい。WEBは巨大な辞書で、玉石混交ですが、検索してみます。訪問していただいて、感謝しています。ありがとう。

『「ブッダの肉声」に生き方を問う』を読んで (続き)

 おはようございます。

 昨夜は9時前に寝たので、夜中に3回ぐらい目を覚ましたけれど、4時半に起きました。焼酎を飲んでいたので酔いがまわった。このところ毎日飲んでいるので、自制することが必要です。

 夜はもうやることがない。

 いつもは9時過ぎに寝る。

 昔、山にいたときのような生活です。

 スーパーに買い物に行くのが違うけれど。

 

 

  

 

   

…………      …………      …………      …………

 

12日 火曜日

 ホームセンターで板と透明のラッカースプレーを買ってきました。ベランダの修理をします。物干し場なのですが、雨に打たれた端の板が腐ってしまっている。新しい板に換える。これで危なくない。

 スプレーを噴射して防雨力を高める。シンナーの匂いがきつい。頭がくらくらする。

 とにかく……これで終わったことにします。うまくできたとは言えないのですが……すこしは安全になったでしょう。 

 

13日 水曜日

 図書館に本を返しに行ってきました。

 小説を読みたくて棚を見たけれど、なにを求めているのか、わからない。

 風が吹いて寒い日です。

 

 

 

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中野東禅 - Wikipedia

 

目次

序章 ブッダの時代とその足跡/お経の成立

  釈迦族の王子として誕生  ブッダの生きた時代  誕生エピソード

  悩み多き少年時代  出家の決意  六年間におよぶ苦行  

  〈中道〉思想にたどりつき、悟りを開く  仏教のはじまり

  布教の旅、そして入滅  お経とはなにか  お経の成り立ち

第1章 ブッダが〈遺言〉で語った「自分らしく生きる知恵」【遺教経】

  ブッダが得た悟り  ブッダの最後の場面

  愚かさを繰り返さない「慎みの力」

  生活のための欲望が夢を狂わせる

  快楽を望む欲望が生活をかき乱す

  わがままな心を打ち伏せよ  怠惰な〈毒蛇〉に気をつけろ

  怒らないことを楽しむ  「おかげさま」が思い上がりの心を抑える

  「無常」を思えば、人間らしく真っ直ぐに生きられる

  「小欲・知足」の実践で心に余裕が生まれる

  ひとりでいる時間が自主性を育てる

  「継続力」は目的意識育成にあり

  「あこがれ」があれば心は乱れない 「落ち着き」は確かな船である

  ブッダの「知恵」で老・病・死の海を渡る

  つまらぬ話題は心を乱す

  ブッダの最後の教え  ブッダの火葬と舎利八分

第2章 ブッダが青年商人に語った「人間関係術」【シンガーラ教誡経(六方礼経)】

  布教の拠点――ラージャグリハ(王舎城

  青年商人のブッダとの出会い

  人格の清らかさを大切にする【信頼】

  心の汚れは信頼をけがす【四不穢業と四悪業】

  人はどのようにして財産をなくすか【財産を失う六つの蛇口】

  真の友を喜ぼう【八つの友人関係】

  青年商人に語った人間関係の心得

  親子は敬愛し合うもの【東方拝】

  子弟は尊敬・尊重し合うもの【南方拝】

  夫と妻は感謝し合い、助け合うもの【西方拝】

  友人同士は支え合う杖【北方拝】

  雇用関係にある者は信頼し合うもの【下方拝】

  宗教者と私たちは生き方を照らし合うもの【上方拝】

第3章 人生のしがらみと「縁」を生きる教え【ダンマパダ(法句経)】

  「恨み」の連鎖を止める

  花の香りのように――「徳」こそ人間の輝き

  愚かな行為は、あなたを一生悩ませる

  「因果応報」と「たたり」は違う  「縁」を大切に前向きに生きる

  善からぬ友は、あなたを悪に染める

  清らかな自己を確かめよ  悪や汚れから距離を置く

  「愛欲」から「慈愛」へ  「あの世」は心が行くところ

第4章 さわやかな生き方の教え【スッタニパータ(経集)】

  ブッダの説法の魅力  牛飼いダニヤ――「憂い」のない喜び

  こよなき幸せ――「感謝」と「満足」は幸せにつながる

  犀の角のようにただ独り歩め――自立した人間になる

  耕す人――「心の座標軸」たる信仰は種であり、修行は雨である

  賤しい人――生まれではなく行為が人をつくる

  破滅する人――〈人の道〉に外れるのは破滅への門である

  最上の富とは――「誠実さ」と「施与」

  勝利者とは――「自己の命」を如実に見る者である

  恥を知る――人格の清らかさが「信頼」を熟成させる

  徳を行う――人の上に立つ者には責任がある

おわりに

 

         …………      …………      ………… 

 

 仏教は唯識なので、この世界は心が作っていると考えます。

 すべての問題の解決は心にしかない。

 そう、考えるのです。

 

 第3章 【ダンマパダ(法句経)】

法句経 - Wikipedia

buddha-osie.com

 

 ダンマパダはブッダが説いた教えに近いといわれています。

 日本には古くから漢訳の『法句経】は伝わっていましたが上座部仏教のお経とされてあまり顧みられなかったようです。原始仏典として日本でも読まれるようになったのは明治以降です。 

 ブッダの時代には真理を求める多くの思想家がいました。ブッダもその一人として、さまざまな論議を戦わせていたようです。そのことがダンマパダからうかがえます。

 

           *            *

()は詩句の番号です。

 

 

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。(5)

  じっさいそうなのです。他人を恨むことを自分の利益のためにやる人々がいますが、その〈怨み〉が正しいかどうかはどうでもいいと考えているようです。

 人がちゃんとした人間関係を構築したいならば、正しいことをしなければならないはずです。

 

 ブッダの言葉は「怨みを持つことは、怨みを連鎖させることだ」という認識からきているのでしょう。他人を恨むことは、関係を破壊してしまうことです。

 

 

 

悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。(71)

 自分が蒔いた種は刈り取らなければなりません。

 自分で原因を作ったなら、結果は自分に返って来る。

 この本では「縁起」から「諸行無常」を導き出して「思い通りにならない」ということを解説しています。

 

 

まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。(119)

 

まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の報いが熟したときには、善人は幸福に遇う。(120)

 縁の結果は、人の力でははかり知れません。ただ悪因悪果、善因善果は法則といえるのです。

 

 

 ブッダは説きます。

悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。善い人と交われ。(79)

 

 

自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりすぐれている。つねに行いをつつしみ、自己をととのえている人、――このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。(104、105)

 他人に勝つより、自分に克つ。

 仏教は最強の個人主義です。西洋の哲学にならうと……いや、もっと深いと思います。教えは2500年ものあいだ、受け継がれてきたのですから。

 

 

愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生じる。愛情を離れたならば憂いが存しない。どうして恐れることがあろうか?(213)

  この本ではこう書いています。

 所有欲、性欲、金銭欲、闘争欲、名誉欲といった欲情は、すべて自己中心的な考えから起こる煩悩です。だから、失ったらどうしよう、嫌われたらどうしよう、失うのが怖い、嫌われるのが怖いといった憂いや恐れが生じるのです。

 では、妻や恋人を愛する愛情もよくないものなのでしょうか――。

 自己中心の「愛欲」であれば悪であり、相手を思いやれる「慈愛」であれば善の愛情といえます。それは、相手への感謝があるかどうか、お互いに「よかった」と言える喜びを育てているかどうかの違いです。

 ブッダは、次のように語ります。

愛より愛は生じ、

愛より憎しみは生じ、

憎しみより愛は生じ、

憎しみより憎しみは生ず。

 

 これは「四句分別」というインドの論理学です。相反する二つのものをかけ合わせると、四つのあり方が見つかるという考え方です。(P153)

  長い引用になってしまいましたが、なぜ愛情から憂いや恐れが生じるか、が検証されています。

  

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第4章【スッタニパータ(経集)】 

 スッタニパータ - Wikipedia

 

 

www.youtube.com

 

  やはり中村元さんの訳がいちばんしっくりきます。ブッダの時代もこう口誦されていたんだろうな、と想像してしまうのです。

 

 

「こよなき幸せ」の章がいい。

 

諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、――これがこよなき幸せである。(259)

 

深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、――これがこよなき幸せである。(261)

 

父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、――これがこよなき幸せである。(262)

 

施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、――これがこよなき幸せである。(263)

 

 ここでは幸せの定義と、満足が表されています。

 

 

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 いつも暗誦しているのは「犀の角」の章です。

 

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。(36)

 

林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(39)

 

水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。(62)

 語尾は「犀の角のようにただ独り歩め」と繰り返されるのですが、それが心地いいのです。

 

 現代社会では、人との交流は大切だといわれ、人間関係を築けないと相手にされません。それが集団の論理です。

 でも、なんか、無理しているような気がします。

 人との交流といっても、目的は、仕事をしやすくするためなのでは……

 ほんとうに好きな人ならいいけれど、人脈のために交際を広げることは、なにかを売り渡しているのではないか。

 気に入られたくて。

 いい人に思われたくて。

 もちろん、いい人であることはいいのです。 

 でも、無理してまで他人と慣れ親しむ必要はないかもしれない。慣れ親しむというのではなく、社会の礼儀だからそうする。そうすれば意味があるといえます。

 

 自分が自分であることが心地いい場所でなければ、心にはよくないのです。

   

 

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『スッタニパータ』では、「生まれによってではなく行為によって人である」という詩句があります。それは身分制度を否定した言葉なので、好きです。 

生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(142)

 

 この時代に、身分制度を否定し、人の行動がその人の人格だと示したのは、画期的なことだったのではないでしょうか。

 

 

 

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『ダンマパダ』も『スッタニパータ』も詩の形式なので手軽に読めます。一つ一つの言葉は単純で平凡に思えても、あるとき「深いんだな」と気づくことがあるのではないでしょうか。おすすめします。

 持っている文庫本は長い年月でページは黄ばみ、文字が読みにくくなってきました。5月の連休には四天王寺さんで古本市が開かれるので、新しいのを買い求めようと考えています。

 

 

 

…………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     すべて穏やかで、誰もが幸せでありますように。