日の記し=検索、読書、思うこと ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきた視点から社会を見たい。ネットは巨大な辞書です。日々の生活で疑問に思うことを検索します。訪問していただいて、ありがとうございます。

『ダンマパダ 心とはどういうものか』を読んで

 おはようございます。

 今朝も暖かい。これからだんだんと暖かくなって春めいてくるのでしょう。いい感じです。

 完全な日記にする、と言っていたのにそうなってない。思い立って日記を書いても、後で、書き直したいと考えたりしてうまくいかないのです。

 週二回ぐらいのペースが習慣になっているので、それで続けていきます。m(__)m 

  

 

   

…………      …………      …………      …………

19日 火曜日

 昨日と今日はずっとパソコンの前に居た。焼酎を飲んで、ネットサーフィンをしていたのです。

www.youtube.com

などの、「日本文化チャンネル桜」の動画を見ていた。

 見るのは保守系が多い。どうも自分はネットウヨクらしい。サヨクのものは見る気がしない。

 サヨクは姑息です、Youtube で、保守系の動画をBANするために組織的に通報をしているようだ。

 朝日新聞は「ネットはフェイクニュースだ」と主張しているようですが、なんだかなあ……呆れてしまう。厚顔無恥です。あなたたちこそ日本を壊すために捏造記事を作り続けてきたではないですか。

 

 政治のことは……しかたない……不愉快になるニュースが多い。

 日本が好きになるような、常識のある政治をしてほしいと願っています。

 

20日 水曜日 

 朝、眼科へ。目薬もなくなったし。手術の後、違和感がぬぐえない、目がはれぼったい。今日は赤い光を照射する治療をした。

 その後、ホームセンターへ行く。

 中華鍋を買う。

 関東煮きをつくるための平鍋も。

 狭い庭があるのですが、塩ビの波板に穴が開いて雨漏りがひどい。トユを買ってきた。桟に縛り付けて雨漏りで庭が濡れないようにした。

 

…………      …………      …………      …………

 

 

 

 法句経 - Wikipedia

 

 この本にもダンマパダの解説が書かれています。(P118)

  P120に、その成立の過程が書かれている。どのような原本を元に訳したか考証されています。九百偈本は『ウダーナヴァルガ』(感興の言葉)を訳したものだといわれてます。

 当時は後にお経になる原型の形でインド以外に広まって行ったようです。

 

「『ダンマパダ』は心をテーマにしている」と思いました。

 当時は、「人間とは何か」とか、「世界とは何か」とか、「我とは何か」という問いの解答を探し求めた時代だったのでないか。

 ブッダは心を発見した。つまり定義し、その機能を見出したのです。

 苦しみを超えるためには心の制御が必要だという方法論を提出した。この本を読みながら、そういうことを考えていました。

 

 

 

        *            *

 

 21日 木曜日

 

ダンマパダ―心とはどういうものか (シリーズ仏典のエッセンス)

ダンマパダ―心とはどういうものか (シリーズ仏典のエッセンス)

 

目次

まえがき

第一章 すべては苦しみである

 1 生のはかなさの自覚

 2 社会に生きることの苦しみを知る

 3 より善い来世

第二章 自己とは何か

 1 二つの自分

 2 自己とは変化するものである

 3 自己と心

第三章 心の中はどうなっているのか

 1 場としての心、働きの束としての心

 2 心から流れ出すもの、心に繁茂するもの

 3 心を清く澄みわたらせるには

第四章 安らぎへの道

 1 さとりへの努力

 2 水泡は消えて

原始仏典と『ダンマパダ』

読書案内

あとがき 

 

 

           *            *

 

 

  これはダンマパダを読みながら、「心とはなにか」を探る本です。

「まえがき」にこうあります。

評論家の山本七平氏(1921~1991)はこれを「日本教」と名付けました。山本氏によると、日本人は一般的にこのことに無自覚で世界中の人も、日本人同様、人間は基本的に信用できるものとして、互譲の精神に生きているはずだ、と思い込んでいます。ところが、他人は信用できないというのが世界の常識で、まして文化が違えば考え方も全く異なり、本当の意味で理解し合えるとは誰も考えていない。そこで交渉事とは、虚々実々の駆け引きを通じて、言葉を尽くし手段を尽くしてお互いの要求をとことんぶつけ合い、ギリギリの妥協点を探ることになるのだというのです。(P10)

 各国で言葉も違うということは、考え方も違うということです。日本は島国なので「互いを思いやって生きる」ということが常識になったのでしょう。国際的にみたら珍しい特殊な国なのです。

 

 インドでは〈心〉をどう捉えたか――それがダンマパダに表れています。ダンマパダは仏典ですが、当時のバラモン教下に成立したのでヒンドゥー教ジャイナ教の影響も受けています。

 

第一章 すべては苦しみである

 お釈迦様の四門出遊の故事には「生のはかなさ」が描かれています。

「老い」と名付けられた第十一章。

肉体は老い衰えるものであり、病の巣であり、脆いものである。腐臭を放つ肉塊は、やがてばらばらになる。なぜなら、生には死が終わりとしてあるからである。(148)

 

 国王のきらびやかな車でさえ古びていく。この身もまた老いに近づく。しかし善い人の教えは古びていかない。善い人々は善い人々によって語り継がれる。(151)

 

 などの句。

 

 肉体に依ることはできない。

 生に依ることはできない。

 そこで、「教え」です。

 教えを学ぶことだけが滅びないことなのです。

 

 初期の仏教からずっと受け継がれている……四苦八苦。

 P22には「老病死」は避けることができないのに、それを避けたいとおもうところから悩みが生じ、憂いが生じ、苦しみが生まれると書いてあります。

 苦しみは執着することから起こる。

 ダンマパダの詩句の解釈で、仏教の考え方が浮かび上がってきます。 

 1 生のはかなさの自覚

 2 社会に生きることの苦しみを知る

 3 より善い来世

 これらの分けられた項には、それに当たる詩句がたくさん引用されています。

 じつはメモを取りながら読んでいて、「引用すると、引用した詩句ですべて埋まってしまう」と……

 印象に残ったのは、

他人を苦しめることによって己れの楽しみを求めに者は、怨みの絆にまつわられて、怨みから解き放たれることがない。(291)

でした。

 社会は人と人の関係です。どうしても心が行違う。それによる苦しみでいっぱいです。

 

第二章 自己とは何か

 ダンマパダから「自己」について書かれた詩句を集めた章です。

 著者は最初に、〈自分が思っている自己〉と〈他人から見られる自己〉のことを解説します。

 自分が自己と思っている自意識、それは何か。眠っている時は自意識はない。つまり自意識は機能としてある。

 本当の自己は〈見られている自己〉である。

 それが行為の主体となる。

 

 ダンマパダではどう捉えられているか。

自己こそ自己の主である。他の誰が主であり得よう。自己をよく調御するならば、得難き主を得るのである。(160)

 

自己が悪をなすならば、自己は汚れ、自己が悪をなさないならば、自己は清まる。清いのも清くないのも、各自のことである。人は他人を清めることはできない。(165)

 

 ここでは「己れの行為の報いは自分が受ける」という業の思想の芽生えがあります。自業自得は仏教の原則です。

 仏教は徹底した個人主義なのです。自分が愛おしいなら、自分を守らなければならない。目覚めていなければならない。

 

愚かで思慮に欠ける者たちは、自己に対して敵のように振る舞い、苦い果報をもたらす悪業をなす。(166)

 

第三章 心の中はどうなっているのか

 いちばん知られている言葉は「煩悩」です。

 初期仏教から発展した仏教は仏教教理学を生み出しました。「心とは何か」を探求して、〈心所・しんじょ〉と〈心王・しんのう〉という概念を生んだのです。心所とは心の様々な働きで、50ほどに分類されます。心王とは心の本体です。それらが目まぐるしく入れ替わり連続して変化してゆくので、映画のようにひとつの風景として捉えられ、経験の世界を作り出していく。

 

 すべての哲学は、分類、名付け、定義を基本とするようです。

 仏教では精緻な分類がなされています。

 上座部において〈念〉はサティ呼ばれます。自意識のチェック機能のようなものです。

〈見〉はディッティ。悪心において生起する誤った考えのこと。

 こうして仏教は、心の様々な機能、働きを名付け、分類したのです。

 

 P76からは「煩悩」と呼ばれるものの働きと、滅する方法が述べられます。

 パーリー語などの解説も書かれています。要するに悟りに至る道です。

十結

三毒

 そのために渇愛を絶つ。

 ダンマパダには「渇愛」の章があります。

 ぼくらは詩句を読む形でその世界を受け取るわけですが、要素を抽出すると、仏教的な悟りへの案内になっている。非常に論理的なのです。

 

3 心を清く澄みわたらせるには

 結論をいうと、感覚を制御することです。

 

 他人のあら探しをしない。

 余計なことを見るな、聞くな。

 

御者によってよく調教された馬のように、もろもろの感官が鎮まり、思い上がりを捨て、煩悩がなくなっている聖者は、神々でさえ羨む。(94)

 

第四章 安らぎへの道

 この章は悟りへ至る方法について述べています。

 行為は三業による――身体による、言葉による、心による――と捉えているので、細かな作法によって心を鎮め、悪口をいわないように注意することが必要です。

 

 またを守ることも必要です。

 P105には止観のことが書かれています。

 瞑想すること。四諦

 

…………      …………      …………      …………

 

 こうして終わりの章まで読んだのですが、詩句が引用されるたびに、「ああ、この詩にはこういう意味があったのか」という思いにかられました。

 三章、四章は仏教の用語が多く使われていますが、ダンマパダを深く読み込むには細密な分類が必要なのでしょう。

 仏教が哲学であること、がよくわかりました。

 この本で学んだ視点でもう一度読み直してみたいと思いました。皮相な読み方しかできないでしょうけれど。(-_-;)

 

 仏教関係の本を借りてきていますので、読んでいきます。m(__)m 

 

 

 

…………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     すべて穏やかで、誰もが幸せでありますように。