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底辺で生きて来て……69歳になりました。人生を語るには、遅すぎるようです。日記を書きます。〈自分なりの仏教〉のことも。訪問していただいて、感謝しています。m(__)m

『はじまりのブッダ』まとめ2

 おはようございます。

 4時過ぎに目が覚めてしまいました。あまり早く電気をつけるのも近所に迷惑なので、ラジオを聴いていました。

 月曜の朝なのですこしの放送局しかやっていない。民放の試験電波発信中では、昔のフォークソングを流していました。尾崎豊とかイルカとか。

 懐かしい青春時代……というような感じで、流しているのでしょうか。こういう放送にもやはりプロジューサーがいるとおもうのです。

 

  次回からは日を決めずに更新します。完全に日記になります。その時々でおもったことを書いていきます。読んだ本のことも。

  

 

   

…………      …………      …………      …………

 

14日 木曜日

 朝、洗濯をする。洗濯するのは好きだ。漂白剤を入れた洗濯物がさっぱりときれいになっていくのがうれしい。

 風があると、二階の物干しの洗濯物もよく乾く。

 そうでない場合は二日間かけて干す。

 自分しかいないので、そういう暮らし方で充分です。

 今日はお風呂に行く日。

 

 15日 金曜日

 「万引き家族」を観た。

 思っていたよりいい映画だったとおもう。万引は象徴的に描かれているだけで、世間からはぐれた人たちが疑似家族になって暮らすというのがテーマだ。こういう映画にありがちなのだが、解決はない。「現代の社会を描いている……」ようなのだが、万引きしなくても暮らしていけるはずでは、とおもった。

 

 提起された問題については観た人が考えることなのだとおもう。

 多くの人は映画に描かれた現実を見て、そんなものだと思い満足する。それを狙っているのでは? 現実はほんとうにそうなのか。映画だから勝手な設定でいいかもしれないが……

 底辺だから→万引き、という決めつけは現実の底辺に追い込まれている人たちに失礼だ。

 なぜ疑似家族にする必要があったのか、も疑問だ。ファンタジーにしてはいけないのではないかともおもう。

 

16日 土曜日

 昨日の反省です――言いたかったことは――

 自分は単純なので、映画はカタルシスを感じるエンターテインメントであってほしい、と願っているだけなのです。

 

 人生、辛いことが多いのですが……苦しいことがあるからこそ、それを克服する喜びがある。〈苦〉は乗り越えられる。

 愛が大切におもえるのも、ひとりでは苦しいからだ。

 他人を大事におもえるのも、ひとりでは生きていけないからだ。

 

17日 日曜日

 先日、「桜田大臣のコメントの全文」がサンケイニュースに載っていました。

www.sankei.com

 「がっかりした」だけではないようです。先ず、ちゃんと気遣っている。メダルが少なくなることも心配しているのですが、それだけではなかったようです。

 

 桜田大臣への野党の質問も、Youtube で見ました。

 ニュース報道もこんなふうです。

www.youtube.com

 マスコミと野党が一体になった辞任攻撃が続いているようなのですが……

  桜田大臣はこれまでも失言が多いから、その流れで批判されているのでしょう。

 ところで、そういう失言を誘い出すような「質問の仕方」をしているようです。

桜田五輪相の答弁を笑う人に知ってほしい「質問通告」の奇妙な仕組み(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(2/4)

 

 こういうことを知ると、党利党略で動いているんだなとおもいますね。まあ、そんなものなのでしょうけれど。

 

 韓国籍の在日の弁護士から献金を受けていた辻元清美氏のほうが悪質ではないでしょうか。政治家だったら守らなければならない法律に違反しているわけです。

 それに関西生コンという暴力団のような組織からも献金を受け続けています。

 

 彼女は「辞任する必要がない」と言ってるらしいのです。そのことについてはもう報道されないようです。

……それでは今後同じようなことが与党や野党の議員に起こった場合、批判はできないのではないですか。

 

 野党がまともでないと民主主義が機能しません。国会の論議に呆れて政治に期待しなくなる。

 普通の常識で動いてくれることが必要です。

 政治家に期待しなくなってもいいのですが、政治に希望を持てなくなると若い世代が苦しむことになる。被害を被るのはこれからの世代ですから……

 やはりある程度の常識が通用して、欠点があっても政治が行われないとダメではないでしょうか。

 

  世の中は公平ではないようです。(わかっていますが……)

 

 

        *            *

 

 初期仏教が好きだし興味があるので、その関係の本を読んでいきたいと考えています。お釈迦様が始めた仏教の、ほんとうのことを知りたい。

 

18日 月曜日

『はじまりのブッダ』5章からのまとめです。

 

はじまりのブッダ: 【初期仏教入門】

はじまりのブッダ: 【初期仏教入門】

 

 目次

第一章 ブッダは輪廻を信じたか

 最古の経典はブッダが輪廻を信じなかったことをおしえている。輪廻は幻想にすぎない――これこそがブッダの出発点だった。

第二章 ブッダは何者だったか

 ハーレムの歓楽の一夜、王子ブッダは妻子を捨てて宮殿から逃げだす。その後身を投じた苦行にも失敗した乞食修行者のブッダ。大いなる敗者復活への道。

第三章 「異端」ブッダのライバルたち

 ブッダは古代インドの異端の教祖だった。驚きの「暴論」「奇論」で火花を散らし合う知られざる異端思想家たちの実像とは。異端の聖者ブッダ誕生の舞台裏。

第四章 ブッダは霊魂を信じたか

 死後の世界は死んでみなければわからない――ブッダの徹底した現世至上主義は霊魂や神の有無の問題を議論の場から放逐した。懐疑主義ブッダの素顔。

第五章 「諸行無常」とはなにか

 「諸行無常」は古代インドの墓場の屍臭のなかでうまれた思想だった。平家物語ではわからないその誕生の秘密について。

第六章 古代インドの「実証科学」

 異端の王様パーヤーシは霊魂を探して犯罪者の体を切りきざむ。霊魂の問題にとりつかれた王様の「実証精神」がもたらした奇怪な実験の数々。

第七章 異端思想家サンジャヤの悲劇

 異端のせめぎ合う時代を代表するユニークな論法。ブッダに弟子を奪われて「熱い血を吐いた」伝説の思想家サンジャヤの「うなぎ論法」の真実。

第八章 異端ブッダの死

 ブッダの死を聞いて「うるさい男がやっと死んでくれた」といい放った一人の弟子がいた。「諸行無常」を地でゆく異端の師ブッダの末路とは。

  

            *            *

 

 5章から8章は著者の思いで独自に資料を読見込んでいるなと思えるところもあると思いました。

 

第五章 「諸行無常」とはなにか

 著者はこう述べています。

諸行無常」にいう「諸行」は古いインド語の「サンカーラ」の漢訳で、形作られたもの、つまり、

 原因ー結果の因果関係を通じて形作られた現象世界

を意味する。(P122) 

 

一切の形作られたものは無常である――このように明らかな智慧をもって観るとき、人は苦しみから遠ざかる。(ダンマパダ277) 

 

 この章では『ウダーナヴァルガ』から、『スッタニパータ』から、また『テーラガーター』からの言葉を引用して「諸行無常」を解説しています。

 

 当時は、〈無常〉を体験するために、死体捨て場で死体の腐って行く状況を観察する、という修行法がありました。多くの経典に描かれているそうです。

「形あるもの」(ルーパ)がいかに壊れやすいものであり、それを「あるがままに」観察することが修行者にとっていかに大切かを説く。(P133)

 

 この身体は無明(根源的な無知)に覆われ、あらゆる束縛にあい、欲望に流されるまま、煩悩の網にとらえられている。(P139)

            『テーラガーター』から。

 

 P144で著者は――

   諸行無常

   是生滅法

   生滅滅己

   寂滅為楽

という言葉を書いています。ぼくらも知っている言葉ですが、これは〈原因――結果〉の法則を表したものであるといえるのかもと思いました。

  ウキペディアの解説を。

諸行無常 - Wikipedia

 

第六章 古代インドの「実証科学」

 著者は当時の「精舎」について語ることから始めます。これらの問題です。

  • 肉を食べていいのか、という論議があった。
  • 罪を犯した者は出家できるのか?
  • 死後の霊魂はあるのか?

 

 P154から語られるのはコーサラ国のセータヴィヤー城郭都市のパーヤーシ王の話です。『ディーガニカーヤ』の「パーヤーシ経」には、クマーラ・カッサパとの討論が描かれています。

 王は霊魂がどうなるのか、ということや〈輪廻〉について関心がありました。

 

 王は処刑場を所有していたので、霊魂はどこにあるのかを調べるために、罪人の体を切り刻みましたが、見つかりませんでした。

 

 著者はP170からの文章でこう述べています。 

 ブッダが生きたのは、神々の黄昏の林を虚無主義の風がうなり声をあげて吹きめぐる時代だった。

 その時代にちっぽけな筏で激流にのりだし信者の信頼を得たブッダがめったにみない「名医」だったというのは、本当なのだろう。(P173)

 

第七章 異端思想家サンジャヤの悲劇

 この章では異端思想家サンジャヤについて語っている。

 

サンジャヤ・べーラティプッタ――「うなぎ論法」の名手といわれる。

(「ああでもない」「こうでもない」とどこまでいっても真意がつかめず、とらえどころのないところから、「うなぎ論法」と呼ばれたのです)

 

  • P179からは「バーヤーシ王の告白」という項がある。当時の思索の状況がよくわかるのです。

 ブッダをふくめて、たとえ苦行者といりどもたくさんの弟子をしたがえた活動は、バラモン支配に不満をもつこれらの学問好きの富裕層――都市部の王族、商工業の資本家たち――の財政的なパトロネージがあって初めてなりたつものだった。(P180)

 

 P185からは、「ポッタパーダの場合」という項です。 

ポッタパーダ経 - Wikipedia

  に描かれたブッダと弟子との討論です。

 

 P190からはナーガールジュナについての解説です。

「ナーガールジュナは〈唯名論の革新〉であった」という著者の考えが述べられています。

 当時のお経からの引用と、哲学の状況についての考察――難しいです。

 

第八章 異端ブッダの死

 ブッダの死についてのエッセイになります。

  • 出家の意味は……
  • 貴族であった身分を放棄した動機は……

 

『テーラガーター』では「教えが滅びる……」とパーラパリヤ長老が嘆いたことが描かれている……

 

 著者はP204で〈ブッダが説いた〈中道〉は困難な道〉であると書いています。

 

 大パリニッパーナ経に描かれたブッダの死の様子。

 P212の文章を引用します。 

 インドにおける仏教の滅亡は、1203年のイスラム教徒の侵入をきっかけとした騒乱のさなかの東インドの本拠地の消滅という象徴的事件を中心に語られることが多い。

 事実、この密教の本拠地の寺院の壊滅をさかいに、インド社会の表舞台から仏教徒たちの姿は消える。仏教は、ヒンドゥー教のたくみな宥和攻勢のすりに、この戦乱をきっかけに、文字通りヒンドゥーの海にのみこまれる形で、主要な歴史的発展の場を誕生の地のインド亜大陸から東アジアなど外の世界に移す。

 いまからみれば、その日は、突然のようにやってきたかにみえる。が、実際には、インド仏教は、この頃にはその変貌を通じてヒンドゥー教と見分けがつかなくなっており、内部から解体していたと考えるのが自然だろう。戦火による被害は、その最後のひと押しの役割を演じたにすぎなかったのである。(P213)

 

 

            *            *

 

 これで読み終わりました。

 ブッダが生きた時代を描くというテーマに合わせて、著者の話題はあちこちに飛びます。様々な視点から初期仏教を浮かび上がらせるという手法でしょう。ただ、何を伝えたいのかまとまりに欠ける部分もあるようです。

 おもしろく、興味を持って読めました。初期仏教を描こうとする小説家としての熱意のようなものが伝わってきました。

 

 次回はちょっと学問的な本を読みます。 m(__)m

 

 

 

 

…………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     すべて穏やかで、誰もが幸せでありますように。