日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

『泥塑賢治』を読む

 おはようございます。

 

 もともと白内障ですが、悪化して神経がだめになったようで、細かい字が読めなくなってしまいました。母親もそうでした。

 それでしばらくブログの更新はお休みします。購読しているブログも読みに行けないので申し訳ないです。

 手術するまでパソコンも使えないのでコメントをいただいてもお返事できません。回復するかどうか不安です。いちおう区切りのご挨拶をさせていただきます。

 これまで読んでいただいて、ありがとうございました。感謝しています。 m(__)m

 

 

 

            *            *

 

 

 

泥塑賢治―宮沢賢治の原像

泥塑賢治―宮沢賢治の原像

 

  この本は、教師をしながら宮沢賢治研究を続けていた著者が出した本です。そういう簡単な紹介をお許しください。

須藤好夫さん(高10回卒)が、泥塑(でいそ)賢治(宮沢賢治の原像)を出版されました | 埼玉縣立本庄髙等學校同窓会(柏陵会)

 

目次

まえがき

1章 「そらのみぢんにちらばれ」――詩「春と修羅」の解読

 Å法華経信仰

  a 法華経信受の経緯 b 「心象スケッチ」の〈意味〉

 B「春と修羅」の段落構成

 C三つのキーワード

  1修羅 2まことのことば 3そらのみぢんにちらばれ

 D各段落の〈意味〉

  「『宮澤賢治イーハトヴ学事典』の〈修羅〉の解説」の批判

2章 『銀河鉄道の夜』の読解――トシ挽歌の系で読むということ

 前文

 A成立過程を読む

  a第三次稿から第四次稿へ b第四次稿〈現行形〉の筋立て

  c「セロのような声」の長講説

 Bトシ挽歌の系で読む

  aトシ挽歌の系列 b『銀河鉄道の夜』とトシ挽歌との関連

 C「ほんたうの幸福」とは?

 結語

3章 主人公の自己回復の物語――童話『セロ弾きのゴーシュ』の読解

 A物語の要点

  a「上達」の主要因 b来訪者たちの来訪目的 cゴーシュの対応の変化

  dゴーシュ(の音楽)の「特質」 eゴーシュの演奏の難点 f静かな決意表明

 B二つの対照・二つの肯定(物語の骨格)

 Cセロ弾き喜び泣く(生成過程に関する推論)

  先行する読解の批判的検討

  a「下手」談義 b成長譚にあらず

4章 菩薩行への執心(「雨ニモマケズ」の読解)――(「デクノボー思想」論批判)

 A「雨ニモマケズ」の文章構造

  1恣意的読解の氾濫 2「11.3」という日付 3五段構成

  4イツモシズカニ(三善根) 5弘経三軌 6デクノボーと土偶

  7各段落の前段 8ワタシハナリタイ

 「雨ニモマケズ」の評価について

 B常不軽菩薩への関心

  1うかつな読み 2常不軽菩薩の但行礼拝 3賢治の内省の深化

  4詩「不軽菩薩」の読解

 『宮沢賢治大事典』の「解説」

あとがき

 


            *            *

 

 目次を読めば、「春と修羅」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」「雨ニモマケズ」の4作品の分析について書いているんだなとわかります。

 独自の新しい視点を打ち出そうとしているようです。

 作品を読み解くことで賢治の原像に迫まり、浮かび上がらせようとしています。

 

 

1章 「そらのみぢんにちらばれ」――詩「春と修羅」の解読

賢治の法華経信仰の、18~25歳の経過

 1914年 18歳 島地大等の『漢和対照 妙法蓮華経』を読んで感動する。

 1916年 20歳 盛岡高農二年。自啓寮室長。毎朝、読経する。

 1918年 22歳 父宛の手紙で法華経信仰の生き方を選ぶと書く。

 1919年 23歳 トシの看病のため滞京。1月、国柱会館で田中智学の講演を聴く。

 1920年 24歳 3月、高農を終了。店番。10月、国柱会に入会。寒修行して歩く。

 1921年 25歳 1月、家出上京。4月、父と関西旅行。8月、トシ病気。帰郷。

 

心象スケッチの意味

宮沢賢治大事典』(勉誠出版 2007年)では――

……賢治は自分の意識の中に浮かんだイメージ(見たもの聞いたものだけでなく、自分が思ったこと、幻覚や幻聴、夢なども含む)を、できるだけ忠実に書き留めることを創作活動の基本に置き、それを心象スケッチと呼んだ。(英語で mental sketch modifed とも書いた)……賢治がこうした新しい名称(概念)を作ったのは、彼にとって創作が、文学作品を意識したものであるよりも、むしろ宗教書や思想書、科学書に近い本、すなわち「歴史や宗教の位置を全く変換しよう」(森佐一あて書簡)とした本であったためであろう。

 と、解説されているのですが、著者はこれではどうして「歴史や宗教の位置を全く変換しよう」ということになるのか、説明されていないといいます。

宮澤賢治イーハトーブ学事典』(弘文堂 2010年)では、「フランスの哲学者のベルグソンの影響を小野隆祥が指摘した」と解説されているそうです。

 また入沢康夫は――「全集Ⅰ」において、

……深甚な影響を受けた片山正夫著『化学本論』に象徴される自然科学的立場と、島地大等編『漢和対照 妙法蓮華経』が開示する仏教的世界との、二つのものが……(略)……

 と書いているのだが、著者は納得できないようです。

 

 この後、著者は「雨ニモマケズ手帳」の月天子の詩や法華経信仰などを解釈します。そしてこう定義します。

……法華経の信受者、受持者たる賢治が見、感得した「娑婆即常寂光土」の光景、その風景が賢治の「心象」である。賢治はこの「心象」をすばやく、忠実にスケッチしておくことによって、仏陀釈迦の常寂光土の実在を立証し、もって「疲れて科学によって置換された宗教」(農民芸術概論綱要)、「科学に威嚇されたる信仰」、科学によって萎縮させられた宗教を蘇生させよう、もって「歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画」したのである。

「心象スケッチ」は単なる心理学の範疇のものではない。宗教性を帯びたもの、あるいは法華経の信受にかかわるものとして読み取るべきものである。(P29)

 

 
            *            *

 

 

 

宮沢賢治 『春と修羅』

 詩「春と修羅」の分析です。

 著者は3つのキーワードがあるといいます。「修羅」「まことのことば」「そらのみぢんにちらばれ」

 

 ここでは修羅論として、

  萩原昌好、小野隆祥、福島章、中村稔などの説が紹介されるのですが、著者はこういう考えを持ちます。

「おれはひとりの修羅なのだ」という表現の裏面には〈おれは菩薩たらんとして、いまだ菩薩たりえていない〉という意識がある。

 こんなことは、修羅についての大研究をするまでもなく、原文を一読して気づくことである。だが、これまで、誰もこのことを言ってこなかったのである。その現実がわたしにはまったく解せない不思議である。(P40)

 

 「まことのことば」

 については、法華経如来寿量品16に「諸の善男子よ、汝等は、当に如来の誠諦の語を信解すべし」とあるので「まことのことば」とはこの〈誠諦の語=法華経〉を意味するといいます。

 「そらのみぢんにちらばれ」

  は、これまでの分銅淳作や大塚常樹、栗原敦などの説では、「身体を粉砕して宇宙にばらまく」と解釈されてきたが、著者の理解では……

 法華経地涌出品15に「無数千万億の菩薩・摩訶薩ありて……」や、

 法華経分別功徳品17の冒頭に「微塵数の菩薩・摩訶薩ありて、百千万億無量の旋陀羅尼を得たり。また三千大千世界(全宇宙)の微塵数の……」とあることから、

……この地上のこの自己に執着していないで、この自己に拘泥していないで、自己(我)を超越し、いわば仏の使徒となって「全宇宙の、全衆生を救済せんとしてはたらいている微塵数の菩薩たちにこの身を加えよ」ということである。(P44)

 

 つまり詩のこれらの骨格の部分、〈詩の意味〉に重点をおいて詩を観賞しようとするものです。

 

 

 

 

 2章 『銀河鉄道の夜』の読解――トシ挽歌の系で読むということ 

  宮沢賢治 春と修羅

(リンクさせていただきました。感謝します。m(__)m )

 

トシ挽歌とは――

「無声慟哭」の三部作(「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」)1922・11・27

       二編「風林」「白い鳥」1923・6・3,4

「オホーツク挽歌」(「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」

             「噴火湾」)1923・8・1、4、4、7、11

春と修羅」補遺(収載されなかった遺稿「青森挽歌三」「津軽海峡

         「宗谷挽歌」)1923・8・1,、1、2

「薤露青(かいろせい)」(刊行されなかった「春と修羅・第二集」の遺稿)

薤露青

 

 この2章で著者がいっていることは、これらの挽歌を通じて、賢治はトシの死をどう捉えるか迷い、悩み、「自分がトシの死にばかりこだわっているのはよくない」という思いにたどり着いたということです。「トシの死も誰の死も平等」であるという考えに立たねばならないと気づいたことを解説しています。著者の結論はこうです。

 この物語(作品)の構想の端緒においては死者が妹トシだったと仮定すると、この物語はおそらく銀河鉄道に乗って死者(トシ)の所在を尋ねて行くというものだったのではなるまいか。だが、死者をトシからカンパネルラに置き換えることによって、銀河鉄道の旅はそれではおさまらなくなった。モティーフが「死者の所在」さがしから「ほんたうの幸福」さがしへと変移したのである。(P74)

 

3章 主人公の自己回復の物語――童話『セロ弾きのゴーシュ』の読解
  • 楽団の足をひっぱるほど下手だった セロ弾きのゴーシュが10日のあいだに上達する物語である。
  • 来訪者たちとの交流――動物たちはゴーシュの根にある特質を理解している。
  • 始めは厳しかったゴーシュの動物への対応は、〈傲慢 → 優しさ〉へ変化する。
  • 世俗に対して自信を喪失していたゴーシュは、自分を見出す。

 

  ゴーシュは、自分が自分の「特質」を見失っていたという反省に立って、ふたたび夜の来訪者たちと同属の者として、同じ世界で生きていこう、世俗的にはふたたび孤独に堪えて自己の「特質」(貧・弱にいて、無欲と優しさとを旨として生きる)をつらぬいていこうという決意をあらたにしたのである。(P93)

  これは単なる成長譚ではない、というのが著者の結論です。

 

4章 菩薩行への執心(「雨ニモマケズ」の読解)――(「デクノボー思想」論批判)

 宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕

  • 日付の問題。11・3 は天長節であるとともに、国柱会の設立記念日。
  • 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」は仏教でいう三善根(無貧・無瞋・無癡)を表している。

 

 デクノボーの解釈

 いろんなデクノボー思想というものがあって……

 分銅淳作は、「デクノボーになりたいという思想が不軽菩薩の精神と重なっている」と、するのだが、著者は――

……この「詩」のなかで第四段落の「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ」の部分だけが受身形の表現になっている。そこでこれを能動態(主語が、……されるでなく、……するという形)の表現にするには、「デクノボートヨバレ(ても瞋恨せず)/ホメラレモセズ/クニモサレズ(としてもけっして執着しない)」と「瞋恨セズ」や「執着セズ」を下に補わなければならないのである。(P122)

 と、主張する。

「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」というのは、

……自力で何事かをあしうると慢心することなく、但行礼拝の常不軽菩薩のように、ただひたすら法華経を信受し、信奉する者、ほかには何もしない、世俗的には何の役にも立たない、いわば「でくのぼう」ともいうべき真の信仰者、というほどの意味であろうと考えられる。(P142)

 と、捉えます。

  これまでの「雨ニモマケズ」のデクノボー中心の思索に対して著者は挑戦しています。

〈デクノボーになりたい〉というのと〈デクノボーでしかない〉というのは違うのです。

 

 

 

            *            *

 

  宮沢賢治に対する通説を紹介しながら、それとは違った著者の視点での記述は深く心に残りました。デクノボーの解釈に対しては、著者の分析の方が、詩を素直に読んでいる気がします。もちろん他の説の方も、賢治の法華経信仰を基にして言われていると思います。深読みする陥穽に陥ることのない、テキストに沿った解釈でよく理解できました。 

 

  

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。