日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

動画と、『宗教詩人 宮澤賢治』

 おはようございます。

 がれきの埃が左目に入って、腫れました。痛くて仕方がないので、眼医者さんに行ってきます。

 

 

 

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 賢治はなぜ法華経信仰に改宗したのか

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  法華経大乗仏教の最先端であったことがわかります。

 

 
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宗教詩人 宮沢賢治―大乗仏教にもとづく世界観 (中公新書)

宗教詩人 宮沢賢治―大乗仏教にもとづく世界観 (中公新書)

 

目次

はしがき

第一部 『春と修羅』の「わたくし」

1章 詩人宮澤賢治

  1まことのことばの詩人 2法華文学の創作

  3これからの宗教は芸術です、芸術は宗教です 4修羅の自覚

2章 『春と修羅』の序

  1序の主張 2宗教の位置の変換 3本体・実体の否定 4月天子・身心脱落

3章 現象の発生装置

  1本体論の場合 2法の理論・アビダルマの場合

4章 来世は存在するか

  1業・輪廻 2青森挽歌――とし子の転生 3無上道 4日本人の輪廻観

5章 現象の立場

  1妙法の生、妙法の死 2現象は生活である 3因果交流電燈

  4ひかりはたもち、その電燈は失はれ 5風景やみんなといっしょに

6章 賢治の人間観

  1透明な幽霊の複合体 2己心の一念三千 3末法末法の自覚

  4業の花びら――人間の実相としての業

第二部 「雨ニモマケズ」のデクノボー

1章 『雨ニモマケズ手帳』

  1『手帳』の発見 2『手帳』のなか 3「疾中」の思想

  4瞋恚(いかり)と反省 5童子嬉戯への反省

2章 『雨ニモマケズ手帳』と禅

  1賢治の禅修行 2『手帳』の禅語 3借損禅 4ヨーガの修行法

  5ヨーガか坐禅へ 6法恩寺追憶

3章 賢治と菩薩道

  1菩薩道とは 2観世音菩薩 3地涌の菩薩 4賢治と菩薩行

4章 常不軽菩薩

  1プールナの忍辱――常不軽菩薩の先駆者 2常不軽菩薩とは

  3賢治の常不軽菩薩

5章 デクノボー――賢治の人生観

  1詩「雨ニモマケズ」 2デクノボーの礼賛者たち 3批判者たち

  4賢治の願い 5きみにならびて 6経埋むべき山

あとがき

  目次を詳しく書くのは、その本に書かれたことが推察できるからです。目次は章や節の要約でもあります。

 

 これまで賢治を法華経信者と見た本を読んできました。この本では賢治を〈宗教詩人〉として穏やかに見つめます。

 目次にあるように、第一部では『春と修羅』においての〈わたくし〉の分析と解説、第二部では、「雨ニモマケズ」でいうデクノボーとは何か、を通して、宗教詩人としての賢治を描いています。

 

 


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 あとがきには、「一部で賢治の〈人間観〉を、二部で『雨ニモマケズ』の詩に表れた〈人生観〉を把握するように努めた」と書かれてあります。

 

 賢治はその前から童話を書いていたのですが、大正10年(1921年)家出し、国柱会の高知尾智耀に「法華文学の創作を奨められて」集中的に書くことになります。

 

 自費出版した『春と修羅』の詩を書いた期間は大正11~12年のあいだ、その「序」を書いたのは大正13年1924年)1月です。この本は、「序」を読み込むことで「わたし」というものをどう考えていたかを知ろうとするものです。

 

宮沢賢治 『春と修羅』


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

 

     大正十三年一月廿日

 


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 弟の清六氏によると、宮澤賢治は「この序文には相当の自信がある。これは後で識者に見られても恥ずかしいものではない」と語ったとのことである。(P27)

 

  宮澤賢治は森佐一への書簡にこう書いているそうです。

「私はあの無謀な『春と修羅』に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し、それを基骨とうたさまざまの生活を発表して、誰かに見て貰ひたいと、愚かにも考へたのです」(P29)

 

 それが、

1 わたくしという現象は有機交流電燈の一つの青い照明である。

2 わたくしという現象は風景やみんなといっしょである。

3 わたしくという現象はあらゆる透明な幽霊の複合体である。

                   という言い方になるのですが……

 

  つまり、「わたくし」というのは「現象」である、と言っているのがキーワードなのです。それは大乗仏教の〈無我〉ということです。

 この序で……賢治にとって現象がほんとうの姿で、自我は本体として存在しない、と主張しているといいます。それがこの後に続く、

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが

という文章なのです。 

 なぜ海胆が出てきたのかというと、当時の進化論者ヘッケルの弟子、ドゥリーシュが行った海胆を使った実験が念頭にあったからだといいます。ドゥリーシュは一個の海胆の卵から多数の海胆を発生させ、逆に多数の卵から一個の海胆が発生することを実証したということです。

 

 賢治は、科学がいつかは〈自我〉や〈心象〉の秘密を解明するだろうと思っていたようです。

 

 ここで、著者はインド哲学での本体論や実体論をの考え方を解説します。

 また輪廻というものがインドではどう考えられてきたかを述べます。

 

春と修羅』では青森挽歌や噴火湾ノクターン)で、とし子の転生が歌われています。

 青森挽歌のこの部分――

ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか
むかしからの多数の実験から
倶舎がさつきのやうに云ふのだ
二度とこれをくり返してはいけない

 これは小乗仏教の『倶舎論』のことをいっています。

 この論書では、インド諸哲学のように不滅の霊魂=アートマンという実体である私が輪廻転生することは認めないが、私という現象の転生を説く。「わたくし」という現象は、今生で行なった業の報いとして死後再び別の境遇で、もし天界に転生すれば、神の「わたくし」という現象として生存し、あるいは動物に生まれ変われば、「わたくし」という自覚はないかもしれないが、その動物の「わたくし」という現象として継起する、というのである。

 賢治が先ほどの引用のなかで「薔薇いろをそらにかんじ」「感官をかんじ」「羅をかんじ」といっているのも現象の輪廻転生であることが本当に分かり、転生するとしても、現象の転生でしかあり得ないことが本当に身についた考えになっていたからであろう。

 彼はこの『倶舎論』の理論を真摯に研究したようである。しかし彼はそれを真理とは認めなかった。(P68)

  なぜならこの後にこう書かれているからです。

あいつはどこへ堕ちようと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ

  無上道――この上ない根源的な悟りである仏の悟りを拠り所とした菩薩。

 

 

 この本では大乗仏教の考え方を解説しつつ、賢治の詩を読み解いています。大乗仏教と賢治の詩とのあいだを行きつ戻りつします。

 

 まとめるとこういうことでしょうか。

「わたくし」という現象としての因果交流電燈はせわしく明滅しながら、この『春と修羅』の心象スケッチを生み出します。

 

 

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宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕

 

 P182に『雨ニモマケズ手帳』に書かれてある詩が載っています。

 それは三歳の姪が咳をして泣いているのを病床で聞いて、「その病苦を自分の身に移してほしい」と訴えている詩です。「賢治と菩薩行」の節です。

 

 第二部の4章は「常不軽菩薩」について書かれています。

 その「3賢治の常不軽菩薩」で手帳に書かれた漢詩が掲載されています。これで賢治が常不軽菩薩について思い巡らしていたことがわかります。

 それが詩の中で「デクノボー」になって表現されたのです。

 

賢治が「雨ニモマケズ」で願ったのは知の慢心、奢りを去ったときに、本当の賢さが知のなかに実現することであった。彼は決して「無心」ではない。彼ほど「有心」の人を知らない。彼は時に冷ややかなとさえ思われるほど厳しく自分を見つめ、すべてを見つめている。(P216)

 それは彼が臨終に際して、法華経を埋経するように頼んだことにも表れています。法華経によって人々を教化、救済しようと努力してきたことが、自分の増上慢であったという反省に至ったということが、手帳のP151~152に書かれた細かい文案からわかるのです。

 


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  この本を読んで、「宮澤賢治はほんとうに宗教的な詩人だったんだな」とわかりました。法華経の教えを真っすぐに生きたことが理解できました。

 

 また他にも宮澤賢治法華経についての本を借りているので、続けて読んでいきます。 

 

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。