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『宮沢賢治と法華経――日蓮と親鸞の狭間で』を読んで

 おはようございます。

 天気予報では9月になると少しは暑さも和らぐようです。というより台風21号がやって来る。 

tenki.jp

 非常に強い台風のようです。

 台湾も水浸しになっていますし、環太平洋の国々は地震と台風でたいへんです。自然をうまくコントロールする方法なんて見つからないのだろうけれど……

 

 

 

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宮沢賢治と法華経―日蓮と親鸞の狭間で

宮沢賢治と法華経―日蓮と親鸞の狭間で

 

 目次

序文

1章 『銀河鉄道の夜』の言葉と『法華経』の思想

  1「銀河」 2「地図」「切符」 3「みんな」「いっしょに」

  4「さびしい」「かなしい」「つらい」 5「どこまでも」 6「ほんとう」

2章 『ビヂテリアン大祭』にみる仏教的エコロジー

  1大乗的同情派のベジタリアン 2ベジタリアンの間接的な暴力性

  3人間・動物・植物の連続性 4同情の階層 5同情の進化 6自然の改造

3章 宮沢賢治における法華経信仰と真宗信仰――共生倫理観をめぐって

  1家庭の真宗信仰に関する受容と反発 2本覚思想の光と影 3共生主義の確立

  4自己犠牲の共生倫理 5自己即宇宙の共生倫理

  6「雨ニモマケズ」にみる多様な共生倫理の並立

  7諸宗教間の共生という問題――『銀河鉄道の夜』を題材として

4章 日本仏教からみた「共生」――宮沢賢治を例にとって

  1自己犠牲的な共生観 2自己拡大的な共生観

  3絶対一元の世界における「他者」

 仏教と共生――むすびに代えて

5章 『法華経』の共生思想

  1自由自在 2すべてを生かす力 3『法華経』にみる共生

宮沢賢治の葛藤――「あとがき」に代えて

 

 
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  序文にはこう書かれています。

 私が本書を書いたのは、以上のように「真宗的」「体験的」「寛容的」な宮沢賢治法華経信仰の実像を、多くの人に知ってもらいたいからである。簡単にいうと、賢治の法華経信仰には「癖」がある。この癖を、教えからの逸脱とみる人もいれば、個性的な解釈と捉える人もいよう。あるいは、本質の開示と讃える人がいてもおかしくない。

 「真宗的」なのは宮沢賢治の生家は篤い浄土真宗の信仰を持っていたからです。賢治は生育の過程で「体験的」に信仰を身につけのです。じっさい、16歳の賢治は――「歎異抄の第一頁を以て小生の全信仰といたし候」(P187)――と父宛の手紙に書くほどでした。

  それが18歳の時に島地大等の『漢和対照 妙法蓮華経』と出会い、法華経信者になります。その法華経の主張は「すべてが法華経の真理が表れたもの」と捉えるので、それは絶対的な「寛容」となる。

 

 賢治からすれば『法華経』こそ絶対的に寛容な教えである。そこは、上下とか優劣の見方を超えた妙の世界となる。キリスト教も、念仏も、本当のところは『法華経』である。だから、『法華経』の真理に目覚めさえすれば、あらゆる宗教の対立はなくなり、人間と人間が真にわかりあえる。賢治は恐らく、こう考えていただろう。他者の信仰を認めたいがために自己の信仰の絶対性を主張する。この逆説が、賢治の信仰の論理を読み解く鍵となる。

 

 「真宗的」「体験的」「寛容的」であった宮沢賢治法華経信仰にせまります――

 


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 1章は『銀河鉄道の夜』を、

  1「銀河」 2「地図」「切符」 3「みんな」「いっしょに」

  4「さびしい」「かなしい」「つらい」 5「どこまでも」 6「ほんとう」

というキーワードから読み解いています。

 

 銀河鉄道は死者を乗せた列車で、ジッバンニが悲しみを克服し他者への献身を決意する物語です。

 ただ、「法華経的な精神が本来発すべき、現世肯定のおおらかさや菩薩道の逞しさに欠けている」(P6)

 通底音として流れるのは「さびしい」「かなしい」「つらい」であり、それは真宗的な救済を望む態度だと著者はいいます。法華経的な〈煩悩即菩提〉という現実肯定の力に欠けている……自己否定や自己犠牲の方に偏っている。

 ただ、法華経は譬喩が散りばめられています。

 譬喩というものが、頭でなく心でわからせるためにあるならば、『銀河鉄道の夜』はそれ自体が美しい譬喩になっている物語といえる……と、P83に書かれています。その通りだと思います。

 宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』で死者を悼み「ほんとうの幸福」を探す旅を描きました。 

 1~6までの言葉をキーワードにして、法華経の観点から分析し、また真宗的な描かれ方をしたところを指摘する詳細な論考でした。納得できました。

 

 

 
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 2章の『ビヂテリアン大祭』の分析、解説がおもしろいです。

 賢治はベジタリアンだったのですが、その主張が童話に書き込まれているのです。ここではその論争が、

  1大乗的同情派のベジタリアン 2ベジタリアンの間接的な暴力性

  3人間・動物・植物の連続性 4同情の階層 5同情の進化 6自然の改造

 これらの項目で分析されています。

 

 仏教徒の賢治にとってベジタリアンであるかどうかというのは生き方に直結する問題でした。

……人間といい、動物といっても、無限の輪廻を繰り返す生命の存在形態の異なりにすぎない。よって人間も動物 も命の価値において平等だ。そこで、肉食系の生物が功利主義的な命の計算によって犠牲となるべきなら、同じく生物を食べる人間自身も「需要があれば絶対に食われることを避けてはいけない」という。これが賢治の理論である。(P142)

 ここでも賢治の見方は自己犠牲的です。命を同じようにみる。

 

『ビヂテリアン大祭』のプロットではいろんな人が考えを述べ、論争に参加するのですが……5の「同情の進化」の項がおもしろかった。著者は賢治の執筆動機をこう書いています。

……賢治は、人間の同情心を宇宙大に広げゆく宗教として日蓮法華経信仰を捉えていた。そこから、人類が一切の生物を平等に尊重してエコロジカルな責任を担い立つ文明の到来を望み、『大祭』を執筆したのではないかと推察される。この推察は、後に書かれた『農民芸術概論綱要』に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」とある点からいっても、あながち的外れではないと思う。(P167)

 

  
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「3章 宮沢賢治における法華経信仰と真宗信仰――共生倫理観をめぐって」も、多くの示唆に溢れたものでした。

 かくのごとく比較してみると、賢治の自己犠牲は、真宗的な自己の罪悪視に基づく自己否定的な救済者信仰だったといわざるをえない。国柱会入会後の賢治は、実は彼自身の真宗的精神性である自己犠牲的な救済者信仰を日蓮法華経信仰を通じて宗教的に信念化し、そこから法華経的な万物共生の理想を目指していったわけである。その意味で、賢治の文学作品においては真宗的な救済者信仰を背後に潜めた自己犠牲の共生倫理が声高に唱えられたといっても過言ではないだろう。(P202)

 


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 宮沢賢治は37歳で亡くなりましたが、多くの人々に影響を与えています。

 この本では賢治の浄土真宗的な面を掘り下げることで、かえって法華経信仰を際立たせているようです。常不軽菩薩=デクノボーとして〈自己〉を引き受けた生涯だったんだな、と思いました。

 

 

 

 

  

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。