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『法華経を生きる』(石原慎太郎 幻冬舎1998年)を読んで

 おはようございます。

 朝夕はだいぶ涼しくなりました。窓を開けて寝ると途中で寒くて目が覚めてしまいます。季節が移り替わるのは早い。お盆も過ぎました。

 すべての人の暮らしが平穏でありますように。

 尖閣諸島周辺に大量の中国漁船が押しかけて来ているようです。

 やくざな人たちに対処するには、いざという時のことを考えないといけないのです。相手がこちらのことを思いやってくれることはないのですから。

 

 

 

 

            *            *

 

  石原慎太郎さんがこのような本を書いているとは知りませんでした。もともと、若い時に『太陽の季節』を読んだくらいで彼の本は読んだことがありませんでした。

 保守政治家の顔を持っておられていたので、敬遠していました。先入観かもしれません。

 この本を読んで、法華経というか宗教をまじめに考えておられるのがわかりました。「人生、いろいろあるのだなあ、外から見ているだけではわからないな」という気持ちになりました。 

 家族や先祖を大事にされているのも知りました。

 東京都知事選をきっかけに霊友会の会長に師事されているのも告白されています。新興宗教を先入観を持たずに見れば、それも特別なこととはいえないでしょう。

 

(家族のことが書いてあるので、ぼくのように若い時から家族から離れて生きてきた者は救われないな、と反省する気持ちにもなりました。自分はどう生きていくか、探さねばならない気持ちになったのです)

 

 

法華経を生きる (幻冬舎文庫)

法華経を生きる (幻冬舎文庫)

 

 目次

序章 私と法華経

1章 誰でも哲学せずにいられない

2章 『十如是』とは何か

3章 わが身の周りに起こったことの理

4章 生きている死者

5章 信仰への鍵

6章 宇宙と人間

7章 人間が生きて在る、ということはそも何なのか

8章 時間とはいったい何なのか

9章 釈迦が示した人間としての極限最高の境地とは

10章 仏性への道

11章 『実相』とは何なのか

12章 人間は永遠なのだ

あとがき

 


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〈あとがき〉にこうあります。

 そして仏の教えが他の宗教と歴然として違う点は、あくまで自分を救うものは自分自身でしかないのだという、ある意味では実存的な、自分自身の人生から逃げも隠れも出来はしないのだという、それゆりに力強い根本原理に成り立っているところです。(P316) 

 そうだと思います。仏教は自立のための教えです。

 そしてさらに、人間は決して一人ぽつんとこの世に在るのではなしに、私たちがここにこうして生きて在るということのために、遠い祖先からずうっと先の子孫までが関わり合っているのだということを知ることで、どれだけ勇気づけられ、自分自身に対する責任を、ということは自分を与え自分に繋がってある者たちへの責任を覚り、そう覚ることで見えなくはあっても自分に深く強く繋がる先祖や子孫という、血の繋がる者たちからの助力応援を得ることが出来、一人であくせくするよりもどれほど楽に進むことが出来るかということを教えてくれているのです。(P317)

  協働・共感……できればいいのですが。

 たしかにそれが仏教の〈教え〉だと思えます。

 

 この本に何度も書かれていることですが、死んでいった死者たちを思い、残された者が良い方向を選択できるように生きていく……その責任の自覚を持つことが、宗教的な営みだと思えるのです。

 

 この本は、個人的なエピソードを綴り、法華経に書かれていることを巡ったエッセイです。『プレジデント』に、1997年6月号~1998年5月号まで連載されたものに加筆したということです。

 哲学的な解説もありますが、「自分にとって」という視点から書かれているので、個人的な体験のエピソードがたくさん出てきます。それで、素直に読めました。思ったことや、考えたことがそのまま表現されている。

 

 人間の「存在」とは何なのか。親から名前をもらい、自分がこんな自分としてこの世に生まれて在る、ということの意味、その訳、について知るということ。(P11)

  が出発点です。

 それが信仰に結び付く……強い縛りではなくとも、父の死や子供の誕生を通じて、生きていることを自覚し、迷いながら生きる人間というものを考えること。そのことで……宗教的なものを身近に感じる。著者の体験から考えたことが書かれています。

 


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2章 『十如是』とは何か

6章 宇宙と人間

7章 人間が生きて在る、ということはそも何なのか

8章 時間とはいったい何なのか

10章 仏性への道

11章 『実相』とは何なのか

  の項目は哲学的なことや、お経に書かれたことについて考えています。

 

 著者の〈十如是〉についての理解はこうです。(P42~)

相……そこにあるものの本来の姿

性……生来の性質

体……そうならしめている遺伝子のようなもの

力……目に見えない力

作……力がもたらす作用

因……原因

緣……条件とか偶然も含めた機会

果……結果

報……結果はそれにとどまらず何かを残すこと

本末究竟等……これらの9つの要因がからみあっているという法則

  

 石原慎太郎さんは物事を見つめるときに、この十如是を基本に考える、と書かれています。宗教的な態度なのだといえるかもしれません。

 


            *            *

 

 

 無量義経の中で大荘厳菩薩が仏を讃える歌の中で述べている、人間の在り方の極致としての『仏性』、仏の本性とはいかなるものなのだろうか。(P211)

  こう書かれた後にはお経の原文が載っています……

 

 究極のものというのは個人の体験を超えてある。個人的なものはそれに至るきっかけに過ぎないと、石原慎太郎さんは考えているようです。また、お経をその言葉通りに素直に受け取っているようです。

 

「10章 仏性への道」では、〈四諦〉と〈六波羅蜜〉を語っています。

 

 釈迦は他の人間たちの及ばぬほど激しく厳しい修行をくり返した人ですが、あの時翻然と、それまで続けていた、死にもいたりかねぬ禁欲的な厳しい修行を止めてしまいました。その訳は恐らく『中道』『中諦』に対する覚りのゆえにでしょう。そしてその直後の高弟たちへの説法で、「この世には近づいてはならぬ二つの極端がある。私はそれを捨てて中道を覚ったのだ」

 と告げています。

 それはいい換えれば、釈迦がそれまで続けてきた禁欲的な激しい苦しい修行と、それと対照的な享楽主義からの離脱であって、さらに演繹すれば、仏教でいう現象一般の二つの資質、『仮』と『空』からの離脱ともいえます。(P246)

 

  この質問の回答が興味深いものでした。リンクさせていただきます。

「空観」「中観」「仮観」についてわかりやすく教えていただけな... - Yahoo!知恵袋

 

 

 

            *            *

 

 

  この本は著者の体験を交えて宗教=法華経への思いを綴ったエッセイで、著者の考えがよくわかり楽しめました。弟の裕次郎さんのこともすこし書いてあります。

 宗教といっても、それぞれ個人が受け止めて、それを活かしてゆく……そういうものなんだなと思いました。

 いままで、石原慎太郎という人は保守の政治家と片付けていて興味がなかったのですが……こういう面を知ることが出来てよかったです。お互いに年を取ったからこそ、わかりあえる境地になったということでしょうか。年を取ると、反省することが多くなる。

 

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。