日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。後悔ばかりの人生でしたが、それもしかたがないことです。〈初期仏教〉を信じているので、なんとか暮らしています。訪問していただいて感謝しています。ありがとう。<m(__)m>

『信じない人のための〈法華経〉講座』

 おはようございます。

 曇り空です。いまは5時過ぎですが光が射していません。天気予報をみると、雨の一日のようです。落ち着いて暮らせよ、という天の思し召しなのでしょう。あまりお酒を飲まずにいたい。 

 

 

 

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  世の中にはいろんな動きや事件があります。考え込んでしまうこともあります。

 でもいまは、法華経のことを学びたい。それでいろんな本を読んでいます。

 

信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)

信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)

 

目次

はじめに

1章 法華経へのイントロダクション

2章 法華経のレトリック

3章 油断ならない法華経

4章 法華経のゆくへ

 

 
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〈信じない人のため〉に、「法華経とは何か」について書かれています。普通の人の視点で法華経を見てみる、それで文章がおもしろい。信じる、信じないは自由なのです。

 1章 法華経へのイントロダクション
  • 法華経を代表するのは「観世音菩薩普門品第二十五」です。観世音菩薩がすべての災難や困難から救ってくれるというお経です。
  • また法華経は〈父としてのブッダ〉が子を救う話でもあります。それは「火宅の子 譬喩品第三」や、「長者窮子 信解品第四」などに表れています。
  • 「家出息子の帰還」は同時代にできたキリスト教の聖書にも出てくるお話なので、なにか共通の民間伝承があったのかもしれません。

 

 いずれにしても「人間は、自分だけでは自分を救えない」という認識があり、3大世界宗教といわれるものが広まっていった時代のようです。

 

 歴史を500年ずつ見ていくと、その流れが見えてきます。

BC500  0  500   1000   1500   2000

 BC500年には人類の歴史に影響を与えた思想、哲学が出てきた。インドではバラモン教ギリシャではソクラテス、中国では孟子孔子

  小国、都市国家ができて……王国や帝国が現れる時代へと移ってゆく。

 

 そんな時、お釈迦さまは、「どうすれば苦を取り除くことができるのか」という問題意識を持ち、修行して、 

一切皆苦 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静」という認識にたどり着きます。

 

 お釈迦さま入滅後、500年が経つ頃に大乗仏教が興ってきます。その特徴は……

  1. 自利利他
  2. (在家・出家)をまとめる教理
  3. 賢愚・善悪、隔てなくすべてを救うという教え
  4. 仏身論――仏陀とは何かという考えの発達
  5. すべての人が菩薩になるという考え方

 

「すべての衆生は成仏できる」という大衆救済運動としてあったのです。

 

2章 法華経のレトリック

 大乗仏教は「みんなブッダになれる」という思想です。

 P68には、法華経20章の「常不軽菩薩」のエピソードが語られているのですが、成仏することと、人に対する敬意とが結びついている物語です。

 常識的に考えれば人間には差別と序列があるのが常態です。法華経は、そういうものを吹き飛ばした視点で〈成仏〉を考えていることがわかります。

 

 P73には法華経の特徴がまとめてあります。

  1. 統一的真理としての一切衆生の成仏のテーゼ
  2. それを奉じる菩薩としての自覚(具体的イメージは地涌の菩薩)
  3. それを保証してくれる久遠のお釈迦様という仏への信仰

 そしてこれらを自己啓発セミナーを思わせる巧みなレトリックと作劇法とをもって読者にインプットする、「読者をその気にさせる」テキストとなっている。

 これによって、大乗の基本的メッセージ――「自利・利他のおおっぴらな活動を通じて、みんな手に手をとって苦を超克していこう」――が軌道に乗せられることになります。

 これが法華経の底抜けのどんぶりパワーであり、心のねじを次々と巻いていくレトリカルなフォースなのです。(P74)

  レトリックとドラマで信仰を盛り上げる。

 

 P78~83には法華経の構成図が書かれています。その作劇の分析。

 A 序品

 B 寓話のエピソードが描かれ(法華七喩」)、五百弟子受記品第八、授学無学人記品第九までが声聞相手の説教です。

 

C はスペースオペラ、多宝塔が出現し、神話的ヴィジョンに移行します。

 法師品第十

 見宝塔品第十一

 提婆達多品第十二

 勧持品第十三

 安楽行品第十四

「みんなブッダになれる」という信仰を抱くことが最大の課題になります。

 

 

D 地涌の菩薩が現れ、久遠の釈迦が明らかにされる章です。

 従地湧出品第十五

 如来寿量品第十六

 分別功徳品第十七

 随喜功徳品第十八

 法師功徳品第十九

 常不軽菩薩品第二十

 如来神力品第二十一

 嘱累品第二十二

 

 地涌の菩薩はお釈迦さまが教化した弟子たちです。そして私たちも遥か時間はかかるのですが菩薩になれる、と宣言されます。

 

E は付録です。それぞれ独立したお経になっています。

 薬王菩薩本事品第二十三

 妙音菩薩品第二十四

 観世音菩薩普門品第二十五(観音経)

 陀羅尼品第二十六

 妙荘厳王本事品第二十七

 普賢菩薩勧発品第二十八

 

法華経の構成はこうなっていたのです。まさしくスペースオペラです。

 


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 方便品第二でお釈迦さまは重要なことを語ります。それは「一仏乗」の教えです。

 私のブッダとしての唯一の大仕事(一大事因縁)は、この一仏乗の真理――声聞・縁覚・菩薩の別う超越してみなブッダになれること――を知らしめて、実際にみんなを成仏させることにあるのだ。(P90)           

 

 法華経は、〈法華経を大乗の最高の経である〉とするお経ですから、誰がこれを受け継ぐかが最大の争点です。それが法師品第十と見宝塔品第十一に描かれることです。

 

 提婆達多品第十二で描かれる竜女の成仏は、女子も成仏できるということ――つまり、当時あった女性差別を否定しています。これは救済が限りなく拡大されたということを意味します。

 

 常不軽菩薩品第二十では菩薩は成仏してお釈迦さまになりました。われわれも悟りを開きブッダになれる、ということを表すエピソードです。 ここに法華経のが持つ新しさがあります。

 

  

 3章 油断ならない法華経

 ここでは法華経のはらむ問題点が指摘されています。

 法華経は万人救済を説いた有難いお経であるというのが定説となっていますが、しかし、一面において法華経は「信じる者」と「信じないもの」との差別を強調しています。このあたり、信者に優しく、離反者に厳しい一神教のロジックに似たものが感じられます。

 そう考えてみれば、法華経の提示する「近成は方便で、遠成が真実だ」という二段構えの神学は、キリスト教における「神の絶対性と人間の自由意志」のテーマに近いところにあると言えるかもしれません。

 というのは、お釈迦様は絶対の救済者として常に存在しているにもかかわらず、それを実際に信じて救済の薬を飲むか飲まないかは、私たち人間の自由意志にまかせているからです(如来寿量品の良医病子の譬喩を参照のこと)。薬を飲む者――法華経を信じる者――は救済の福音を得るでしょう。薬を飲まない者は、いつまでたっても苦界に喘ぐままでしょう。(P139)

 

 日本では一切衆生の成仏可能性といわゆる仏性説にヒントを得て、救済についてどこまでも楽天的に考える伝統がありましたが、どんな理屈をたてたところで、転落が世の(個人的・社会的な)現実であり続ける以上、いつまでもお父さんに甘ったれているわけにはいかないはずです。

 自由行動がすべてハッピーエンドにつながるなんて倫理は、論理的にあり得ないでしょう。救済と絶望の緊張関係は、未決のままに続きそうです。(P141)

 
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 自ら苦を背負わなければ、苦は本当には解除されない。好むと好まざるとにかかわらず、それが世界の現実である。(P148)

 ここでは著者は〈成仏〉について話をしているのですが、たしかに「みんなブッダになれる」ということは俄かに理解しがたいことかもしれません。

 親鸞浄土真宗では〈すでに救われている〉と考えるようですけれど……

 

 

 

 いずれにしても法華経は声聞の授記を描くことで、小乗vs大乗の対立を……それまでの仏教を総括しているのです。

 

 

4章 法華経のゆくへ

 P176から書かれている「東へ西へ」の項目のなかで、〈一念三千〉の解説があったので、書いておきます。

「一念」とは私たちの一瞬の心のことで、ミクロの主観です。「三千」とはマクロ宇宙の全体構造のことで、十の世界(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)が存在カテゴリーとしての十如是を介してそれぞれに十世界(地獄から仏まで)を重ねて備え、かつまたそのすべてが仮の主体・その構成要素・その環境の三条件をもっているということで、十かける十かける十かける三の「三千世間」があるとされています。で、このミクロの中にマクロがある(したがって私たちの心も地獄やブッダに接触点をもっている)と観想することがブッダに至る実践方法となります。これはつまり、「みんなブッダになれる」という法華経の主張の哲学化でありかつ修行法の理論的出発点であるわけです。(P181)

 

十如是

 

 

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  法華経を信じる、信じないのあいだを結ぶ論説であり興味深かった。アカデミックな視点から語っているので、幅広い知識のあいだを自由に行き来しています。学問的な解説なのですが、饒舌態で語っています。おもしろく読めたのですが…… ときにうるさく感じます……著者の視点は新鮮に思えました。

 

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。