日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。後悔ばかりの人生でしたが、それもしかたがないことです。〈初期仏教〉を信じているので、なんとか暮らしています。訪問していただいて感謝しています。ありがとう。<m(__)m>

『法華経の真実』を読む

 おはようございます。

 多少、暑さも弱まったでしょうか……それでも蒸し暑いです。

 お盆ですね。亡くなった人の魂が帰ってきて、また戻る。僕たちを見守る人たちがいる。そう、素直に思いたいものです。

 

 

 

 

            *            *

 

 法華経について学んでいます。

 ひろさちやさんの法華経の解説本です。

 

<法華経>の真実

<法華経>の真実

 

 目次

1 大乗仏教 vs 小乗仏教

2 釈迦の本心

3 菩薩とはどういう人か?

4 存在と現象

5 釈迦という〈存在〉

6 父親としての釈迦

7 「信じる」ということ

8 仏に心を向ける

9 竜女の成仏

10 悪人の成仏

11 願生の菩薩

12 仏に向かって歩む

 

 ひろさちやさんは法華経をどう捉えているか。  

 法華経には「諸法実相」や、「久遠実成」という概念が登場してきます。

 

 

1 大乗仏教 vs 小乗仏教
  • 法華経が作られたのは釈迦入滅後500年ぐらい。紀元後50~150年で、『サッダルマ・プリンダリーカ・スートラ』を原典として訳されたものである。
  • 釈迦が入滅後、サンガを形成していた声聞と、一人で山林で出家修行していた縁覚とがいた。
  • そこに大乗の菩薩思想が起こってきた。
  • 小乗は自分の力=修行によって阿羅漢を目指した。それに対して、大乗は自利利他の菩薩道を提唱した。

 

 ひろさちやさんは言います。

 ましてや、小乗仏教はのちには二十の部派に分裂しました。分裂すれば、それぞれの部派が自分たちの都合のよいように解釈をし、口伝を変えていきます。いや、これは逆ですね。解釈の違いによって部派が分裂するのです。そうすると、本来の釈迦の教えが何であったのか、われわれに分からなくなってしまいます。

 日本の学者のうちには、小乗経典を「仏説」としてえらく持ち上げている人が多いのですが、わたしはそれはおかしいと思います。わたしは、小乗経典は相当に釈迦の教えを歪めていると思います。その点では、『法華経』が口を酸っぱくして、

――小乗仏教は駄目だ! 小乗仏教は釈迦の本心をまったく分かっていない――

 と言っていることに大賛成です。(P25)

 

 法華経小乗仏教を否定するお経ということです。

 大乗仏教は小乗を否定するところから成立しました。小乗仏教は釈迦の教えを歪めている――と考えたからです。

 P26~には法華経の序品を取り上げていて、こう書かれています。

声聞を求むる者のためには、応ぜる四諦の法を説き、生老病死を渡して涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者のためには、応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩のためには、応ぜる六波羅蜜を説き、阿耨多羅三藐三菩提を得て一切種智を成ぜしめたもう。

 

2 釈迦の本心

 小乗仏教は釈迦を「悟った人間」とみた。大乗仏教は釈迦を仏、如来とみる。

 小乗仏教は、「釈迦はわれわれを阿羅漢にしたいのだ」と思った。釈迦と同じような聖者になることを目指した。

 法華経は「彼らは間違っている」と主張します。

 釈迦世尊は仏・如来であると信じるので「人間世界で聖者になる」そんなちっぽけな理想は釈迦の本心ではないといいます。

  

3 菩薩とはどういう人か? 

  大乗仏教においては、「悟りを求める人々」の意。つまり未来には仏になる人です。

 釈迦は「みんな仏の子である」という。

 そして方便を用いて仏の方に導く。

 

4 存在と現象

P73には――「人間には仏の悟ったことは理解できない」と書かれています。

 方便品はそう説いているからです。

P74――

 法華経は「信」の仏教を提唱している。仏や如来を信じるということです。それに対して、小乗は「行」の「自分の修行」の仏教だったのです。

 

P75

「諸法実相」について

釈迦は、「すべての事物の真実の姿は、仏だけが認識できる」と言ったあと、それを……

〈謂う所は、諸法の是くの如きの相と、是くの如きの性と、是くの如きの体と、

是くの如きの力と、是くの如きの作と、是くの如きの因と、是くの如きの縁と、是くの如きの果と、是くの如きの報と、是くの如きの本末究竟等となり〉

 と言っています。

 これが「十如是」と呼ばれるものです。

 P79~89まで〈実相〉についての解説が続きますが……ほんとうは私たちには「わからない」のだから、今ある姿が実相と考えたほうがいいのです……

 細かい理屈はそういうことを考える人たちにまかして……

 P86――

 物事の諸法の因縁は人間にはわからない、諸法の実相は人間にはわからないということだと思うのです。

 

 そういうことで、法華経は〈信ずる〉お経になっている、といえるのではないでしょうか。 

5 釈迦という〈存在〉

 釈迦という存在は何か――この本のテーマともいうべきものです。

 現象としての釈迦は80歳で亡くなりました。それは法華経からすれば、見せかけとしての釈迦の死です。

 ここで存在としての釈迦が出てくるのですが、法華経でいう〈久遠の仏〉としての釈迦です。(P104)

 このイデー(理念)が、小乗からの転換となっている。 

 

6 父親としての釈迦

 また法華経では、〈父親〉としての釈迦像が描かれます。

 それは「長者の子の喩」や「良医病子の喩」によって表されます。

 

 7 「信じる」ということ

 法華経は〈信じるお経〉なのです。

 それは親鸞の〈信心〉の気持ちと通じ合うものがありと、ひろさんは言います。

 

8 仏に心を向ける

 P161には「信じること」とはどういうことか、について書いてあります。

 サンスクリット語で――

シュラッダーは、信忍と訳される。知的な〈信〉です。

プラサーダは、心澄浄と訳されます。これは情緒的な信の在り方です。

 

 法華経では信解という訳がされています。それは、日本では信じることと、理解することと思われています。

 羅什がなぜ〈シュラッダー〉を〈信解〉と訳したかといえば、いま解説したうに、われわれは信じる――仏を信じる・『法華経』を信じる――ことによって、教えの理解が深まる、「信」にはそういう作用があるからでしょう。信によって理解が深まる、だから信解です。(P162)

 

9 竜女の成仏

 提婆達多品に――竜女成仏――が描かれています。

 シャーリープトラが信じないので、変成男子と姿を変えるのですが、これは当時、女性は仏になることができないと思われていたことを表します。

 サンスクリット語のボディサットバ(菩薩)は男性名詞です。女性は菩薩になれない。

 そういう時代背景があって、男子に変じる物語ができたのです。 

 法華経はすべての人が仏になることができるという、菩薩思想を表現している。

 

10 悪人の成仏

 ダイバッタ=悪人説は小乗仏教がこしられた伝承だったのではないでしょうか。

 たぶん主流派である小乗仏教教団とは別に、「提婆達多をリーダーとする教団」があった。分派闘争のようなものでしょうか。歴史はついも主流派によって都合よく書き換えられる。

 

11 願生の菩薩

 法華経のいうところは、わたしたちは願って娑婆に来た菩薩であるということです。

 みんなが菩薩である、それが法華経がいうことです。 

 

12 仏に向かって歩む

  菩薩とは、仏に向かって歩んでいる人です。求道者です。わたしたち仏教者はみんな菩薩なんだから、みんなが観世音菩薩です。(P273)

 

 

 あなたは志願して、極楽世界からこの娑婆世界に、苦しみ・悲しみ・悩むためにやって来たのです。

 仏教では、それを、

――願生の菩薩――

 といいます。業の報いではなしに、みずから願って苦しみの世界に生まれた菩薩という意味です。

 だから、わたしたちはしっかり苦しみましょうよ。しっかり悩みましょう。しっかり悲しみ、涙を流しましょう。(P241)

 

 

 

            *            *

 

 ひろさちやさんがいう法華経の真実がわかったような気がします。

 それまでの仏教からの、視点の、見方の大転換――それが法華経だったのですね。

「みんなが菩薩なのだ」という言い方は魅力的です。 

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。