日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することが多かった人生ですが、しかたがないです。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいて感謝しています。m(__)m

自分のための処方箋

 おはようございます。

 暑い日が続きます。できるだけ図書館に行くようにしていますが、自由にできないのも性に合わないので  ^^) うーん、考えてしまいます。涼しい公園など近くにあればいいのですが。

 

 

 

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 自分が救われるような思想=考え方を探して仏教の本を読んできたわけですが……けっきょくは、自分がどう生きていくのかにつきます。

 

……自分と同じように、他人にも優しくすること。思いやりを持つこと。すべての宗教の教えはこれだと思います。他人も自分と同じように扱えば、憎んだり怒ったりすることはなくなるし、自分にするように優しくできる。 

 仏教も、他の宗教も、そういうことを教えています。「みんなが家族」なのです。

 

 他人と自分を隔てるA・T・フィールドはいらない。そうすれば自由になれる。 

 自分を救うのは分け隔てのない心です。もちろん、悪人からは自分を守らなければなりませんが……

 すべては単純でシンプルなことなのです。

 悪をせず、ズルをしないで、正直に生きていくこと。

 修行して悟りを得らなければならないことよりも易行ですが、それが難しい。

 


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  この本は前にも読みました。まとめも書いた気がします。でも……何度でもいいのです。いい本は何度でも読む。

 表紙に書いてある「頭で考えずに、もっと五感を使おう。すると、イライラや不安が消えていく――」の言葉に惹かれます。

 

 ぼくらはあれこれと思い悩み過ぎなのです。それで、〈思わないこと〉が必要です。 

 

考えない練習 (小学館文庫)

考えない練習 (小学館文庫)

 

 目次

第1章 思考という病〈考えることで、人は「無知」になる〉

第2章 身体と心の操り方〈イライラや不安をなくす練習〉

  1 話す

  2 聞く

  3 見る

  4 書く/読む

  5 食べる

  6 捨てる

  7 触れる

  8 育てる

第3章 対談 池谷裕二×小池龍之介

  僧侶が脳研究者に聞いた「脳と心の不思議な関係」

 

 


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 思考は不自由です。思考をすることを止めると、心を思った通りに操縦しやすくなります。五感をとぎすませて集中します。

 

 第1章 思考という病〈考えることで、人は「無知」になる〉

 私たち人間は四六時中、考え事をしています。一般的に、考えること、思考することは人間の立派な特質であると思われているでしょうし、「人間は動物と違って考える。だから偉い」と思っている方は多いでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。

 私はむしろ、考えるせいで、人の集中力が低下したり、イライラしたり、迷ったりしているのではないかと思っています。いわば、「思考病」とでも申せましょうか。(P14)

 

 常に、こうだああだと考えてしまう、ノイズが入ってしまう。心が乱れる。

 細かい一瞬一瞬、大量のノイズが混ざることで、私たちの「集中」は、途切れ続けています。

 そして、他の行為より最もパワーが割かれる行為が「考える」ことと申せましょう。意識は、言葉を用いてブツブツと思考している時「考える」という機能の中に閉じこもっていて、他の機能のことをとりあえず忘れてしまいます。

 考えごとが脳内にうずまいている時ほど、音の情報が入ってくる度合いが少ないはずです。いまどんな音が流れていて、それがどんな意味を持っているのか。それがわからないのは、無意識下で「考える」ことに多くのエネルギーを割いているからです。

 人は、落ち着いている時には、あまりあれこれと考えません。混乱している時ほど、考える量や時間が増えてしまいます。(P16)

 

  著者は仏教徒なので、原因は〈怒り、欲、 迷い〉の基本的煩悩だ、といっています。

 

「目の前の現実はフツウすぎてツマラナイ、ネガティブな考えごとは刺激的」

 ということ。

 新たな刺激を心に与えるために、思考はネガティブな方向へと暴走してゆくようにプログラムされているのです。この「思考病」、思考という病にかかりながら、少しずつ知らず知らずのうちに「無知」になり、呆けていっているということ。(P23)

  思考というのは現実から離れ空想的になる。

 いい面もあるのですが、逃避的になるために使われることが多いのです。

 

  考えているあいだは、心と身体はちぐはぐになります。

 

心を律し「正しく考える」ためのトレーニング

ステップ①――自己ルールを課し、ブレない芯を作る

 小思惟(しょうしゆい 思考内容を律す)

 正語(言葉を律す)

 正業(行動を律す)

 正命(しょうみょう 生き方を律す)

ステップ②――集中力を養う

 正定(しょうじょう 集中する)

 正精進(心を浄化する)

ステップ③――気づく

 正念(心のセンサーを磨く)

 正見(悟る)

 

八正道 - Wikipedia

 

 P27にはこう書いてあります。

 無駄なエネルギーを使わない思考、その時に最も適切な必要最低限のことだけを考えて、どうすれば無駄な思考や空回りする思考を排除できるか、さらには、どうすれば煩悩を克服できるかが、仏道のスタートであり、ゴールでもあるのです。

 

 自分がいま感じている感覚に集中する――そのことで心は充足します。五感を研ぎ澄ますこと。

 

第2章 身体と心の操り方〈イライラや不安をなくす練習〉

1 話す

〈正しく話す〉というのはすごく難しいことなのです。

 人は、自分にとって都合のよい言い訳を口にしたり、自分がよい立場になるための嘘をついたりします。

 社会礼儀上、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。

 でも、なるべく正直でありたい。

 嘘はけっきょく自分を傷つけるからです。

 言葉で済まそうとせずに、具体的行動を提示して納得してもらう。それが自分にも相手にもいちばんいい方法です。

 

 仏教の「十善戎」のなかにも話すことの戎があります。

不妄語(事実に反したことを言わない)

不悪口(ケチをつけたり批判をしない)

不両舌(ネガティブな噂話をしない)

不綺語(他人に無駄話を押しつけない)

 

2 聞く

 日常の中では、テレビやラジオなどからたえず音声が流れてきます。

 音に洗脳されないようにする。 

 暴力的な音はもちろんですが、常に怒鳴り散らしているような人の側にいても、悪い影響を受けます。

 

 人は本来、「強烈な刺激を求めたくてしかたがない」ものです。

 おだてられたり、ほめられたりしたい。

 また不快な刺激にも興奮したりする。

 

 もっと刺激的ではない自然の音に耳を澄ませる。世界に耳を澄ませば、世界が変わる。

 

 人とのつきあいでは、相手の感情を受け止めるようにする。

 相手の発している苦のシグナルに対して鈍感であるからこそ、私たちは相手のSOSを無視して上の空になり、あまつさえ、「その話は前にも聞いたよね」などと、余計に相手の苦を増してしまうことすらあるのです。(P80)

 相手を突き動かしているのは、苦しみ=ストレスなのではないか、と洞察する。

 こちらを批判することや、貶めることによって解消したいストレスがあるからこそ、そうした行為に及んでいるのだと……

 

 常に自分の感情に意識を向けておく。 

 

3 見る

刺激の強い視覚は煩悩を育てやすい

  • 欲とか怒りを喚起するものではなく、ニュートラルなものをしっかり見る。 

「私は苦しんでいるのに、相手は苦しんでいない」という誤解

  • 基本的に相手を見ることが大切。相手の表情を見ることによって、相手の苦しみや煩悩がわかるからです。
  • 相手の苦のサインが見えれば、それを和らげてあげるように動くこと。
  • 相手がこちらの話にあからさまに退屈した態度をとるようになったり、否定的あ言葉を投げかけてきたりすると、たいてい人は怒ります。相手が加害者で、こちらが被害者と思ってしまうのです。 

観察結果を自我にいちいちフィールドバックしない

 観察した結果を、自分の中の「認められたい、受け入れられたい」という「慢」の煩悩や、「この人は私の話を聞いていないから、許せない」という怒りの煩悩などに、いちいちフィールドバックしないことです。(P97)

 

自分の表情にも常に自覚的であること

 穏やかな気分で場所を共有している時、お互いを受容していることを伝えるのは、必ずしも言葉ではないかもしれません。(P1039

 

4 書く/読む

 人には受け入れられたい、という承認欲求があります。

 

 煩悩は求めれば求めるほど増えるもの、と仏教では教えています。 

「快楽」というものは実在するものではなく、基本的には「苦」が減った時に錯覚するもの、苦がなくなったことを脳が楽と錯覚するだけのこと。これが仏道の「一切皆苦」という真理です。一度、楽の味をしめると、「もっと、もっと」と、より大きな快楽がほしくなって、その材料になる苦をさらに求めてしまうのです。(P118)

 

5 食べる

 満足していないから食べ過ぎてしまう。そうしないためには――

  • 「足るを知る」
  • 「味わう」

 よく噛んでしっかり食べれば、少量だけで、十分食べたという実感を得ることができます。――P134

 

それに向かって意識を肉薄させ、しっかり食事に取り組めば、充実しているとか幸せであるということは、実は「何を食べているか」にほとんど依存しておらず、単に「食べているものに、しっかり心がとどまっているか、いないか」ということによってのみ決まっているのだ、とわかってくることでしょう。(P137)

 

6 捨てる

「失うのが怖い」という先入観があるものです。

「持っているのが価値」と思い込んでいる――物欲に支配されている。

 これまでものが増えるほうが安心すると思い込んでいたのがまったく間違いで、実は減らしたことでとても心がすっきりしたり、安心したり、安定したり、自分の心の中が見渡しやすくなったりするのです。(P150)

 

7 触れる

集中力が途切れたら、触れている感覚に注意を向けてみる

  • 触感に集中してみる。
  • そのまま受ける、思考を入り込ませない。

 寒い、 暑い、痒い、痛い、ムズムズするなど、この「嫌だ!」が身体感覚を通じて、脳にインプットされるために、幸福感が少しずつ削がれていくのです。

 日々、この「嫌だ!」という気持ちを感じるきっかけが少なければ少ないほど、人の生活は充実し、幸福に近づけると仏道では考えています。(P165)

 

8 育てる

  • 自らと他人との関係を育てる。
  • 自分の意見を押し付けたりしない。
  • 同情や心配はほどほどにセーブする。
  • 基本的信頼感を育てる。受容する。そのうえで、具体的に説得する。

 仏道には、「善友」という言葉があります。お互いの心を成長させていく、かけがえのない関係の友人ということですが、ブッダの教えというのは、必ずしも万人と仲良くしましょうといった博愛的な、偽善的なニュアンスというものはまったくありません。むしろ、ある意味もっと厳しいもので、お互いが堕落するような関係や、お互いの煩悩が増えるような関係、つき合っていて自分のグレードが落ちてしまうような相手からは距離をおくべきだと教えています。

 この場合のグレードが低いというのは、つき合っていて心が汚れていくような人という意味合いです。その基準はとてもシンプルで、一緒にいて、心が穏やかに清らかになっていくか、それとも猛々しく濁った感じになっていくか。人と共にいる時、カラらずどちらか、またはそれに近い反応になるのですが、後者のような気持になるような人は避けなさいということです。(P180)

 

 


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 書いてあることはいたって常識的なことばかりです。でも、できないのです。難しい。人は煩悩に左右されるので……

 人はいつも人間関係の中にいて、相手がいます。その相手が同じように思いやりを持ってくれないなら、人間関係は暗いものになります。他人を支配しコントロールしたい人が多い。

 

 人はシンプルなものに憧れるのですが、そうであることはたいへん難しい。

 

  本に書かれているように訓練すれば効果が上がるでしょうし、誰でも練習していけば上達するはずです。まず、怒らないことから……他者を憎まないという、できそうなことから始めたいのです。

 心のノイズを捨てて生きてゆく。  

 そういうことがわかりました。

 

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいてありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。