日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。貧困や社会保障から落ちこぼれる人のために、社会が動いてくれたらいいのですが……いつも、自己中で理不尽な強い者が勝者になるようです。〈自分を救うのは何か〉考えています。ネガティブなものも肯定する視点を持ちたい。いまはブログがあるので寂しくありません。訪問してくださる人に感謝しています。ありがとうございます。コメントをいただいた場合は相手の方のブログのコメント欄にお返事しますね。

『悟りの意味』 / 「花」

 おはようございます。

 大阪の今朝は曇り空です。予報では明日の午前は雨なので、図書館に本を返しに行こうと考えています。

  本は知識を与えてくれるし、人の生き方も教えてくれる。ひとりでも自分を支えられる気がします。 

 

 

            *            *

 

「悟りとはなにか」

 この問いは魅力的です。すごく知りたいので借りてきました。

 しばらく「悟り」について書かれた本を読みたいと考えています。

 

「悟り」の意味

「悟り」の意味

 

  目次を見ると、どうやらスピリチュアルな目線で書かれた本のようです。

目次

1章 目覚めるために

2章 あなた自身を知る

3章 宇宙の進化とあなたの「存在」

4章 悟るために

5章 直感を獲得するために

6章 悟りへ向かう「気」の修練

 

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「はじめに」に書かれた文章の要約です。

  1. 人類はボタン一つで絶滅しかねない兵器を作っている。
  2. 環境破壊は進んでいる。
  3. 物質的には豊かだが、心理的に何一つ解決していない。
  4. 「人間は、何のために生まれ、どのように生きたらいいのか?」
  5. 心理への目覚め、「真の自己」が必要だ。
  6. 「悟りたい」「真の自己を知りたい」
  7. 盲目的な信仰は「真の自己」への目覚めを遅らせるだけ。
  8. いままで「悟った」といわれた人は本当に悟ったのか。
  9. 〈悟り〉は曖昧なものではなく、意識の変革であり、一般の人にも理解できるように伝えられるものだ。
  10. 「悟るためにはどうしたらよいのか?」
  11. 瞑想や座禅だけでは〈悟り〉は得られない。悟るための認識方法について述べる。
  12. 「氣」の修練の方法を説明する。

 

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第一章 目覚めるために
  • 「氣」の修練は気功と呼ばれている。それは「本当の自分自身」を知ることに目的がある。
  • 「なぜ悟ることが必要なのか?」ということに対する答えを明確に持っていなければならない。
  • 「悟り」とは――宇宙と一体である自分を実感を持って認識すること、自分が自然の一部として存在していることを認識すること。

悟りの体験

 この時の私は、自分の周囲に意識が拡がって、周囲の山々が、みんな自分になってしまいました。……略……

 山の緑が自分、空の青さも自分、川の冷たさも自分、すべてを自分の意識として実感できるのです。自分の意識が、自分の肉体から離れて外の世界へ拡がって、まるで自分自身が宇宙そのものになったようでした。

 その時に私は、私が個としての人間(意識が肉体の中に閉じ込められた状態)としてだけ、この世界に存在しているのではなく、私という人間は、すべてのものとつながって互いに影響しあいながら、この世界に存在しているのだということを悟りました。(P17)

 「悟り」の必要性の項では……

 会の修練者たちの意見として、

  • 何のために生きているのかを知りたい。
  • 安心立命を得たい。
  • 本当の自分を知りたい。
  • 生命、宇宙との一体感を得たい。
  • 正しい価値観を形成したい。
  • 自然とともにある自覚を得たい。
  • 世の中に流されずに主体的に生きたい。
  • 本当の人間らしい生き方をしたい。

などが挙がっているようです。

「本来、自己と宇宙は一体である」はずなのに、「それを感じられない自分が存在している」……つまり、本当の自分(宇宙と一体である自分)を知らない。本当の自分を知らないまま生活している。それでは個人にとっても、世の中にとっても本当の幸福は訪れてこない……とP20に書いてあるのですが……

 

第二章 あなた自身を知る

あなたは自分自身を知らない

  • あなたの知っている自分は生活の場における「自分」であって、存在としての「自分」について、あなたは何も知らない。
  • 相対界においては、主客(主体と客体)に分けて物事を認識する。そのために、常に主である自分を中心にして物事を認識せざるをえない。相対界では、価値観が常に変化し、すべてに共通で不変の真実というものは存在しない。

 

            *            *

 

 

……と、ここまで読んできて、本の記述が、相手を説得する方法に基づいているのではないかという疑念を持ちました。

 つまり、最初に〈相手を全否定する〉

 次に〈本来のもの、真実のものは「こうだ」と提供する〉

 相手を否定して、「こうでなければホンモノではないのですよ」と説得する。

 その論理の検証というか、ちゃんとした証拠はあるのでしょうか? ただ、否定する強さによって支えられているだけではないか……

 それに一般的に正しいとされている〈正論〉〈建前〉を持ってきて、「そうでないから間違っている」と恐怖を与える。つまり、人間が自然から切り離されている、というような常識化されている正論を主張する。「自然に生きることが正しい」という思い込みを刷り込む。

 それらのことが項のタイトルにも表れている。

「自然から離れてしまった人間」 → 「あなたの生活している世界、人はなぜ自己中心的なのか?」 → 「この世はすべて偽りの世界?」 → 「あなたとは何者か?」

 このように、「悟る」ことなしには、さまざまな問題を生み出す利己的で、自己中心的な人間を変えていくことはできないわけですが、では、いったい「真の自己を知る」という時の、「真の自己」とは何ものなのでしょうか?(P45)

  ここでは相手を、それがなければいけないという不安に陥れ、「これでなければ解決しない〈悟り〉を答えとして用意する、という文脈で、ものごとが進められているようです。

 

第三章 宇宙の進化とあなたの「存在」

 を読んだのですが……それぞれの項のタイトルは、

「人間に与えられた高度な意識」 → 「内的世界を知る」 → 「進化する意識」 → 「〈宇宙〉は〈意識〉」 → 「人間は何ゆえに、この宇宙に存在しているのか?」→ 「宇宙の〈意〉を認識するために」 → 「〈魂〉の存在と自由意志」 → 「〈悟り〉は必然」

 

 お釈迦さまはわからないことは判断しない、という態度を貫きました。天国があるとかないとか、魂がどうなのか、など。それらに対して「無記」の態度をとりました。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

  意識や宇宙について、ちょっと恣意的に解釈されているのではないかという感想を持ちました。言いたいことの筋道はわかるのですが、「悟り」がすべての解答になるというのは違う気がします。

 そのためには、どうしても「悟り」が必要です。「魂」への目覚めが必要なのです。「悟り」を得なければ、せっかくこれほど発達した意識をもちながらも、自分の観念的な意識に振り回されて、病気をはじめ、さまざまな問題や苦しみが生じてきます。しかし人間を悩まし、苦しめる自分の意識が、実は「悟る」ために必要なものであることが理解できたら、「悟り」が人間に与えられた大きな必然であることがわかるでしょう。(P81)

 扱うテーマが観念的なものなので、恣意的な解釈を許してしまうようです。

 

第四章 悟るために

「悟る」ための認識方法とは、このように相対界と絶対界の狭間を直感によって認識するということです。相対界と絶対界の狭間で、自分を知ろうとする「心」が湧く一瞬間に、直感によって絶対界を認識するのです。この一瞬においてのみ、本当の自分を発見します。(P109)

第五章 直感を獲得するために

  直感を引き出すためには、「自我意識」に強烈な問題意識をもたせることが必要です。(P120)

 

 「自己と宇宙が一体である」という真理を、学習と体験によって正味理解したならば、どうしても「自己と宇宙が一体である」ことを実感せずにはいられなくなります。この、どうしても「知りたい」という気持ち(問題提起)がなければ、「悟り」を得ることはできません。そして、「知りたい」ものは何かと問われれば、即座に「宇宙と一体である自己」と答えられるようでなければ「悟り」を体得することなどできないのです。(P126)

  本の書かれた目的がそうかもしれませんが、どうしても「悟り」を得るほうに誘導されている気がするのです。

「悟り」を得なければ生きている価値がないのか、と反論したくなります。どうなのでしょう? 真の自己に気づかなければ、非常に不都合なことがあるのでしょうか?

 

 禅宗では「悟り」を得よ。無位の真人に気づけ、と教えられますが、それは宗教的な裏づけに基づいたものです。「悟りを得よ」という前には膨大な経典があり、理論的に構築されたものがあるのです。

 

 第六章 悟りへ向かう「氣」の修練

  この章は、著者の会が行っている修練法の解説ですから、興味がある方は読まれるといいでしょう。

 仙道の真の目的は、仙人になることです。仙人というと、一般の人は、何やら得体の知れない、超能力を身につけた不老不死の老人のように思っていますが、実際は違います。仙人とは、真人、つまり「真の自己」を体得した人のことを言います。要するに、この本でいう「悟り」を得た人のことを言うのです。(P140)

 

 

            *            *

 

 

〈悟り〉という言葉に惹かれて内容を知らないままに借りてきたのですが、著者は気功の修練者だったのですね。もっと始めからそれを明らかにして話をしてほしかった。いや明らかにしていたけれど、自分がわからなかっただけなのか。

「悟り」には禅宗以外のこういう仙道系の悟りもある、と気づきました。

 

 島田明徳で検索するとこういう記事が出て来ました。ごめんなさい、ページにですがリンクさせていただきます。 

気功家の場合:島田明徳

 

 ヨガも座禅も、いまでは一般的ですが、それらはちゃんとした理論に裏打ちされています。

 仙道もそうなんでしょうけれど、大勢に受け入れられているとはいえません。観念的理論よりも、実践で効果をあげていくほうが受け入れられやすいのではないでしょうか。

 

 「悟り」には興味があるので、その関係の本をこれからも読んでいくつもりです。

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

    「花」

 

光のなかに

色が

あふれて

青や

紫や

桃色や

白が

斜面一面を

彩る

向こうに

ひっそりと

門があり

人も

いない

声もない

空から

下りて来る

静けさと

花と

いっしょに

いる

 

 

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいて、ありがとうございました。 

     誰もが穏やかで、幸せでありますように。