おはようございます。
近畿地方は梅雨に入りました。午後から雨のようです。天気予報をみると、しばらく天気がぐずつきそうです。雨も必要ですが……事故にあわないようにご注意してください。
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涅槃経について書かれた本です。図書館の仏教の棚に並んでいるのを知っていました。それで読んでみようと思ったのです。
目次
はじめに 涅槃経の意味
1章 涅槃への道
2章 お釈迦さまの般涅槃
3章 大乗仏教の涅槃
4章 仏の慈悲とアジャセ王
5章 般若と解脱
6章 永遠の世界としての涅槃
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はじめに 涅槃経の意味
梵語ではニルヴァーナといいます。平安で静かな、人生の知恵の洞察が輝いている「涅槃寂静」の世界。
私たちは、外界には魅力のあるものがあふれアトラクティブなものがあるが、心の中は空虚だと思いやすいのですが、これは大間違いです。心をしずめて、心の中を見るならばと、そこにこそ無限の宝があることがわかると思います。人間の発明も発見も、すべて心の中から現れたものです。
心の奥に至福の世界を得るためにはと、さきにもいいましたように、煩悩を滅しなければなりません。お釈迦さまは激しい修行の結果、煩悩を滅して悟りをひらき、涅槃と一つになり、至福の境地に安住したのです。しかしわれわれが、たやすく煩悩を滅することは不可能です。煩悩があると、正しい知恵のはたらきが、妨げられるということを知るだけでも、貴重な成果です。それを知ることによって、煩悩の力は弱められるからです。煩悩が弱められれば、それだけ知恵の力が増大し、何ほどかネハンか自己に実現しているのです。(P11)
長い引用をしました。涅槃とはなにか、書かれていたので……
涅槃についての解釈はいろいろあるようです。
小乗の涅槃経と大乗の涅槃経があります。
1~6章まであります。
(リンクを貼らせていただきました。感謝します)
1章 涅槃への道
この章は涅槃経の内容を解説するとともに、お釈迦さまの入滅までの旅を描いています。
アーナンダ廟でお釈迦さまは、弟子たちに四大教法をお説きになりました。四大教法とは、お釈迦さまの亡きあと、弟子たちのよりどころとなる教えのことです。これを四つに分けて示されたのです。
第一は、お釈迦さまが般涅槃されたあとに、一人の修行僧が、
「私はお釈迦さまから直接にきいた。これが法であり、これが律である。これが師の教えである」
と、このように「お釈迦さまから直接きいた」といったとしても、その修行僧のいうことを無条件に受け入れてはならない。その修行僧のいったことを、経典の中に調べてみて、さらに、律典の中に調べてみて、その言葉が、経典か律典のどこかに見いだされるならば、それはたしかにお釈迦さまの言葉である。ゆえにそれを「ブッダの教え」として受け入れてよろしい。これが第一の大教法であるといわれたのです。(P47)
第二の場合は、「教団からきいた」という場合。
第三の場合は、「多くの長老からきいた」という場合。
第四の場合は、「一人の長老からきいた」という場合です。
これらの場合、経典や律典の中に調べるように指示されました。
2章 お釈迦さまの般涅槃
お釈迦さまの入滅の様子です。涅槃経では、お釈迦さまが語られたことが解説されます。仏舎利の供養についても書かれています。「自分が死んでも悲しむな」と言われたこと。クシナガラ住民のマッラー族に知らせること。遊行者スバドラがお釈迦さまに質問するために会いに来たこと。その教えがである八正道の解説がされています。
お釈迦さまは般涅槃され、遺骨は八つの国に分配されます。
3章 大乗仏教の涅槃
阿含経は初期の小乗仏教の考え方や教えを反映したものです。大乗の涅槃経は40巻もあり、阿含経の10倍にもなります。
大乗仏教は「自利利他」……社会をよくすることによって、自分も幸福になり得ると考えます。そういう大乗仏教の考え方が書かれた章です。
4章 仏の慈悲とアジャセ王
- アジャセ王は、お釈迦さまの晩年の頃に中インドのマガダ国を支配した王です。父のビンビサーラ王と韋提希夫人のあいだの子。
- ビンビサーラと韋提希夫人には長いあいだ子ができなかったのです。占い師にみてもらうと、山中に仙人が修行しているが、その仙人が死ぬと、王の子として再生するであろうという予言があった。子が早くほしかった王は、その仙人を殺して夫人が懐妊するという因縁のもとに、アジャセが生まれてくるのです。
- 再び占い師にみてもらうと「この子は将来、父王を殺害するだろう」と予言するのです。それで王は恐れて、子を高楼から突き落とすのですが死ななかったのです。それで大事に育てたのですが……
アジャセの物語はこんなふうです。
悪人の救い-アジャセ王の救いの物語- / 鍋島直樹(龍谷大学法学部教授)
この章では、
- 提婆の野望と反逆 → アジャセ王の暴悪 → 王の憂愁と六師の教え → 耆婆童子の勧め → 姿なき空中の声 → 仏の慈悲の光 → 罪には実体がない → 世俗諦と第一義諦
という流れで語られます。この章は物語に沿ったストーリーがあるので非常に読み応えがありました。
「提婆の野望と反逆」はもうひとつの物語になっています。
お釈迦さまの弟子に提婆達多がいました。彼はアジャセに取り入って、教団を自分のものにしようとして、お釈迦さまを殺そうと画策するのですが……その話に初期の教団の様子が伺えます。デーヴァダッタは悪者として描かれます。
5章 般若と解脱
涅槃経で示す般若は、迷いの世界を無常・苦・無我・不浄と観じ、そして涅槃が常住・安楽・大我・清浄であることを洞察する知恵であります。(P231)
このように何ものにもとらわれない知恵を、空の知恵といいます。これは、どのように困難な中にあっても、自在に生きることのできる知恵です。そのためには、この世界は、互いに相依り、助けあってできていることを知ることが大切です。仏教ではこれを縁起といいますが、空の知恵は、同時に縁起を知る知恵であります。縁起を知れば、他と争わないで、争いを避けることができます。争わないことは、自由に生きるために重要なことです。(P235)
この章には「雪山童子の修行」の節があって、そのたとえ話が載っています。羅刹と童子の対話。この話も心に響きます。
6章 永遠の世界としての涅槃
無住涅槃……真の涅槃は、涅槃にも住せず、生死にも住しないような涅槃。
この章の要約――
人間は心理的な時間の観念を持っているが、それは人間が作り出したもの。心が「時間がある」と思うから時間はある。
私たちは、すべては無常であり変化することも知っている。
私たちの心がそういう心理と合一することができれば、「いま」という変化しない時間を介して涅槃の世界に入っていける。
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仏教用語が難解でしたが、涅槃についての理解を深めてくれました。
おまけ、です。Youtubeで見つけました。
手塚治虫さんは、お釈迦さまの物語に想像力刺激されて、こういうアニメにを作られたんですね。すごい。
マンガの『ブッダ』は昔、読んだのですが、もう、忘れてしまいました。ロマンあふれる人間の話だったと記憶しています。
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「雨」
雨は
木を
たたき
草の
ちいさな
花を
ゆらす
しずくは
葉を
したたり
土に
ゆっくりと
染み込んでゆく
山は
息を
ふき返す
水と
風は
静けさを
持って来た
自分も
ここで
変われるだろうか
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読んでいただいて、ありがとうございました。
誰もが穏やかで、幸せでありますように。