日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

『銃・病原菌・鉄』下巻4部のまとめ

 おはようございます。

 昨日から雨が降り続いています。駐車場のアスファルトも濡れて、街灯に照らされて黄色く光っています。雨雲が空を覆っています。朝の光がないのが寂しい。それでも、今日は雨が止むらしい。

 「お酒はしばらく飲まない」と決心しました。何回目の禁酒だろうか。でも、それでいいんです。(*^_^*)

 

 

 

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目次 

第4部 世界に横たわる謎

 15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
 16章 中国はいかにして中国になったのか
 17章 太平洋に広がっていった人びと
 18章 旧世界と新世界の遭遇
 19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか
エピローグ 科学としての人類史

 

 

 

 簡単な要約 

4部

 2部、3部の分析が各大陸にどう当てはまったのか。

 各大陸間の格差は、違った環境の結果だ。

エピローグ

 科学としての人類の歴史――歴史学の課題

 

 

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「 第4部 世界に横たわる謎」 は、それぞれの大陸の文化の発展の様相を記述します。

 

15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー

 著者のポリネシアのフィールドワークでわかった、自然環境によるニューギニア人とオーストラリアのアボリジニとの差異についての説明。

  1. オーストラリアは人が生きるには過酷な気候だった。
  2. 農耕や家畜の飼育に適さなかったので、アボリジニは狩猟採集生活を続けた。ニューギニアでは農耕をし豚を飼って生活した。部族社会も形成された。
  3. かってアジア大陸はボルネオ島やオーストラリアやニューギニアとひとつの大陸を形成していた。それが海面の上昇でそれぞれが孤立した。それによって独自の発展を遂げることになった。
  4. ニューギニア高地での食料生産が、ある程度の集団の人口を維持した。

ニューギニアで金属器、文字、国家ができなかったのはなぜか。それは地理的な問題なのだ。

  1. 食料は根菜類を主食としていて低蛋白だった。豚や鶏の家畜も、その状態を補うほどでなかった。
  2. ニューギニア高地では利用可能な土地に限界があった。それで人口は少ないままであり続けた。100万を超えたのはヨーロッパの植民地になってからだ。
  3. 人びとが小規模集団に分かれていただけでなく地理的にも孤立していて、技術やアイデアが伝わりにくかった。

 

アボリジニが狩猟採集生活だったのはなぜか。

  1. 家畜化可能な哺乳動物がいなかった。
  2. オーストラリアは不毛な大地であって、気候も農業に適さなかった。栽培化可能な野生種も不足していた。
  3. その代わりに「火おこし棒農法」と呼ばれる焼き原する方法で、食料を採取できるようにしていた。東部や北部では雑穀を採取していた。

 

  オーストラリアのアボリジニは金属器を使うようにはならなかった。 文字システムを発展させ、複雑な集団を形成するようにもならなかったが、その大きな原因の一つは、彼らが狩猟採集民にとどまったことである。(P153)

  1. オーストラリアは孤立することによって、地域的にあるいは大陸全体で、技術が後退した。
  2. ヨーロッパ人がタスマニア島を訪れた時、そこの4000人のアボリジニは、かえしのついた槍も持っていなかったし、動物の骨を利用した道具も、ブーメランも磨製石器、釣り針や網なども持っていなかった。タスマニア島は孤立していたし、物を独自に発明できるほどの人数がいなかったせいである。
  3. インドネシアニューギニアはオーストラリアよりも技術面で進んでいた。カヌーを利用して島々に交流がなされた。トレス海峡をはさんでの文化の伝達は伝言ゲームに似ている。

(著者がここで記述する考古学的、人類学的資料は詳細で多岐にわたる。非常に読み応えがありました)

 

 ニューギニアは1526年にポルトガル人によって発見され、1828年に西半分がオランダ領になった。しかし1880年になるまでヨーロッパ人が定住することはなかった。マラリアという熱帯病があったからです。それとヨーロッパの農作物や家畜がニューギニアの自然環境にまったく適していなかったからです。

 

白人はなぜオーストラリアに入植できたか

 ヨーロッパ人がオーストラリアにやって来た時、約30万人のアボリジニが住んでいました。それが1921年には6万人に激減しました。ヨーロッパ人はまず銃で撃ち殺すことでアボリジニを排除しました。また、ヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌に感染して多くのアボリジニは死んでしまいました。 (詳しい解説 アボリジニ - Wikipedia

 イギリス人たちは、アボリジニたちが四万年以上にもわたって文字を持たずに狩猟採集生活をつづけてきた大陸に、入植して数十年かそこらで文字を持ち、食料を生産できる産業民主社会を構築した。アボリジニ自体に原因を求めることなく、われわれはこの事実をどのように説明できるのだろうか。それとも、先住民とヨーロッパ人を材料に、人間社会の変化のちがいを再現した実験は、単純で人種差別的な結論を受け入れることをわれわれに強いているのだろうか。(P168)

 文章は、こう続きます。

 この疑問に対する答えは単純である。つまり、イギリスの入植者たちは、文字を持ち、食料を生産できる産業民主社会を、オーストラリアで白紙の状態から創造したわけではなかったからである。

  つまり、すべてを外から持ち込んできた。――家畜、農作物、冶金技術、蒸気機関、銃器、文字、政治、病原菌。それらはすべて、ユーラシア大陸で1万年にわたって発達した人間社会の産物だったのである。(P169) 

 

 

16章 中国はいかにして中国になったのか

 ここでは中国で使われる言語から考察しています。

  1. 中国は〈統一によって中国になった〉のである。
  2. 南と北では遺伝子も違うし、気候や環境も異なる。
  3. P176には4つの言語ファミリーの図がある。中国では8つの主要言語の他に130もの言語が使われている。この言語図を分析すると北から南へと拡散していったと推測される。
  4. 技術は南から北へと伝わり、言葉は南へと拡散した。

 中国では技術、とくに鉄の精錬や稲の栽培が南から北へと広がっていった。しかし伝播の主な方向は北から南である。その傾向は文字の場合に著しい。(P185)

 

 中国では、北部で起こった周王朝を手本に、紀元前の1000年間に国家統一がなされ、紀元前211年に秦王朝が誕生している。中国文化も、文字を読み書きできる「文明化された」中国人たちの国が読み書きのできない「野蛮人たち」を征服したり、「野蛮人たち」が中国人の文化を取り入れたりする過程を通じて統一されていった。この文化的統一は、ときには乱暴な政策が実施された結果でもあった。たとえば始皇帝は、秦王朝が登場する以前の歴史書をことごとく無価値と決めつけ、すべて燃やすよう命令している。この焚書はわれわれが初期の中国の歴史や文字システムを理解するうえで大きな損失となっている。そして、こうした過酷な政策が、北部の言語であったシナ=チベット語の中国全体への拡散に影響をおよぼしたにちがいなく、ミャオ=ヤオ語ファミリーをふくむ他の言語ファミリーが、現在見られるような、分散した分布になるのに影響をおよぼしたにちがいない。(P186)

 

 冊封体制中華思想を表しています。

 


17章 太平洋に広がっていった人びと

 ここでは著者のポリネシアでの研究の成果が記述されます。

  1. オーストロネシア語と台湾〉において、「インドネシアの人びととフィリピンの人びとは、遺伝子レベルでも言語のレベルでもあまり異なっていない 」と記述されています。
  2. P201には「オーストロネシア人の拡散図」が載せられているのですが、カヌーによって島伝いに移動した様子がわかります。
  3. オーストロネシア語の祖語〉の節は、東南アジアで使われている言語を比較し検証した部分です。
  4. ラピタ式土器の出土によって当時の生活が推測できます。
  5. オーストロネシア人の拡散に大きな影響を与えたのは食料の生産ができるかでした。
  6. ヨーロッパ人は、当初は太平洋の島々を植民地支配することができたが、土地固有の病気への抵抗力がなく入植して定住することはできなかった。

 

 〈18章 旧世界と新世界の遭遇

  1. ヨーロッパ人はアメリカ先住民の土地にやってきて征服者となったが、その逆は、なぜ起こらなかったのか。前の章によって、「環境による技術や文化の格差」「ユーラシア大陸の病原菌に免疫がなかった」という答えが出ていますが……
  2. アメリカ大陸には家畜化できる大型野生動物が絶滅していた。
  3. ユーラシア大陸では食料生産が長く行われ、人口が増え、社会の専門化が進み集権化されていた。技術的にもさまざまな金属器を利用していた。軍事力も強力だった。機械の利用、航海技術もあった。
  4. ユーラシア大陸では、特定の宗教を国教とし、いくつもの国を征服する帝国ができ、また分裂する複合的な政治体制だった。
  5. ユーラシア大陸南北アメリカを一歩リードしていたのは、南北より東西のほうが地理的には有利な条件だったからである。

――ユーラシア大陸では南北アメリカ大陸にくらべて、定住生活がずっと早くからはじまっていた。家畜化や栽培可能な野生動植物がずっと多様で、食料生産をより効果的におこなうことができた。地理的障壁や生態的障壁が少なく、発明や技術がさまざまな地域に伝播しやすかった。(P246)

 


19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

 アフリカは人類発祥の地です。

アフリカ大陸では世界の主要な六つの人種のうちの五つの人種が暮らしていた。そのうち三つはアフリカ大陸固有の人種である。世界の言語のうち四分の一はアフリカ大陸にしか分布していない。多様性という面で、アフリカ大陸に匹敵する大陸はない。(P258)

 

 P261の人種のグループの図をみると、北は白人(エジプト人、リビア人、モロッコ人)で、その下は黒人の地域で、中央にピグミー族がいて、南はコイサン族に分かれている。

 アフリカの言語は1500に及ぶ。スタンフォード大学のジョゼフ・グリーンバーグは5つの言語ファミリーに分類した。P267には言語分布図が載っています。そこから民族や部族の移動の様子が推察できる。

 

アフリカにおける食料生産〉の節は、農作物の起源について考察している。P272~278。

アフリカの農耕・牧畜の起源〉は、

……考古学上の証拠と言語学の証拠をつきあわせることで、われわれは何を推測できるのだろうか。それは、数千年前にサハラ地域でモロコシ類やヒエを栽培していた人びとが、現代のナイル=サハラ諸語の祖語にあたる言語を話していたということであり、西あふりかの湿潤な土地で土着種を栽培化した人びとが、現代のニジェールコンゴ語の祖語にあたる言語を話していたということである。そして、エチオピアで土着種を栽培化した人びとが、おそらくアフロ=アジア語の祖語にあたる言語を話していたということであり、肥沃三日月地帯の農作物を北アフリカにもたらしたということである。(P281)

 この文章を引用しただけでも、ドラマを感じることができます。

 

  • オーストロネシア人がマダガスカル島へ拡散してきた。
  • 先史時代の紀元前3000年には、バンツー族がアフリカ内陸部から南へまたコンゴ盆地へ拡散した。

 ヨーロッパ人のアフリカの植民地化の原因は、

  1. 銃などの技術を発展させていたこと
  2. 字を読み書きできる能力があったこと
  3. 探検や征服に莫大な資金を提供する政治機構があったこと

が理由である。

 

 

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エピローグ 科学としての人類史

 それぞれの大陸の環境的要因は人間社会の展開に大きな影響を与えている。

  1. 栽培化や家畜化の候補となる動植物の分布
  2. 社会は自分たちより優れたものを持つ社会からそれを獲得する。それゆえ伝播や拡散の速度が重要である
  3. 伝播するための地理的な条件
  4. それぞれの大陸の大きさと人口の違い

 

 中国がヨーロッパに対抗できなかったのは1405~1433年に船団の派遣を中止し外洋航海を禁じたことにある。原因は宦官派と敵対派との権力闘争だったが、それが既存の技術を後退させた。ヨーロッパは大航海時代に突入していた。ヨーロッパが中国のように統一されていたらアメリカの植民地化はなかった。

 

文化の特異性が果たす役割〉 

  • 中国は同音異義語を区別するために漢字を誕生させたといわれている。そのメリットはなんだったのだろう。
  • アンデスで文字が誕生しなかったのはなぜだろうか。
  • インドでカースト制がいまも定着しているのはどうしてか。
  • ヨーロッパや西アジアの国々はキリスト教イスラム教を推進力にして、他の国に対して植民地化を行い、征服した。

 

 まとめとして……

 歴史学は、ほかの歴史科学から何を得ることができるのだろうか。研究手法として有用なのは、データを比較検討する方法であり、大自然の実験から学ぶ方法である。銀河の生成過程を研究する天文学者も、人間の歴史を研究する歴史学者も、どちらも研究対象を実験室で操作することはできない。しかし、大自然の実験の結果を調べ、原因因子と推定される要因を持っているものと、持っていないものを比較検討することはできる。たとえば……(略)

と、P326に書いてあり、最後の文章は……

……われわれは人間自身に目を向けることによって、恐竜についてよりも、人類についての洞察を深めることができる。したがって私は、人間科学としての歴史研究が恐竜研究と同じくらい科学的におこなわれるだろうと楽観視している。この研究は、何が現代世界を形作り、何が未来を形作るかを教えてくれるという有益な成果を、われわれの社会にもたらしてくれることだろう。(P328)

 

 

 

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 読み応えのある本でした。

 長い旅を終えた気分がしています。 

 

 この本がすごいのは、〈人は食べるものがないと生きていけないのだ〉という基本的なところから、考えているところです。人は動物で、食べないと生きていけない、そういう基本的な認識から出発していることです。

 

 人が生きる〈環境〉を基本に考えている。

  1. 食料生産ができる環境か。
  2. 自然の環境が、狩猟採集生活になるか農耕民になるか分ける。食料生産が可能だと余剰生産物が蓄積されて、集団は大きくなり、社会が発展する。

 マルクスは〈生産力〉を基本的な原理にして歴史を読み替えましたが、自然の〈環境が人類の歴史を左右している〉という視点は似ています。

 

 人種のあいだと、それぞれの大陸のあいだにある格差を〈環境〉という概念で見直すことができました。

 

 人の歴史は、争いと虐殺、戦争の繰り返しです。アフリカの黒人やアメリカのインディアンを〈野蛮だから〉という偏見で虐殺して正当化して来た歴史があります。

 人種差別をする気持には、白人が文明を作り上げたという白人優越主義の奢りがあるのでしょう。西欧中心主義です。この本ではそれが批判的にとらえられています。

 

 民族はそれぞれ、違う環境で生活し、独自の文化を作ってきました。

 文化が作られてゆく基本的な原理や原因がわかれば、人種差別的な偏見や思いこみは無くなるでしょう。最初のニューギニア人ヤリの質問にあったように、この本は「なぜ格差があるのか」という疑問を追求してきました。自然の〈人が住める環境〉が原因だったのです。

 人が生きてゆくための〈環境〉の重大さを知ることができました。良い本でした。

 

 

  

 

  …………      …………      …………      …………

 

     読んでいただいて、ありがとうございました。 

     誰もが、穏やかで、幸せでありますように。