日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

『古代日本誕生の謎』 まとめ2

 

 おはようございます。

 昨日、焦りもあってすこし焼酎を飲んだら、今朝は体がだるい。いい夢も見なかったし、あまりよくないな、と反省しています。人って、どうしようもないこともあるから、受け入れるしかない。深呼吸して。ただ、受け入れる。お酒に逃げても疲れるだけだから……

 ねっ、って、自分に言い聞かせます。

 

 今朝も、ラジオ体操の時に、鳥は鳴いているのだろうか……最近は木の枝を飛び回り、さえずっているのです。 

 

 

  

 

          *               * 

 

序章 古代史を学ぶ意味

1章 古代都市「大和」と首長霊信仰

    山の辺の道に生まれた新文化

    前方後円墳を作った平和都市「大和」

    天皇の魂が鎮まる三輪山  国作りの巨人、崇神天皇

2章 戦乱時代の勝者

      銅鐸を割る時  桃太郎伝説前方後円墳  邪馬台国最後の戦い

      国譲りと出雲神宝  日本武尊、吾妻国を征す

3章 東北の歴史が語るもの

    東の文化を代表する亀ヶ岡遺跡  奥州高見国の後退

    荒脛巾神を祭る安東氏  続縄文文化の国と按司の国

終章 古代日本文化の三つの流れ

    日本統一に関する年表

 

 

 

  山の辺の道の南にあった三輪山大和朝廷の信仰の地でした。

三輪山の神の最も原初的な姿は、祖霊信仰の上にたつ土地の神、つまり国魂だったと考えられる。それは、太陽や水の恵みを授ける農耕神の性格を強くもつものだ。

 古代人は、土地の神は蛇の姿で、雷を起こして自由に水を操ると考えていた。(P87)

 

 国魂(くにたま)は多様な性格を持っていたので、後に三系統に分けられることになった。三輪山の神が、「大神神社伊勢神宮、大倭(おおやまと 大和)神社」の祭神になった。

 三輪山で太陽神が祭られていたのですが、6世紀以後に伊勢神宮に移行することになります。

 太陽神が分かれると天照大神天皇霊とされるようになったのです。

 

 三輪山から太陽神が分かれてまもなく、そこの神は二つに分けられた。

日本書紀』は、崇神天皇が王女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に笠縫邑(かさぬいむら)で太陽神を祭らせ、その妹の渟名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に国魂を鎮めさせたと伝える。さらに、渟名城入姫命は髪が抜け痩せ衰えて倭大国魂(やまとのおおくにたま)を祭れなくなったとする。

 そのため、翌年に夢のお告げにより、倭氏の祖先の市磯長尾市(いちしのながおいち)を倭大国魂の祭司にした。それと同時似、大三輪氏の始祖の大田田根子命(おおたたねこのみこと)が大物主神(おおものぬし)を祭るようになった、とある。

 この話は、太陽神祭祀の中心が笠縫邑に移り、三輪山で主に国魂を祭るようになった後に、倭氏が斎(いつ)いた大倭神社と、大三輪氏が掌る大三輪(大神)神社とが分けられたことを物語る。倭大国魂と大物主神大国主命大国主神 おおくにぬしのかみ)とは元来、同一のものである。それは、左にあげる『日本書紀』の記述から明らかだ。

  「大国主神、亦の名は大物主神(中略)亦は大国魂神と白す」

日本書紀』は、崇神朝に大神神社伊勢神宮、大倭神社の原形が分かれたと記すが、実際にそれらが分離したのは六世紀だ。

 元来、太陽神と国魂の間に上下関係はなかった。ところが、七世紀の国史を整える動きの中で、天神(あまつかみ)、国神(くにかみ)の秩序ができた。すると、国魂は土地の神とされ、それを代表する出雲の大国主命に結びつけられていった。(P89)

 

 ごめんなさい、 また長文を引用してしまいました。

「人の都合で、神を分けたりしたんだ」と思ったのです。それは豪族の力関係の反映だったということです。

「記録されたものはこのような読み方をするのだな」と勉強になったのです。そういうふうに推理していくことが、すごくおもしろい。

 

国作りの巨人、崇神天皇

崇神天皇 - Wikipedia

  • 実在した人物だろうといわれています。
  • 大和朝廷は三世記末に物部氏、春日氏と同盟し、四世紀には葛城氏を押さえました。それによって全国制覇することになります。
  • 崇神天皇は320年台に北九州にあった邪馬台国を併合しました。日本書紀崇神天皇を「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と呼んでいます。
  • 崇神天皇の母は、物部氏の祖先の大綜麻杵(おおへそき)の娘、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。物部氏は朝廷の主体だった。
  • P113には当時の豪族たちの勢力図が載っています。北に春日山、南に葛城山を含む広大な地図です。

 

日本統一に関する年表

古墳時代前期 300~400年

古墳時代中期 400~500年

  • 河内、吉備に巨大古墳が作られる。
  • 関東地方が大和朝廷の勢力下に入る。
  • 倭王讃南朝に使者を送る。421年。
  • 河内の開発が進む。
  • 倭王武南朝に使者を送る。478年。
  • 吉備の下道氏が討たれる。
  • 稲荷山古墳出土の鉄剣が作られる。
  • 毛野以西の東山道大和朝廷の勢力下に入る。

古墳時代後期 500~600年。

  • 大伴氏が平群氏を討つ。
  • 継体天皇が越前から入って王位を嗣ぐ。
  • 日本武尊伝説の原形ができる。
  • 武蔵国造の内紛で朝廷の勢力が関東に伸びる。
  • 王女が太陽神の祭りを始める。
  • 仏教公伝。
  • 神武伝説が整えられる。
  • 隼人への支配が進む。
  • 北陸道大和朝廷の勢力下に入る。
  • 藤の木古墳が作られる。

飛鳥時代

  • 聖徳太子が遣隋使を派遣する。607年。
  • 上毛野形名、蝦夷と戦う。637年。

白鳳時代

奈良時代

 

 飛鳥時代からのことは歴史の時間に習ったのです。年号も覚えさせられました。だから親しい感じがします。

 

 

          *               * 

 

 400年台の初頭に朝鮮から製鉄の技術が伝わり、吉備は栄えました。しかし朝廷の力が伸長すると結びつきを強めていく者と、反発する者に分かれます。そして下道氏が討たれてしまいます。

 

 邪馬台国の話がP146~169に書かれています。

 弥生時代から北九州の小国は朝鮮や中国と交易し、栄えました。邪馬台国は『魏志倭人伝』で、その様子がわかります。中国の江南には呉、越を作った人々がいたのですが、前漢の勢力に圧迫されてその一部が北九州のに移住してきた、と考えられるそうです。彼らは鏡を人の心を象徴するものとして祭りました。それで福岡市吉武高木遺跡からは、銅鏡、銅剣、銅矛などが出たのだそうです。

 P154には当時の「北九州の小国」の地図が載っています。

 邪馬台国は、武力で小国を潰していく統一国家ではなく、交易権を握り、先進文化を自国に従う小国に分け与える、小国連合の盟主にすぎなかった。(P154)

 宇佐を中心とする連合、拘奴国を中心とする連合、そして邪馬台国連合に分かれていたようです。吉野ヶ里遺跡邪馬台国の輪のなかにあります。

三角縁神獣鏡を生み出した邪馬台国

邪馬台国が拘奴国を併合する」

邪馬台国東遷はあり得ない」

 これらのトピックに書かれていることは、資料に基づいて詳しく推察されています。

 

 大和朝廷邪馬台国の宝器を奪っただけでなく、文化や習慣を取り入れました。支配下に入った者に銅鏡や鉄製の刀剣を授ける風習も邪馬台国から学んだものです。

 

 

国譲りと出雲神宝

 邪馬台国が破れて、大陸文化は直接「大和」に入るようになりました。そうして各地の首長は先進文化を得るために大和朝廷に従いました。そのようにして朝廷の日本統一は加速度的に進んでいきました。

 

 出雲は自然の良港を持ち、北九州の文化とつながっていました。弥生時代には稲作が北九州から伝わりました。

 1984年に荒神谷遺跡 から出土した358本もの銅剣は、出雲が文化の中心地だったことを物語ります。

 また加茂岩倉遺跡からも銅剣が出ています。

 出雲には剣神の信仰があり、銅剣は神そのものと見られていました。ここでの出雲の記述のトピックは、

「銅剣はもとは大国主命そのものだった」

「吉備の文化が山を越えて出雲に浸透した」

荒神谷を押さえる一族」

 

「国譲り神話の原形になった出雲の神宝の献上」

 大和朝廷の勢力が出雲に及び、豪族は親朝廷派と反朝廷派に分かれた。出雲氏を中心とするものが後者の神門氏の一部を討った。親朝廷派は神門、建部に分かれて存続した。神宝の上覧はその時に始まった。出雲氏が銅鏡、銅剣などの「五種神宝」を天皇に差し出す行事は朝廷で長く受け継がれた。物部氏はその行事の主催者となる。(P185)

 

 大国主命天照大神の子孫に地上の支配を差し出す国譲りの神話は、六世紀中葉頃に整えられたものだ。それは、大王の祖先とされる首長霊信仰に基づく天神(あまつかみ)を、祖霊信仰による国神の上に位置づけるために作られた。かって出雲に有力な文化圏があったとする記憶があったので、大国主命が国神の代表とされたのだ。(P186)

 

 

          *               * 

 

 

 今日はここまでにします。明日は「日本武尊、吾妻国を征す」から始めて終わりまで読みます。東北……北の地方の話です。

 

  

 

 

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        読んでいただいて、ありがとうございました。

        誰もが穏やかで、幸せでありますように。