日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

『古代日本誕生の謎』 まとめ1 / 「夕暮れ」

 

 おはようございます。

 今朝は寒いです。北九州や北陸ではもう春一番の風が吹いたのですね。

 もうすぐ春になるはずです。

 

www3.nhk.or.jp

 

  

 

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 古代のこと――

 日本という国はどのようにできてきたか、それを知りたくてこの本を読みました。大和朝廷が成立して、日本が統一されてゆく時代がどれだけドラマチックだったか……わかるのです。

 

  著者は 武光誠 - Wikipedia という人です。

 古代日本の研究家。こんなに本を出されている……知らなかったのですが、有名な方なのです。 

 

「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)

「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)

 

 目次

序章 古代史を学ぶ意味

1章 古代都市「大和」と首長霊信仰

    山の辺の道に生まれた新文化  前方後円墳を作った平和都市「大和」

    天皇の魂が鎮まる三輪山  国作りの巨人、崇神天皇

2章 戦乱時代の勝者

    銅鐸を割る時  桃太郎伝説前方後円墳  邪馬台国最後の戦い

    国譲りと出雲神宝  日本武尊、吾妻国を征す

3章 東北の歴史が語るもの

    東の文化を代表する亀ヶ岡遺跡  奥州高見国の後退

    荒脛巾神を祭る安東氏  続縄文文化の国と按司の国

終章 古代日本文化の三つの流れ

    日本統一に関する年表

 

 

 荒脛巾神(アラハバキ)とか按司(アジ)とか、読み方が難しいですが、その内容がわかれば全体の流れが見えてきます。

 

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  序章の「古代史を学ぶ意味」にはこう書かれています。

 まず、〈誰が「日本」を作ったのか〉という問題があります。

 

 本を読みながらメモしたこと。

 江戸時代までは……

1 北海道・東北の蝦夷

2 沖縄

3 大和

 の三つの文化に分かれていた。

 現在、日本列島を中心とする地域が日本国という一つの国にまとまっている。……なぜ、日本列島の住民が一つの政権のもとにまとめられていったのであろうか。その問いに対して私は、「日本文化が日本という国をつくった」という答えを用意している。古代から現代まで続く日本固有の文化の核となる部分が、多くの人びとの心を引きつけて日本という 国をつくり上げていったのである。

 日本列島の大部分は、三世記末から六世紀にかけて大和朝廷の手で統一された。「大王(おおきみ)」と呼ばれたそのころの大和朝廷の子孫が現在の皇室になるわけである。

 それゆえ、日本史を知るためには最初に、

大和朝廷がつくった日本文化の核となるものは何か」

 という問題に明確な答えをださねばならない。そのうえに日本文化が発展していき、朝廷が支配する領域が拡大していって、より多くの者が皇室を慕うようになった。

  日本史を知るには、まず日本文化の特性をつかみ、それの変遷(日本文化史)を押さえる必要がある。そして、そのうえで時代ごとの文化が、どのような社会、経済、政治、生活をつくり出したか考えていくのである。(P14)

 ごめんなさい。長い引用になりました。この本の要旨が表れていると思うので引用させてもらいました。古代を考える根本の姿勢が語られています。その時代の特性をつかみ、どんな生活だったか、どう変わっていったのか、を考えることが重要ということなのです。

 

 ここに書かれているように3世紀末から6世紀に大和朝廷が日本を統一してゆきます。

 弥生時代中期の前1世紀末から1000~2000人規模の小国が現れるようになりました。それは方形周溝墓が広まっていったことでわかるそうです。

 そして中期後半の1世紀後に、墳丘墓となって関東地方にまで広まりました。地方の豪族がその文化の担い手でした。

 3世紀はじめの大和で前方後円墳が作られるようになります。

 それは首長霊信仰という新たな信仰と、大和朝廷の誕生を告げるものでした。

 この3世紀に大和に「大王(おおきみ)」が現れます。

 

 7世紀末に天武天皇が「天皇」の称号を採用します。

 6世紀始めの継体天皇聖徳太子の曾祖父にあたる)以後の系譜は確かなのですが、それ以前の系譜は不確かなようです。『日本書紀』に書かれている初代の神武天皇から崇神天皇までは「欠史八代」といわれ、後代の創作だといわれています。その前は神話の時代です。

 

 この3世紀始めから6世紀始めの継体天皇の朝廷までの歴史を解きほぐすのがこの本の要旨です。

 

 

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1章

  •  3世紀に北九州にあった小国の人々が吉備を経て近畿に移住してきた。それは鉄器、青銅器を独占していた集団だった。
  • このことは日本書紀には神武天皇の東征伝説として書かれる。移動の跡は遺跡によって確かめられる。
  • 纏向遺跡でわかったことは、ここに大和朝廷が作られたこと。(古代都市大和)
  • 山の辺の道とその周辺の遺跡、神社の祭神をみれば、大和朝廷がどのような文化を持っていたかわかる。
  • 首長霊信仰が作られたこと。 

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  •  4世紀に朝廷は河内に移動した。5世紀に朝鮮半島に進出するようになると、都市ではなく軍事的な新たな大王が求められるようになり豪族たちが睨み合うようになる。そして7世紀になって中央集権化が成立して、整った中国風の都市、難波宮が生まれた。

 

 P33からは遺跡などを考察して当時の生活を物語っています。 これがこの本のメインなのですが、詳細ですごく想像力を掻き立てられます。

 たとえばP70の「神と人とが作った箸墓古墳」の話があります。

 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は、三輪山大物主神(おおものぬしのかみ)の妻になった。ところが、神は毎晩姫を訪れてくるが、いつも夜明け前に山へ帰ってしまう。

 不思議に思った姫は、神に「御姿を見せて下さい」と頼んだ。神は「それなら明朝、姫の櫛笥(くしを入れる箱)に留まっていよう」と言った。

 夜が明けたので、姫は櫛笥を開けてみた。すると、そこに小さな蛇がいた。それを見た姫が驚きの声を上げると、神は怒って三輪山に去って行った。その悲しみで、姫は箸で女陰(ほと)を突いて死んでしまった。

 この時、大坂山(奈良県香芝市にある二上山の北側の山)から大市まで人を並べて、手から手へと石を送って姫の墓を作り、それを箸墓と名づけた。(P71)

  

  • 「大和」最初の大型古墳の主を三輪山の妻とする伝承は、発生期の大和朝廷の性格を物語っている。

 つまり、3世紀の発生期の大和朝廷では神のお告げを聞く「神の妻」が最も力をもっていた。ところが、箸墓古墳が作られた前後に、大王が体内に「天皇霊」を受けるとする首長霊信仰が生まれた。それからすぐ、「神の妻」は置かれなくなった。それゆえ、

後世の朝廷には王族の女性が三輪山を祭る習慣が見られない。

 箸墓の伝説の中の神が三輪山に帰るくだりは、王族の女性が神を祭る段階から、大王自身が神になる時代への転換を暗示する。(P72)

 

 神話や伝説を「こんなふうに読み解くのだな」と新鮮に思いました。

 

 

 

          *               * 

 

 発生期の大和朝廷は神託を聞く女性の司祭者が統治していた。

 それが大王につく神に変わり、大王が神に等しい地位について人びとを治めるようになった。それを首長霊信仰という。

 

第5章 弥生時代の社会 2.祭祀と世界観 | 弥生ミュージアム

 

 

 

日本書紀』の大和武尊の遠征に関する記事にも「天皇霊(すめらみことののみたま)」がうかがえる。神の御霊の威力で蝦夷を服属させると記述されている。

 P81には首長霊信仰の意味が書かれています。精霊信仰や祖霊信仰と絡まりあって日本的な信仰(神道)を形作ってきた。

 

 日本の首長霊信仰は〈首長の専制〉ではない。人々にご利益を与えなければならない。それで集団の構成員のための政治を行わなければならないのです。

 P85に、それが日本に専制君主と革命が見られない理由と書かれています。

 

 

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 長くなりますので、続きは明日にさせてください。m(__)m

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 

   「夕暮れ」

  

夕暮れの

森を

ひとりで

歩くと

木々は

人の姿のよう

静かに

降る

雪のなかで

幹は

凍り

風に

さらされているが

枝は

からまり

抱き合って

密かな

吐息が

聞こえる

 

  

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 

        読んでいただいて、ありがとうございました。

        誰もが穏やかで、幸せでありますように。