日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。貧困とか社会保障から落ちこぼれる人たちのために、社会が動いてくれたらいいのですが……いつも、自己中で理不尽な強者が勝つようです。自分を救うのはなにか、考えています。ネガティブなものも肯定する視点を持ちたい。いまはブログがあるので寂しくありません。訪問してくださる人に感謝しています。ありがとうございます。コメントをいただいた場合は相手の方のブログのコメント欄に書き込むようにしています。

苦しいことがあっても……だいじょうぶ、乗り越えられる

 おはようございます。

 ラジオ体操をする時、ずいぶん空が明るくなってきました。いままで暗かった。夜明けの時間が早くなってきたのでしょう。

 薄い赤い雲が五重塔にかかってきれいです。 

  

 

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「苦しいことや悲しいことがあっても……ブッダや仏様が導いてくださる」

 という言葉が癖になっています。

 道を歩いていて思いにふけっているときに、浮かんでくる。思わず口をついて出てくることもあります。危ないひとか……^^;

 

 こんなぼくは〈自分なりの仏教徒〉なんでしょう。自分なりの解釈なので、仏教はこうだなんていえない。自分で解釈して理解しているだけで充分です。

 

 救われたかったのです。

 48歳にもなって仕事もなく日雇い労働者になる自分を。

「人生、間違ったな」という思いがありました。

 かといって、もう後悔しても遅いし、誰のせいでもない。情けない自分がいるだけです。これを納得したかった。

 

 いまはもう68歳にもなったので「これでいいのだ」と思っています。

 どんなに考えても、自分は自分でしかないので、肯定するしかない。それでいい、のです。

 それにお釈迦様は、ぜったいに他の人を非難しないですし。

 残された仏典の言葉で、道を指し示してくださると思う。

 

 

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 救われる方法はいろいろあると思う。

 キリスト教徒になるのもいいし、政治思想に染まるのもいい。この経済体制のなかで他人と競争して勝ち抜く道を探すのもいい。知識人になるのもいい。仙人のような生き方もいい。

 どんなことをやっても、救われる道はある。たくさんある。

 

 

 でも、ぼくの考えでは、キリスト教は合わなかった。聖書とかすごく読んだんだけれど、どうしても上から目線のような気がして……〈神の絶対性〉を受け入れることができなかった。

 歴史的にみれば「キリスト教帝国主義の尖兵だったし、侵略の手先だった」のです。

  そのためにヨーロッパ以外の国は植民地になった。

 

 

          *               * 

 

 でも、他のことはどうでもいい。

 自分がどのように救われるか、です。

 ぼくの場合は仏教を選んだ、というだけです。生き方として。生きる方法を学ぶために。だから信仰しているわけじゃないです。信仰するのは大事だと思うけれど。

 

 

 子どもの頃は、ギンズバーグの詩に憧れて、フーテンだった。

 沖縄で道路工事をしている時にいっしょだった釜共の人に教えられてマルクス主義の本を読んだ。

 大阪に帰って、いろんな集会に出たけれど、中核派のシンパになった。

 離婚するのとシンパを止めるのはいっしょだった。

 ひとりになって、仕事を探しながら……もう一度、勉強した。この時はいちばん本を読んだと思う。聖書とか仏典を読んだのもその頃です。

 それで何か解決したわけじゃない。

 底辺の仕事とか就職とか、アルバイトとかずっと変わりがなかった。

 底辺の生き方はそんなものでは変わらないのです。

 

 

 それでも、生き方というか心構えを変えると、人生は変わると思う。

 やはり、心がすべてを決めていると思うのです。

 

 すごくシンプルなことをいっているスッタニパータの言葉にいつも帰ってきてしまいます。

 現実はなかなか変わらないけれど、心の安心が必要なのは、誰でもわかると思う。

 どんな現実でも、心が穏やかで安心していると、受け入れられる。

 

 

 そんなことを思ったので、書きました。

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 

        読んでいただいて、ありがとうございました。

        誰もが穏やかで、幸せでありますように。