日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。貧困や社会保障から落ちこぼれる人のために、社会が動いてくれたらいいのですが……いつも、自己中で理不尽なヤクザな強者が勝ちます。それが世の習いでしょうか? 〈自分を救うのは何か〉考えています。ネガティブなものも肯定する視点を持ちたい。いまはブログがあるので寂しくありません。訪問してくださる人に感謝しています。ありがとうございます。コメントをいただいたときは、その方のブログのコメント欄にお返事しますね。

『老子』のこと / 「ダイアモンドダスト」

 おはようございます。

 今朝は暖ったかい。3時頃から起きています。というのは……

 昨日の夜、win10のup dateで、また「windowsの準備をしています」で固まってしまいました。全然更新プログラムをダウンロードしていない……それで強制終了を繰り返していたんだけれど、なかなかパソコンの診断画面が出ない。やっと出て、〈回復〉を試したんだけれど、「ファイルが壊れている可能性があります」で、途中で中断してしまう。回復できない。

 しかたがないので、初期化を。これで年末から3回目です。

 もう、使う頻度が高くないソフトは入れないから、再インストールにも慣れてきました。^^;

 いま5時過ぎ、雨が降ってきたようです。

 

 

  

 

          *               * 

 

 

 昔のことを思い出します。18歳の時、天王寺の書店で〈莊子〉の本を立ち読みしていました。かといって、本格的な『莊子』ではなく野末陳平さんが書いた解説本です。たぶんこの本。

荘子入門―でっかい世界に羽ばたこう (カッパ・ビブリア)

荘子入門―でっかい世界に羽ばたこう (カッパ・ビブリア)

 

 

  当時、ギンズバーグの『吠える』という詩を読んで衝撃を受けていて、もっとビートのことを知りたかった。ビートのことが解説されているエッセイなどで〈老荘思想〉を知って惹かれました。

〈思想〉と思って知りたいわけじゃなく、自分がこれからどう生きるか、〈世界をわかりたかった〉のです。しっかりした考え方が欲しかった。

 

 図書館に行けばいいのに、そんな知恵もなくて本屋で立ち読みしていました。老子や莊子について書いた本が図書館にあったのだろう……と今では思いつくのですが……。

 天王寺図書館は天王寺公園内にあって、行ったことがありました。美術館の下の方で暗くて古い本がたくさん棚に並んでいた。いまみたいに多くの人が図書館を普通に活発に利用することはなかったと思う。もう50年も前……十代の頃の時代の話だから。

 

 

 このお正月に、そんなことを思い出しながら、図書館から借りてきていた老子の解説本を読んでいました。棚を見ていて、いちばん簡単で読みやすそうなので借りて来たんです。

老子のことば (MY古典)

老子のことば (MY古典)

 

目次

はじめに

老子の人物と思想

1章 世相を慨嘆する老子

2章 処世論――柔弱謙下の教訓

3章 政治論――無為の治

4章 反戦の論

5章 儒教批判の言葉

6章 その他の言葉

 

 

 

老子 - Wikipedia

 これで説明されているけれど、老子は謎の人物です。ほんとうにいたかもわからない。そこがおもしろい。

 時代が老子のイメージを生み出したんだと思う。

 以前に、「紀元前500年頃に偉大な思想が同時多発的に生まれてきた」という説を聞いたことがあって、それを信じています。ソクラテスお釈迦様諸子百家も、その頃の人たちです。

 マルクス主義では、同時多発的に何かの転換が起こるのは、生産力が上がったからだという。生産力が社会の基礎で、それが高まったから新しいものが要請されると考えます。そうなんだろうと思うのです。基盤の機能が高まると社会は変化する。その時代に合う思想が出てくる。

 

 

 道教では老子は、神仙と崇められて礼拝の対象になっています。自分も中国に生まれていたら、たぶん今頃、老子を拝んでいたんだろうなと思います。

 

 

 

           *               *  

 

「はじめに」にこうあります。

論語』が常識の世界を代表するとすれば、『老子』はその常識に反省を求める書であるといえよう。

 たとえば『老子』に、「夫れ礼は忠信の薄きにして、乱の首(はじめ)なり」とある。前句は「(末世になって)人々のまごころか薄くなり、相互の信頼関係を何らかの形で示さざるを得なくなった。それが礼だ」ということ。つまえ、お互いの真心が通じ合えば、ことさらな礼など不要だ、という主張である。後句は、お互いのやりとりを本旨とする礼に潜む危険性を指摘する。「こちらがお早うと挨拶したのに、相手が知らん顔をしたとなれば、なまじの礼がかえって争乱の原因となる」というわけである。

 

 儒教批判の老子の言葉です。

 だいたい、世の中のことって、反対になっていることが多いのです。絶対的なことを言って、相手に押し付ける人ほど、自分は実行していないことが多い。矛盾していることをして平気です。まあ、そういう厚かましい人でなければ、観念的な主張を他人に押し付けることはできないのでしょうが……

 

 理想的な、いいことを言うやつほど、腹に陰謀を隠している。他人を操作してやろうと考えている。

 そういう経験があるので、きれいなことを言う人間は信用しません。

 

 

『莊子』もそうですが『老子』は逆説的なことが多くて痛快です。

〈柔弱謙下がいい〉という。

 硬いものより柔らかいもの、強いより弱いほうがいい、と主張する。というか、主張もしない。「道はそちらにあるんだよ」とただ言っている。 

 人が持っている常識をひっくり返す。

 そこからしか、お互いを認めあって慈しむ社会は来ない。そう考えているのです。

 

 

          *               * 

 

老子の人物と思想」を読みながらメモしていたんですが……『老子』の思想を特徴づけるのは〈無為〉と〈道〉という考え方です。

 

 無為というのは〈無作為〉――あまがまま自然に任せよ、ということです。世間の人はあれこれとやり過ぎて返って混乱し、争いを起こしている。……作為的にやることが〈好き〉なのかもしれない。争いが好きなのかも……

 でも老子は、穏やかで、静かで、争わないのがいちばんいいと考えているようです。

 無為自然――自然に任せよ。自然に生きよ。

 

 それと〈道〉の思想です。

〈道〉は天地自然を造り出し動かしているエネルギーで、名づけられないもの。天地万物を生み出す母的な存在としてある基本原理です。

 その「道」の話もいっぱい出てくるのでおもしろい。

道は常に無為にして、而も為さざるは無し。候王若し能く之を守れば、万物(万民)将に自ら化せんとす。(37章)

 道は倫理でもあります。

 

天網は恢恢、疎にして漏らさず

 

 上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し。

 

 

  日本人は昔から『老子』が好きです。格言とかことわざになっている。この島国に住む人は、争わず、自然な生き方が好きなのです。

 

 

          *               * 

 

 

 

 

         次も老荘について考えます。

 

 

 

  

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

  「ダイアモンドダスト」

 

花びらのような

氷のかけらが

舞い

光に

きらきら

輝いて

降る

雪原に

残された

動物の

足跡を

優しく

消し去るように

静かに

降り積もる

それは

音のない音楽のようだ

聞こえない

川のせせらぎのようだ

それは

胸に

残った

苦い記憶を

眠らせる

 

 

  

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。