日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。貧困や社会保障から落ちこぼれる人のために、社会が動いてくれたらいいのですが……いつも、自己中で理不尽なヤクザな強者が勝ちます。それが世の習いでしょうか? 〈自分を救うのは何か〉考えています。ネガティブなものも肯定する視点を持ちたい。いまはブログがあるので寂しくありません。訪問してくださる人に感謝しています。ありがとうございます。コメントをいただいたときは、その方のブログのコメント欄にお返事しますね。

『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』 / 「草」

 おはようございます。

 今朝の気温は3.2度らしい。昨日よりもちっぴり暖かい。でも「冬になったな~」って気がします。寒くて目が覚めてしまう。

 ラジオ体操の時には、するどい声で鳴く鳥がイチョウの木の枝を飛び回っています。なんだろう、ツグミだろうか。ツグミぐらいしか知らない。

 

  

 

          *               * 

 

 

  タイトルに興味を持ったので、図書館から借りて読みました。 

変えてみよう! 記憶とのつきあいかた

変えてみよう! 記憶とのつきあいかた

 

 いつものように目次を書きます。

1章 自分も、人生も、記憶がつくりあげる

2章 絶対に忘れたくない!――どんな記憶が残るのか

3章 忘れたいのに、忘れられない――嫌な記憶はなくせるか

4章 あれは本当だったのか?――偽りの記憶

5章 記憶を生かして、よりよく生きる

 

 

 

            *               * 

 

  この本のあとがきで著者はこう書いています。

 この本を書く作業は、専門的な本や論文の執筆とちがって、戸惑いの連続だった。何よりも困ったのは、根拠の問題だ。専門的的な本や論文の場合、自分の主張の根拠がいくらでも他人の研究の中にみつかるために、調べるのは大変だが、それらを並べておくだけでよい。しかし、この本では、他人の研究でなく、可能な限り自分の経験や考えを前面に出さねばならず、今までのやりかたが通用しなかったからだ

 通り一編の話になっていません。おもしろかった。自分の体験や実感から書かれているので、エッセイ的なよい読み物になっています。納得しうなづけたのです。

 

 記憶は不思議です。

 4章は〈記憶が本当か〉疑問を投げかけているんですが、後から作られて、事実でない記憶も多いでしょう。

 人は自分を飾る、ということがあるし、こうあればいいなという願望もある。ある時はそれが現実だと思いこんでしまう。それで記憶が歪められる。自分の感情に左右されて「事実だ」と思い込んでしまう。ときには、偽の記憶を作り上げてしまうのです。

 

 ぼくは長い間、「子どもの頃に親に虐待された」という思いから抜けられなかったのですが、ほんとうだったのか……という気持になったのは50歳近くになってからです。

 たぶん、そういう歪んだ記憶や思い出を持つことが、自分にとって生きやすかったのだろうと思います。合理化の心理です。

防衛機制ってなあに?

 

 その頃は、知識として知っていた仏教でなく、ほんとうに救いを求めるために仏教について書かれた本を読みました。〈無常〉というものが〈体験〉としてわかり、それまで持っていた、わだかまりとか、憎しみとか、愛憎のあれこれを価値づけするのが嫌になりました……人を憎んだりすることを、〈生きる〉代わりにすることは無意味だろうと思ったのです。

 

 思い出す言葉があります。 

 加藤諦三さんの本で読んだはずなのですが、たくさんの本を書いておられるので、検索してもわかりませんでした。

いちばんいいのは、愛されること。

次にいいのは、愛されないこと。

最悪なのが、偽りの愛に囚われていること。

という言葉です。すごく印象に残っています。

 なぜ、愛されないことが次善になっているのかというと、少なくも、偽りの愛に因われるよりも〈自立〉できるからでしょう。

 

加藤諦三 | ホームページ

加藤諦三 - Wikipedia

 

 人は他人に依存したり、振り回されたりするのではなく、自分で決め、自分で歩まねばならないのです。いいえ、自分で歩める存在なのです。

 

 

          *               *

 

 

1章には、

  • 記憶の連続性によってが「昔も今も同じ自分」という自己同一性が保たれていることが書かれています。
  • 記憶喪失の症例や、記憶ができない事例が述べられています。記憶が失われることは、〈自分というものが何者か〉わからなくなることで、常に不安な状態に置かれてしまうことです。

 

 ……性格や生きかたに記憶が「影響を与える」と言っているのであって、性格や生きかたを記憶が「決める」とは言っていないということだ。なぜなら、どれほど過去の記憶が自分に「影響を与える」ことがあったとしても、それらの影響の中から、最終的に自分の生きかたを「決める」のは、現在の自分自身にほかならないからである。(P27)

  • どんな記憶があったからといって、それで自分が決められたわけではない。

 

 

2章

  P37に「どの時代の記憶が残っているか」調査したグラフが乗せられています。20代の記憶がいちばん残るようです。

 20代は社会に出ていく時期です。就職、結婚、出産、子育てなど経験したことがない初めての出来事に遭遇する、それで鮮明に記憶に残る。

  • 自分にとって「はじめて」のことは記憶に残る。
  • ショッキングな事件や事故は鮮明に覚えている。(フラッシュバルブ記憶)
  • またマスコミによって絶えず反復されると記憶に残りやすい。
  • 幼児は記憶力があっても、その時の状況に関連付けする能力がないので、記憶に残らない。4才児以降に関連付けの能力は高まる。
  • 大人になって難解な本を読んで記憶に残らないのは、その言葉に関連付けられた知識を持たないからである。知識が増えれば関連付けもでき、内容もよく理解でき、記憶に残る。

 

3章

  • トラウマPTSD
  • ショックな出来事は焼き付いているのに、前後や背景は記憶に残らない。
  • その場所や出来事の手掛かりが必要。思い出すきっかけになる。
  • 自分の内面の感情が、記憶が残る基本にある。
  • 嫌な記憶を避けるには、トラウマになっていることを思い出させる状況や状態を避ける。別のことに打ち込む。
  • だが、人にとって、意志的に「忘れる」ことは不可能です。
  • よい方法は、その出来事の「意味づけ」を変えること。新しい視点で見直すことによってトラウマから脱出できる。

 

 

 4章

「それは本当に正しい記憶なのか?」と問うこと。

  • 光背効果というものがある。
  • 先入観もある。
  • 自分なりの体験から理解しているに過ぎない。都合よく意味づけた記憶を作っている。

 

  この章では様々な心理実験の結果が語られているのですが、実験によって人の記憶は簡単に作られたりします。権威を持った者から指示されたり、また何回も誤った情報がくり返し流されることで、記憶が作られていく。

 そうした記憶の歪みを防ぐためには、出来事を〈客観的にみる〉こと、が必要です。

 記憶のゆがみを少なくするには、二つのステップが必要だ。一番目のステップは、何よりもまず、記憶がゆがむものだということをしっかりと認識することだ。私たちは他人の記憶のゆがみやすさにはすぐに納得するのに、自分の記憶のゆがみはなかなか認めようとしないものだ。まずは、自分の記憶も絶対ではなく、生きている以上、ゆがんでしまう可能性が常にあるのだと認識を変えることが大切である。

 それができた上での二番目のステップは、自分の記憶であっても、他人の記憶のように、突き放して、客観的にみつめてみることだ。(P136)

 

 

 5章

は、「苦しかったときにがんばった」記憶を思い出して、いまの苦難を乗り越えよう、という提言の章です。

 苦労や惨めだったことを乗り越えてきたのだから、それを思い返せば、がんばれる。

 他人の苦労話にも耳を傾けよう。世代を超えて時代が生み出した記憶を共有してゆこう。

 

 

  この章では、個人的な体験で残った記憶、社会的に生み出された記憶……心理学的な説明を交えながら、記憶を「どう役立てるべきなのか」話されています。

 読みやすくて、いい本だな、と思いました。

  

          *               *

 

 過去は過ぎ去ってもう戻ってこない。

 未来はまだわからない。

〈いま、ここ〉だけが真実です。 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「草」

 

木は

枝を広げ

草は

葉を茂らせ

誰も見ないのに

花を

咲かせる

それは

命の

せつない法則

枯れ葉が

積もる

地面に

座り

日に照らされ

あたたかさを

感じながら

ぼおっとしていると

ふいに

気づく

何かに

包まれ

守られていること

静かな

陽溜まりの

午後に

人は

ひとり

じゃない

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。