日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

社会の底辺で生きて来て、68歳になりました。そこから見える風景や、読んだ本の感想や、ネットの検索でわかったことなどを書きます。生きることは辛いこともありますが、何をしても生きてゆけると思っています。仏教は生きる指針です。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝します。

『宗教は人を救えるのか』 / 「花」

 おはようございます。

 大阪は最高気温が16度になる予報で、暖かいですが、北海道は吹雪が続くそうです。どうかご無事で。 

 

  

 

          *               * 

 

 

 タイトルの「宗教は人を救えるのか」に惹かれました。「救い」という言葉に弱い。(^_^;)

 

  釈徹宗さんはこういう人です。

 「宗教聖典を乱読する」は昔、読んだことがあります。

 仏教を広く世間に紹介されている方のようです。

 

目次

序章 成熟社会ゆえの期待と苦悩

1章 各宗教は「老い」の苦しみをどうとらえているのか

2章 「死」の悲しみを引き受けていくために大切なこと

3章 「あきらめく」心構えを「六波羅蜜」に学ぶ

4章 身近な悩みに、仏教はどこまで寄り添えるのか

終章 心が不具合を起こしたら、余計なものを削いでいく

特別対談「宗教儀礼を大切にすることが、なぜ心の安寧につながるのか」

 

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 序章では、現代人が持っている様々な問題が語られています。

 

 日本では高度経済成長にともなって、田舎の束縛を逃れ都会で生活することが当たり前になった。都会の生活は消費社会で、サービスはお金を払って得る〈等価交換〉に基いている。また欲望を刺激されることが、さらなる欲望を生み出す。人間関係のしがらみはないが個人はバラバラになる。

 その状況は……

  • ゆとり世代の後は、さとり世代と呼ばれる若者が登場した。
  • 情報革命の時代。パラダイムシフトが起こっている。
  • 経済格差が大きくなっている。

 P25には平川克美の〈均衡システム〉の考えが書かれています。

 私達の社会は経済成長という病、あるいは〈呪術〉にかかりました。しかし、その呪術の有効期限が切れかかっています。重要なことは、拡大とか縮小とかいった経済の量ではなく、均衡という状態なのです。それを目指すことは、これからの成熟期の社会において重要な指針だと言えるのではないでしょうか。

 P27にA・T・アリヤラトネサルボダヤ・シュラマダーナ運動が紹介されています。

 やましたひでこの 断捨離 はモノへの執着をなくそうという考え方。

「コモンカフェ」提唱者の山納洋 の活動。

 

  それぞれ、個人がバラバラになった現代社会の関係を、もう一度見直そうという活動が紹介されています。

 それでも著者は、いつの時代も変わらない苦悩……仏教でいう「生病老死」がある、といいます。

 

1章

 P42~70まで、キリスト教イスラム教、儒教、仏教の〈死〉についての言葉を引用し著者の解説、感想が述べられています。

 現在では「終活」という現象が広がったこと。

 死を前にして、遺族が困らないように書類等を整理しておく。また死ぬまでの介護をどうするか、が問題。

 

 キューブラー・ロスの死への態度。その解説。

 

 国、民族の 持っている死生観がある。

  • 「死者の国」がある、という考え方。
  • 「輪廻する」という考え方。 

 輪廻の死生観を支えているのが、「われわれには実体がある」とする存在論です。前出のアートマンに代表される実体、それが死と再生を繰り返すと考えます。ヒンドゥー系宗教の大部分は、このような存在論をもっています。ここではそれを「実有(じつう)の存在論」と呼ぶことにします。

 これに対して、仏教では「不滅の実体、変化しない実体、そんなものはない」という立場に立ちます。われわれはいくつかの要素の集合体であり、現在の存在は一時的状態であるととらえます。これを「仮有(けう)の存在論」と呼ぶことにします。(P83)

 

 また死後「魂や霊が裁かれる」という来世観を持つ民族や国もあります。

 各宗教それぞれに「死」を巡る物語がある。宗教は、生と死に最終的な意味付けをする体系なのだと述べられています。

 

  この章で取り上げられているのが甲谷匡賛さんスペースALS-Dです。P98~111まで、死を前にした甲谷さんがかって書かれた日記の言葉が引用されて、著者の感想が述べられます。

 

 それを読んでいて考えたのは……〈人が生きてゆく場所〉ということです。

 ぼくにとってこの四畳半が自分の世界だし、生きている場所です。そこで本を読んだりして、人生を過ごす。それでいいのです。

 自分の世界にいることが【救い】なのではないか、と思ったのです。

 社会は人を救うために政策を作るのです。そうして人を救けることができたらいい。

 個人にとっては、自分の世界があり、幸せがそこにあるような状態にいることが救いでしょう。そこで宗教的であることは、幸せに近づくことなのではないか。

 

 

2章

 ここでは死を引き受けていくことが書かれています。

 そして、ロゴス――パトス――エトス――トポス という観点から死を考えてます。そのへんは哲学を援用した難しい解説になっているな、と思いました。

 

 この章で紹介されている人物は岸本英夫です。 

宗教学

宗教学

 

 という本を著し、宗教を分類し、定義しました。

 

 また、10年間の癌との闘病で、死というものに真摯に正直に向かい合った記録である

死を見つめる心 (講談社文庫)

死を見つめる心 (講談社文庫)

 

 という本を残されました。

 

 この章のP124~134で引用されている岸本英夫の言葉は、素直なので、心に響くものがあります。

「生命飢餓状態におかれた人間が、ワナワナしそうな膝がしらを抑えて、一生懸命に頑張りながら、観念的な死生観に求めるものは何であるか。何か、この直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、抵抗するための力になるようなものがありはしないかということである。それに役に立たないような考え方や観念の組み立ては、すべて、無用の長物である」と言い放っています。(P126)

 

 

          *               * 

 

 

 3章は六波羅蜜の解説です。 

kotobank.jp

  じっさいに日常生活のなかで、こういうふうに実践したらいいというアドバイスです。仏教的な、問題の解決法です。

 

 

 4章は『Fole(フォーレ)』という月刊誌で行っていた悩み相談の問答を整理したものです。日常によくある悩みを、仏教的な見地から解答しています。

 

 終章はタイトルにあるように「余計なものを削いでいく」すすめです。

 いずれにしても、本書で何度も語ってきたように「自分というもの」を点検していくところから始めることとなります。そして「自分というもの」をできるだけ暴れさせないように調える。とにかく、現代社会の構造は不安が増幅しやすい状況にあります。「自分というものを肥大させる装置」が、身の周りにあふれているからです。

「自分というもの」がきちんと見えてくると、後悔や不安だって必ずしも捨て去るべきものではないことがわかってきます。不安によって開かれる新しい扉もあります。

 ひと口に心の不具合と言っても、医療的対処が必要な場合や、気質的な問題である場合など、さまざまな状況があります。だから、あきらめる技法ですべて解決、ということにはなりません。ただ冒頭にお話ししたように、宗教体系には「避けることのできない苦悩をなんとか引き受けながら生き抜く人類の知恵」が内蔵されています。

 特に仏教には、現代人に多く見られる「自分というものが肥大する苦悩」に関して数多くの技法をもっています。だから、最後は〈仏教イチ推し〉にさせてもらいました。少し自分の身の周りに目を凝らして、仏法とのご縁をたぐってみてください。(P218)

  この本の内容は、これで言い尽くされているのではないかと思います。

 

 

          *               *  

  

  この本には多くの人が登場しているのですが、それぞれのエピソードが具体的なので、同じような気持で考えられたことがよかった、と思いました。

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「花」

 

雪のなかの

ちいさな

花よ

薄い紫色の

花びらを

せいいっぱい

開げて

何を

伝えたいのか

氷の粒の

雪を溶かし

緑の葉と

手をつなぎ

ひっそりと

咲いている

雪の原を

さ迷う

森の

獣たちは

あなたに

気づくだろうか

冷たい風に

晒され

疲れた心に

ほっとした

あたたかさを

感じるだろうか

光に

照らされた

昼が過ぎて

もうすぐ

凍る夜がやってくる

そのとき

月の明かりのもとで

あなたは

花びらを閉じて

静かに

眠るのだろうか

 

 

   

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。