日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

社会の底辺で生きて来て67歳になってしまいました。そこから見える風景や、読んだ本の感想や、ネット検索でわかったことなどを書きます。生きることは辛いこともありますが、何をしても生きて行ける。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝します。

適当に生きよう / 「木」

 おはようございます。

 今朝は寒いです。最高気温は平年より高くなるそうですが。

 イチョウや桜の紅葉が鮮やかです。町の中でも自然を感じることが出来ます。 

  

 

          *               * 

 

 

 

 「布施は惜しみ心を退け、持戒は行いを正しくし、忍辱は怒りやすい心を治め、精進は怠りの心をなくし、禅定は散りやすい心を静め、智慧は愚かな暗い心を明らかにする。」(華厳経6、明難品)

  購読しているメールマガジンに載っていた言葉です。こんな言葉を聞くと、仏教はすごく堅い近寄りがたいもののようにみえます。でも、仏教の根本は簡単なんです。

 

 

(仏教の基本の教えが簡潔に書かれているのでリンクさせていただきます)

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 八正道が生きる指針です。

 難しく考えたり解釈したりすることはいらない。簡単な表現では……

 

 正しいものの見方

 正しいものの考え方

 正しい言葉

 正しい行い

 正しい生活

 無理のない適切な努力

 教えを忘れないこと

 正しい瞑想と心の解放

 

 極端にふれるようなことはだめで、〈普通〉であればいい。

 でも、けっこう、それが難しい。 

〈正しい云々〉と抽象的にしかいえないのは、人それぞれの事情が違うからです。おかれている環境も違うから。

 普段、ぼくたちは「何が正しいのか」つきつめて考えたりしないけれど、誰でも、「こんなことをしたら相手は嫌な気持ちになるだろうな」ということはわかる。

 それでもしたい、となるのか、いや、やめようとなるのか……正しいことは、その時々に自分で選ばなくてはならない。選んで生きていくしかない。自分の利益になるようにするのか、それとももっと高次な違うルールに従うか。

 これは悪いことだから正しい道に進もう、と思ったりします。

 そういう正しさで世間は成り立っていると思うのです。

 

 

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 座間の事件で、自殺したいとひとりで苦しんでいる若い人たちが大勢いたのだ、ということが明らかになりました。痛ましいです。亡くなられた方の、ご冥福をお祈りいたします。

 

 誰でも一度は〈死にたい〉と考えたりすることもあると思います。ぼくも何度もあります。

 でも死んでしまえばそれで終りです。

 迷いながらでも、なるべく苦しまないような生き方を探したほうがいいと思うのです。

 生きているから苦しいのですが、見方を変えてみたら、生きているから楽しいこともあるし、喜びを感じたりすることもある。生きていないと、寅さんがいう「生きていて、よかった」と感じることもできません。

 

matome.naver.jp

 寅さんはいい。ぼくは寅さんの映画がすごく好きです。

車寅次郎らしさ 第39作 男はつらいよ 寅次郎物語 - YouTube

 難しく考えない。

 完璧主義ではなく、いい加減に、適当に生きたいです。  

 憂鬱な悲観的な気分にとらわれないことです。

 

 寅さんのように旅に出ると、きっと何か見つかるような気がします。見つからなくても気分転換はできるでしょう。見つからなくても何も困らない、と思えばいい。ぼくたちは、〈価値〉とか〈意味〉にとらわれ過ぎです。

 

 

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 世間のなかで生きていると苦しい場面に遭遇することが多いけれど…… 

 

 欠点だらけでいいのです。それでも充分、生きてゆけます。

 人間は集団生活をしているから、それでトラブルも発生します。それは常態だと思えばいい。

 誰に文句を言われる筋合いもない。

 他人を非難したりにケチをつける人は、そういう人であって、誰にでもそういう態度なのです。他人の態度に一喜一憂しないようにしたい。そういう人は、あなたをコントロールしたいのです。自分の影響で他人がうろたえるのを見て、喜んでいる卑しい心の持ち主なのです。

 他人にいい人になって欲しいと思っても、そうはならない。他人は他人だからです。

 そういう人とは距離を取るのが正解です。べつに嫌いになるわけじゃない。否定もしていない。他人は他人と考えて距離を置くことは、相手を認めていることでもあります。

 

 社会とか世間は、欠点とか弱いことを許さないようにみえます。そうでないと集団が維持できないからでしょう。〈規範とかルール〉とか、〈理想〉とかこしらえて、それに向かって競争させるようにする、それで社会がまとまるようになっている。

 競争とか格差とか、区別とか採点されたりとか評価とか……悪口とか非難とか、他から押しつけられるものは多い。それで社会は成り立っています。

 

 資本主義は貧困で支えられているし、社会の下層にいる人によって社会は支えられている。みんなルールを守っている。

 

 人が人である限り、他人を非難したり貶めたり、支配しようとすることはなくならないでしょう。たぶん人間の本性なのです。

 人は集団で生活する生き物ですから、リーダーになりたい人とか、他人よりも優越したい人が必ず出てくる。そのほうが楽で、優位な立場にいられるから。

 

〈人は集団でないと生きることができない〉ということが、すべての苦しみの基です。

 

 生まれた時にはどこかの集団に所属していました。

 家族、地域、(友だち)、職場、(人脈)、地位――→自己実現へと人の自我は拡張してゆくらしいです。マズロー自己実現理論には批判もあり、欠陥もあるようですが……わかりやすい。人には承認欲求がありますから。

 

 でも、社会で、誰もが順調に成功するわけがない。成功するのは少数です。

 

 社会的に成功するのは、他人の憧れの的でもあり、表面もきらびやかですが、幸せかどうかはちょっと違うような気がするのです。社会的成功を目標にして生きている人は、それはそれで充実しているのでしょうが……

 

 

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 自分を縛ってくる枠組みから離れたほうがいい。他から規定されない自分が大事です。

 いろいろあっても、なるべく苦しまないような生き方を選びましょう。そうしたいです。

 それで――仏教的な諦観は、適当に生きるための指針です。

 

 

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「木」

 

丘に立っている

一本の木に

挨拶する

おはよう

元気でやりましょうね

それは

自分への言葉でもある

離れていても

わかりあえる

木は

ざわぞわと

葉を

揺する

日が照って

凍った土は溶けて

あたたかい

光の束のなかで

草の

緑が

揺らめく

風が吹く丘に

ひとり

立っている

木よ

 

  

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。