日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

社会の底辺で生きて来て67歳になってしまいました。そこから見える風景や、読んだ本の感想や、ネット検索でわかったことなどを書きます。生きることは辛いこともありますが、何をしても生きて行ける。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝します。

映画論『アンゲロプロスの瞳』を読んで / 「夢の木」

 おはようございます。

 台風22号も夜中には三陸沖で熱帯低気圧になりました。天気予報では、暴風や雨に注意してほしいといっています。天気図をみると東北や北海道は雨雲に覆われています。まだ雨は降るんですね。

 昨日はアパートの物干し場のドアを閉めていましたが、風が強かった。

 どこにも出かけられませんでした。

 晴れた天気の方がいいです。 

  

 

          *               * 

 

 

 

アンゲロプロスの瞳 (歴史の叫び、映像の囁き)

アンゲロプロスの瞳 (歴史の叫び、映像の囁き)

 

 目次

序章

第1部 叙事詩的映画論

 1章 神話・叙事詩・悲劇

 2章 リアリズムと審美主義

 3章 英雄と群衆

第2部『旅芸人の記録』論

 1章 物語の構造

 2章 映像の美学

第3部『旅芸人の記録』前後

 1章 『1936年の日々』論

 2章 『狩人』論

第4部『英雄の叙事詩

 『アレクサンダー大王』論

第5部「旅」と「国境」

 1章 『シテール島への船出』論

 2章 『蜂の旅人』論

 3章 『霧の中の風景』論

 4章 『こうのとり、たちずさんで』論

 5章 『ユリシーズの瞳』論

 6章 『永遠と一日』論

アンゲロプロスの瞳 

 

 読んだので簡単な感想を書きます。

 

  この本の発行は2005年です。それで『エレニの旅』と『エレニの帰郷』論はありません。   

テオ・アンゲロプロス - Wikipedia

 

  アンゲロプロスの映画は重厚です。ワンシーン=ワンショットで撮るという技法のせいもあるのでしょうが、映画の構成が神話に基いているからです。

 その理由が第1部の「叙事詩的映画論」で分析されています。アンゲロプロスの映画は叙事詩的(神話的)であることがわかります。

神話とは、一般に物語の形式によって、民族の価値観、行動原理、起源と目的を示し、民族が自らの行動を合理化正当化するための参照体系としての役割を果たしている。(P25)

  アンゲロプロスの映画は、ギリシャ民族の近・現代史を描くために、神話的な構成を使っています。これはストーリーや登場人物を描くハリウッド映画とはまったく違うやり方です。アンゲロプロスの映画では登場人物を描くより歴史の神話的構造を描く。神話を原型とした現代の物語を描く。 そこに重厚さや荘厳さ、重層性が出てくる。〈悲劇〉が描かれる―― 

 そういう解説が第1部の「叙事詩的映画論」です。

 

叙事詩とは何か」ということでヘーゲルの定義から始めています。「ヘーゲルの定義かあ」とちょっと敬遠する気持ちになりました。難解過ぎる……。そんな定義を持って来て権威づけなくても、アンゲロプロスの映画が叙事詩的なのはわかるからです。普通の映画とはちょっと違う時間の流れを感じることができる。

 

 20世紀に作られた叙事詩的映画へと話は進んでいく。

 ここでは1にアメリカ映画。2にソビエト映画。3にドイツ映画。4にフランス映画が紹介されています。

  1. アメリカ――グリフィスの『国民の創生』……西部劇は叙事詩の英雄と酷似していると解説されています。
  2. ソビエトの映画は〈共産主義という理念の視覚化〉として映画が作られた。 エイゼンシュテインモンタージュ理論についても言及されています。
  3. ドイツ映画――フリッツ・ラングメトロポリス』。神話を基にした映画です。
  4. フランス映画――については〈小さな物語〉を描く方向に進んだ、と書かれています。

 

 エイゼンシュテインについてのモンタージュ理論について書かれている、第2部2章の「映像の美学」が読み応えがありました。

 P113に指摘されているのですが、

  • 長回し」の多用
  • 空間的深さ(横への広がりを含む)
  • 映像の多義性と解釈の多様性

 こうしたパンや移動にとよって、絶えず動き続けるカメラ。同一画面への作中人物のフレーム・インとフレーム・アウトの多用。一つの長いショットの中における、複数の被写体の同時的、あるいは継起的共存。絶えざる「横軸での再フレーミング化」は、そのままアンゲロプロスの「長回し」の特徴でもある。(P118)

 

  この章では他の監督の長回しとの比較、違いが解説されています。言及されているのはウィリアム・ワイラーの「偽りの花園」のマーシャルの死のシーンや「我らの生涯の最良の年」の酒場の場面。エイゼンシュテインの「立体映画」論からの引用。オーソン・ウェルズの「市民ケーン」の撮り方。ジャン・ルノアールから〈横への広がり〉を学んだこと。

 ここでの解説と分析を読んでいると、映画の映像というものが、いかに考えて作られているかわかります。

 同じ長回しでも、台湾の候孝賢監督(「非情都市」)との違いがある、と書かれています。

確かに、二人とも長いショットを好み、ひとつのショットの中で、「画面の奥行き(横への広がりを含む)」を有効に活用している点では共通しているが、すでに述べたように、アンゲロプロスのカメラが絶えず画面の枠を超えようとするかのように「動く」のに対して、候孝賢のカメラは僅かなパンはあるものの、基本的には一点に「静止」しており、ほとんどの場面が固定画面で撮られている。(P122)

  映画評論家というものはこんなに映画を詳しく分析、解釈するものなんだ、と思わされました。

 

 さらに詳しくトピックを分けて、「舞踏する映像」「広場と室内」「空間化された時間」「解放」「広場」「夜の市街戦」「海辺の芝居」「復讐の時」「武装解除」「戦いとしての歌、戦いとしての踊り」「海辺の結婚式」「オレステスの死」「現代のペロポネソス戦争」と、『旅芸人の記録』を場面ごとに分析、解説されています。

 それを読んで「こういう意味で、こういう場面として撮っているんだ」と気づかされたのです。

 

 

          *               * 

 

 エイゼンシュテインモンタージュ理論についてのリンクを貼らせていただきます。

 

モンタージュ - Wikipedia

 

モンタージュ理論(もんたーじゅりろん)とは - コトバンク

 これらの解説を読んでいただけで、いろいろ考えてしまいます。すごく苦労して映像は撮られているのだな……。

 

 

swingroot.com

 

 

          *               *

 

 

 難解な文章で、考えながら読んだのですが、納得するものがありました。

 映画論といっても理論的な分析でなされる。「深読み」が必要か……という気持ちになりました。

 

 この本を読んで、

「理論的なものが世の中を動かしているんだな」

           と気づきました。

 世の中のことを動かしている根底に〈理論〉がある。

 経済も政治も、会社で働くことも、あらゆることは〈何かの考え〉=理論、に基いていて、根本に理論的なものがあるのだと気づいたのです。世の中の活動はなんらかの理論とか考えに基づいてなされている。

 

 政治は、政治理論、とか政策論。

 会社は、経営学とか経済学。

 社会の現象は、社会学統計学。心理学。社会の様々なことを解釈するのに何かの理論が使われているし、何かを生み出すことも〈仮定される〉理論から発想されている。

 

 普段、生活するのに理論的なことは必要ないのですが、いまあることを発展させるには理論的な考え方が必要みたいです。また、いまあることは、何かの理論的な結論で、結果ということでしょう。社会は、理論的な考え方や見方の結果です。

 

 社会の裏には〈理論的なもの〉がある。

 それを知ることは社会の真実に近づくことになるだろう。知ったほうが、社会のことがわかるようになる、そういう意味で重要。

 

 そんなことを考えたのです。それで、映画を観て深読みすることもおもしろい、と思ったのです。

 

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「夢の木」

 

夢になかで

一本の

木が

斜めの

崖に

生えている

空は

薄闇がせまった

エメラルド・グリーンで

岩のあいだから

伸びた

細い幹は

しなやかで

すべすべしていて

風にしなる

枝の

七色の

葉っぱが

ざわざわと

音を立てる

黄や

枯れた

葉も

ゆすられて

声を上げる

空は

暗くなってゆくが

いつか

太陽が昇り

輝くのを

待っている

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。