日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

社会の底辺で生きて来て67歳になってしまいました。そこから見える風景や、読んだ本の感想や、ネット検索でわかったことなどを書きます。生きることは辛いこともありますが、何をしても生きて行ける。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝します。

『アジア主義』 を読む 5 / 「夜」

 おはようございます。

 朝方は冷えます。シュラフかぶっていると、目覚ましが鳴り出すまで深い眠りに入っています。最近、夢を見ない。見ているが忘れているのでしょうか。

 

  

 

          *               * 

 

 

  岡倉天心アジア主義も、柳宗悦の思いも、政治の巨大な流れ――日本のアジアへの帝国主義的な進出を止めることはできませんでした。

 けっきょくアジア主義大東亜共栄圏という思想に収斂して行くことになる……〈政治が思想の形をとる〉のがいちばん危ない、そう思っています。

 政治家は国を運営し、庶民は、政治に左右されてしまう。庶民は受け身です。この社会では、それはなかなか変わらないと思います。 

 

 

 

13章 中国ナショナリズムへのまなざし――辛亥革命と21ヶ条要求

 

  日本のアジア主義者は、北では満州利権の確保を追求し、南では孫文らによる革命運動を支援することになります。(P270)

 

民衆レベルの中国ナショナリズム

  1904年、アメリカで中国人移民禁止法が可決される。中国ではアメリカ製品の不買運動が起こる。

 1908年、第二辰丸事件がきっかけとなって反日運動が起こる。この船が輸送していた武器は革命派のためでした。それで革命派は反日運動には加担しなかった事情があります。日本のアジア主義者たちは、中国の民衆の反日ナショナリズムを軽視していたようでてす。

 

 1911年、辛亥革命が起こる。

  孫文が臨時革命政府の大統領になる。

 中華民国の領土の範囲が問題となりました。革命政府は清朝の版図をそのまま引き継いだため、満州やモンゴル、新疆ウイグルチベットなどの地域も自国領とすることになりました。

 中国革命が成就すれば満州権益が手に入ると期待していた日本は……清朝の領域を引き継いだ革命政府に対して「約束と違う」という思いを募らせていきました。(P276)

 革命派にとって満州の優先順位は高くなかったので、日本は満州租借を交渉しますが、革命政府が要求した1000万円を用意できず交渉は失敗に終わりました。

 

 日本は中国のナショナリズムを見誤ったのです。その詳しい内容がP279に書かれています。

 内田は「孫文に裏切られた」という思いを持っていました。

 内田は一気に中国分割論を主張するようになります。

 

 1914年7月、第一次世界大戦が起き、日本はドイツに宣戦し、租借地を占領しました。翌年、大隅内閣は中国に対して21ヶ条の要求を突き付けました。

 中国では反日運動が巻き起こります。

 その頃、孫文は東京にいました。日本と「日中盟約」を結びました。

 その内容です。(すみません、リンクさせていただきます。m(_ _)m)

将門Web:日中盟約 - livedoor Blog(ブログ)

 

 中国の民衆の反日運動は激化してゆきます。

 

14章 孫文の大アジア主義演説

 孫文  「大アジア主義講演」

         を分析する章です。

 

 1923年、孫文が犬養に送った手紙の解説が、P292~296に書かれています。

 手紙では、日本が帝国主義化し朝鮮を植民地化したことを非難しています。

 

 1924年には訪日時に「日本国民に告ぐる書」という声明を発表します。

「21ヶ条要求撤廃と旅順・大連返還について、今は具体的な考えを持っているわけではないけれども、北京に到着したら国民会議を招集して、広く意見を聞きたい」

 不平等条約の撤廃を訴えていた孫文としては、日本の満州利権の返還を求めたいのが本音でした。しかし旧知のアジア主義者には言い出しにくい話題でした。――P298

 

「大アジア主義演説」の内容です。

  • ヨーロッパの近代文化は〈覇道〉。
  • アジアの精神文化に基づく〈王道〉によって世界を包み直すべき。
  • ソ連は「王道」の政策を取っている。
  • 日中ソ連携論。
  • 日本はアジアの側に立っておらず、アジアを苦しめている。

 

15章 来日アジア人の期待と失望

 ベトナムの革命家ファン・ボイ・チャウ

 彼は日本の支援を求めて来ていたのですが、1907年、日本は日仏協約を締結し、フランスのベトナム植民地支配を容認。チャウは失望しました。

 

 インド人モスリムのM・バルカトゥッラー。ガダル党という武装闘争の団体の拠点作りを東京で行った。玄洋社の「アジア義会」の評議員

 

 1915年、ボース来日。玄洋社中村屋に匿う。

 

 1916年にはタゴールが来日。タゴール・ブームが起こります。しかし、タゴールが講演で「日本が西洋の複製」になってしまう危険を指摘すると、一転、バッシングされます。

 

 

          *               *

 

 

 先駆けて近代化していた日本を巡って、革命の支援を求める者たちが来日、亡命してきます。帝国列強に伍して満州や朝鮮の権益を守ろうとする日本に幻滅する者たちも出てきます。

 

 

 

        (長くなりましたが、金曜日でこの本を読み終えます) 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「夜」

 

森の奥で

動物たちが

動き回る

気配がして

鳥や

虫の声が

木の影に

滲みて

山の稜線は

暗く

黒く

空と

区切られている

雲がかかり

微かに

瞬く光は

ずっと遠い

向こうに

違う生き方を

置いてきた

ぼくは

これから

何をしていくだろう

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。