日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。貧困や社会保障から落ちこぼれる人のために、社会が動いてくれたらいいのですが……いつも、自己中で理不尽な強い者が勝者になるようです。〈自分を救うのは何か〉考えています。ネガティブなものも肯定する視点を持ちたい。いまはブログがあるので寂しくありません。訪問してくださる人に感謝しています。ありがとうございます。コメントをいただいた場合は相手の方のブログのコメント欄にお返事しますね。

『アジア主義』 を読む 2 / 「記憶」

 おはようございます。

 5時過ぎですがまだ暗いです。お天気は午後から曇りになるようで、雨が振り始めるようです。

 昨日は図書館に本を返しに行きました。

 まだ読みたい本が残っています。

 ひとりだと本を読むことが人生、みたいになっていて。

 

  

 

          *               * 

 

 

3章 なぜ自由民権運動から右翼の源流・玄洋社が生まれたのか

 自由民権運動は1874年1月の「民撰議院設立建白書」をきっかけにスタートしたデモクラシーの運動です。この運動は十数年間続き、全国各地で多くの結社が設立されました。日本で初めての一大国民運動といわれ、国会開設や憲法制定といった近代的立憲政体の基礎をつくりました。(P67)

 明治6年政変で下野した板垣らが「愛国公党」を結成したことが始まり。

 なぜ、愛国? 愛国といえばいまでは右翼の専売特許と思われています。じつはナショナリズムというのは「左派」「リベラル」の思想を背景にしているのです。

 近代の国という概念は、それまでの封建制を否定した〈階級を超えた近代社会〉から発生しているということです。国は封建君主のものではなく「国家は国民のものである」「国民主権」という考え方が、近代になって出てきた。

 階級、身分制による専制の解体から生まれたものがナショナリズム

 だから自由民権運動は「愛国」なんだ、ということです。

 この本を読むまで知りませんでした。

 

 この自由民権運動から玄洋社が生まれてきます。その中心人物が頭山満です。

 

 P70には、自由民権運動にはナショナリズム天皇への敬愛、アジア主義への萌芽があった、と書かれています。

 明治6年の政変で同じく下野した江藤新平は「佐賀の乱」を起こします。それは失敗に終わり江藤新平は処刑されます。

 また西郷は「西南戦争」で自死します。

 愛国社が再び息を吹き返したのは、西南戦争終結後でした。1878年9月、武装闘争による反政府運動に限界を感じ、言論と大衆組織によって明治政府の専制的政治を批判する運動の重要性を痛感した人々が、大阪で愛国社再興大会を開催しました。彼らは、公儀興論を伸張し、国会開設を実現することで、専制的政府を打倒する道が開けることを訴えました。以降、自由民権運動はさまざまな政府からの弾圧に遭いながらも規模を拡大し、国会開設の訴えを続けていきます。(P72)

  • 自由民権運動とは、身分制を批判し専制的な政府を批判する運動。
  • 国民主権」の原則が主張され、国会開設と参政権を要求した。
  • 「国家は一部の特権的な人間のもの」ではなく「国家は国民のもの」という主張こそが、自由民権運動を支えていた。(P77)

 この後に丸山真男の雑誌に書かれた論文「日本におけるナショナリズム――その思想的背景」(1951年)が引用されています。

 丸山は、リベラルな視点から「健全なナショナリズム」を擁護します。初発のナショナリズムは民主政の確立のために重要な存在と見なし、その果たすべき役割を冷静に捉えようとしています。(P78)

 

 ちなみに丸山は、この明治初期の「健全なナショナリズム」が、次第に帝国主義の原理と結合することによって「超国家主義」(ウルトラ・ナショナリズム)へと変貌していったと批判しています。そして、この「超国家主義」の論理の中に「天皇」を中心とする日本人特有の精神構造が組み込まれているとして、そのあり方を厳しく追及しました。(P78)

 

 この「天皇」の存在をどう考えればいいのでしょうか?

 この本では、日本はフランス革命と違い「君主」が押し出される形で旧体制の否定が進んだ、と捉えています。江戸幕府を否定し、封建制の身分制を崩壊させるために「王政復古」による「四民平等」が導入されました。

 

一君万民」――超越的で唯一の存在である「君主」のもとでは、すべての「万民」が平等であるという原則。

明治維新」は革命(レボリューション)ではなく、維新(リストレーション)です。これは「回復」「復興」「再興」と訳されます。(P79)

「一君万民」思想こそが、日本型デモクラシーを支える原理でした。(P80)

 

玄洋社の誕生とアジア主義への道」の項にはこう書かれています。

 玄洋社がなぜ自由民権運動のなかから生まれたのか?

 彼らは一貫してナショナリズムを重視し、天皇の存在を敬重していました。ナショナリストであり天皇主義者であるがゆえに、自由民権運動戦う闘士となっていきました。(P。81)

 

 我々は、どうしても現在の視点から歴史を切り取り、理解しようとしてしまいます。そうすると「ナショナリズム」や「天皇」は「右派の論理」という固定観念をもって自由民権運動を見てしまうため、「どうしてリベラルな運動のなかで愛国や天皇が重視されたのか」という論理が見えなくなってしまいます。そして、現在の視点からは「ノイズ」と見なされる要素は、次第に視界から意図的に排除され、その存在自体が検討の対象からは外されていきます。しかし、じっくりと当時の論理を読み取っていくと、まさに玄洋社の論理こそが初期自由民権運動の主流をなす存在であったことがわかってきます。(P82)

 

 この指摘は重要です。たしかにそう、ぼくらはいまの視点から歴史を固定観念で見てしまいがちです。

 そういう主張のなかからアジア主義の論理が出て来ることになる。

 

 

          *               *

 

 この本の内容を詳しく書き過ぎでしょうか?

 じつは、アジア主義の芽が自由民権運動にある、ということに感動したのです。それでよく理解できたものですから。

 この本は、思想の源流を辿っています。アジア主義とは何かがわかりました。

 

 次回からは、もっと簡潔に書きます。

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「記憶」

 

森に立つ

それぞれの

木は

静かな心を

持っている

枝を

空に伸ばし

葉を

茂らせ

冬になれば

葉っぱを落とす

それは

祈りの形

それぞれでありながら

ひとつの

木の

命の

記録

心の

傷も

剥がれ落ちた

樹皮の

匂いも

透明な空に

消えて

 

 

 

  

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。