日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の下層で生きて来て68歳になりました。底辺の視点からいろんなことを考えます。……思ったこと、読んだ本の感想、検索してわかったこと、自分なりの仏教のことなどを書きます。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝します。

『アジア主義』 を読む 1 / 「ひとりで立っていた」

 おはようございます。

 朝方は寒いです。お彼岸も終わりで、四天王寺さんに出ていた露店もなくなるでしょう。秋が深まっています。ラジオ体操の時間には鳥たちが飛び回っています。鳥には秋がうれしいのかもしれません。

 

  

 

          *               * 

 

 

 戦前、日本はなぜ中国(満州)へ進出したのか。

 なぜなんだろうと考えています。日本はロシアに勝って白人の帝国と並ぶ一等国の意識を持ち……「傲慢になっていたんだろう」と思うのです。

 中国に進出したことは、いまでも責められています。他国に行き、戦争までしたのですから非難は受け入れるべきでしょう。

 歴史的に見れば、日露戦争に勝って満州鉄道の権益を手に入れたからですが……関東軍の拡大方針によって日中戦争に踏み込んで行きました。

 まるで熱に浮かされたように中国に出て行ったのです。

 なぜ、白人がアジアで行っていた帝国主義支配のような真似をしたのでしょうか?

 

 ぼくの考えでは…… 

 その頃、日本は世界恐慌の影響もあって経済的に貧しかったし、農村は貧困に疲弊していました。それが満州に移住し、開拓する希望になったのです。満州を開拓することは国策として進められたということがあります。経済的にもソ連の進出に対抗するためにも「満州は日本の生命線」でした。ソ連はロシアの時代から侵略的でしたし、満州や朝鮮を支配しようとしていました。 防衛する必要があったのです。

 当時、ヨーロッパの帝国主義は世界を植民地化して支配し、収奪していて、世界で植民地になっていなかったのは日本とタイとエチオピアだけでした。植民地を持ち収奪することは当たり前で、弱い国を支配、抑圧することは当時の常識だったのです。

 

 植民地支配の遺産はいまも中東の紛争になって残っているし、いま問題になっているビルマのロヒンギャの問題もイギリスがビルマ人を抑圧するため手下の支配層としてインドのベンガル人を招き入れたことが原因です。「虎ノ門ニュース」の有本香さんによると、ロヒンギャビルマに元々いた少数民族でなくベンガル人と呼ばれているらしいです。ビルマにとっては、ベンガル人によって密入国され侵入されていると考えているわけです。国連は〈少数民族〉が圧迫されている〈宗教戦争〉といいますが……なにかの陰謀なのでしょうか。

 

 

 日本は日清日露の戦争に勝って、清から台湾を割譲され、朝鮮を併合し、満州の権益を手に入れました。日本の領土は拡大しました。

 それで国家予算を投入して開拓し、近代化し、日本化しようとしましたが、太平洋戦争に負けてすべてを失ってしまいました。今では、それは植民地支配だったといわれています。

 統治された側の視点から「植民地支配だった」という非難を受けてもしかたないのかもしれません。しかしヨーロッパの帝国の植民地支配とは違い、毎年、日本の国家予算の何割かを投資して、インフラを整備し、教育制度を導入し、近代化を押し進めたことも事実なのです。

 しかし、他所の国まで出て行って統治したのですから、けっして正当化できることではないと思います。

 その論理によって、中共、韓国、北朝鮮はずっと反日ですが、台湾はインフラを整備し近代化をもたらしたよい面も認めてくれたので親日になってくれています。

 

 歴史というのは、多様な視点、見方があると思うのです。

 日本は戦争に敗けたので、GHQの教育によって過度な罪悪感に責め立てられているような気がします。

 戦争はお互いの利害の延長に発生するものです。それを思えば、どっちもどっちといえないでしょうか……学問的な見方をすれば……

 戦争を引き起こすきっかけはあり、それは歴史の大きな流れのなかにあります。

 ある意味、〈文明の衝突〉のように止められないものでは……

 ハンチントンを持ち出すのは大げさですが、歴史というのは当事者にとっても止められないような流れだと思うのです。

 いまの北朝鮮のやり方をみていると、戦争をする方向に進んでいるようです。金正恩はメンツにこだわっているんでしょうか?

 それならそんな、国民、庶民に関係ないメンツなどや、瀬戸際外交は捨てたほうがいい。国民を悲惨に巻き込むことがいちばん国としてやってはいけないことです。独裁者というのはどうしようもない。愚かです。

 

 

 

          *               *

 

 

 戦前の、当時の時代の人が何を考えていたか、知らないといけないと思っています。

 

 貧困であえぐ農村の次男坊、三男坊にとっては満州で開拓に従事することは生き延びる道で、庶民にとってはアジア思想などどうでもよくて、満州に行くことは生活のためだったと思うのです。

 時代の風潮が影響することもあったかもしれません。一攫千金や、大陸浪人になって革命に参加するという考えを持った人もいたでしょう。

 

 日本が大陸に進出してゆく原理となったもの、それが学問的には「アジア主義」と呼ばれました。

 

 それでこの本を読むことにしました。

アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ (潮文庫)
 

 

 目次です。

 序章 なぜ今、アジア主義なのか

1章 竹内好アジア主義に何を見たのか

2章 西郷隆盛征韓論

3章 なぜ自由民権運動から右翼の源流・玄洋社が生まれたのか

4章 金玉均という存在

5章 頭山満、動き出す

6章 来島恒喜のテロと樽井藤吉の『大東合邦論』

7章 天佑侠と日清戦争

8章 閔妃暗殺

9章 孫文の登場――宮崎滔天内田良平南方熊楠

10章 岡倉天心「アジアは一つ」の真意

11章 黒龍会一進会

12章 韓国併合という悲劇

13章 中国ナショナリズムへのまなざし

14章 孫文の大アジア主義演説

15章 来日アジア人の期待と失望

16章 大川周明の理想

17章 田中智学から石原莞爾へ――「八紘一宇」の奈落

18章 アジア主義の辺境――ユダヤエチオピアタタール

19章 戦闘の只中で――日中戦争大東亜戦争

20章 未完のアジア主義――いまアジア主義者として生きること

 

 

          *               *

 

 この本は当時の日本がアジアに何を求め、どう考えていたか、その考え方の変遷、変化を描いています。

 

序章  なぜ今、アジア主義なのか

『「離米」 の時代に』にはこう書かれています。〈いま〉の状況です。

  • この本で日本とアジアの150年間の関係辿り、再認識すること。
  • 中国の台頭とアメリカの覇権の低下。
  • 日本は日米安保を強化することでアメリカに庇護を求めている。
  • アメリカのアジア戦略は中国に移っているのでないか。アメリカの中国重視によるダブルスタンダードがある。
  • アジア諸国との連帯を構想すべき。

 

          *               *

 

  戦前、「アジアをどう考えるか」は重要な事だった。日本は、アジアはひとつという考えによって、最後は、〈大東亜共栄圏〉に行き着くのですが……

 

 

1章 竹内好アジア主義に何を見たのか

 竹内好が書いた1963年の「日本のアジア主義」。筑摩書房現代思想体系9巻 アジア主義」の解説として書かれた。当時は、アジア主義=侵略思想と見られていた。ここでアジア主義を三類型に分けた。

  • 政略としてのアジア主義……資源獲得のためにアジアを押さえる必要がある。
  • 抵抗としてのアジア主義……帝国主義によって苦しめられているアジアを救わなくてはならないと考えた。
  • 思想としてのアジア主義……岡倉天心などの〈近代の超克〉としての東洋哲学。〈不二一元〉

 竹内好は〈大東亜共栄圏〉は〈政略としてのアジア主義〉の帰結であると見た。〈抵抗としてのアジア主義〉〈思想としてのアジア主義〉の主張は敗北したと考えています。だから中野正剛の東方会も石原莞爾の東亜聯盟も弾圧されたのです。

 

 竹内好の論点はこういうことらしいです。 

 

 反帝国主義の〈連帯や解放〉のアジア主義が、いつの間にか〈侵略的〉なナショナリズムになってしまったことを分析するのは難しい。

 そして竹内好の問題意識は西郷隆盛征韓論にまで遡ります。竹内好は西郷を革命派、明治政府を反革命と見ているのですが……

 

 

2章 西郷隆盛征韓論 

 ここでは西郷隆盛征韓論=侵略主義という見方を覆す学説が紹介されます。

 

 征韓論はなぜ、起こったのか。

 それまでのアジアは中華思想で維持されていて、「冊封朝貢、互市」という体制だった。

 19世紀になると、中国もヨーロッパの帝国とのあいだで「万国公法」による条約を結んだ。1860年、イギリスと北京条約。

 日本も1958年に日米親和条約を受け入れた。つまり帝国主義の圧迫に抗しきれなくなったのです。しかし中国は冊封体制を続けようとした。

 

 明治維新を経た日本は朝鮮とのあいだに新たな条約による関係を築こうとした。このあたりの事情がP53に書かれています。

 朝鮮は「書契」の受け取りを拒否しました。

www.sekainorekisi.com

「皇」という文字が使われていたから――これでは朝鮮を下に見たことになる。朝鮮にとって「皇」の文字は中国だけが使えるものだったのです。日本は明治維新を成し遂げて、天皇親政になっていたので、天皇の意味で使っただけなのですが……。朝鮮にとって日本より下に見られるようなことは耐え難かったようです。

 

 日本では朝鮮を無礼と考え、武力で条約を結ぶべきだという意見が出ました。

 1873年には釜山の伝令書に日本を「無法之国」と書きました。それで征韓論が起こりました。

明治6年の政変」で日本は分裂することになります。そのことが後の西南戦争の原因となります。

 

毛利俊彦説「明治六年政変の研究

  • 西郷は征韓論者ではない。
  • 西郷が板垣に送った手紙の分析。
  • 始末書が西郷の本音。

葦津珍彦永遠の維新者

 

 

 アジア主義の元を辿ってゆくと、征韓論がルーツのようです。日本にアジアの現狀が見えてきて、思想的なものを持たざるを得なくなったのでしょう……

 

 

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「ひとりで立っていた」

 

あなたは

立っていた

ずっとそこに

枝を

空に向かって

広げ

葉を茂らせた

雲を

従えて

なだらかな 

丘に

長い影を作った

遠い稜線に

その姿は

よく似合った

冬の 

雪の原

凍てつく夜は

月に照らされて

ひとり

立っていた

いつも

赤く

燃える

朝焼け

嵐のときの

黒い

雨雲

それらに

呼びかけるように

立っていた

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。