日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

『昭和史〈戦後編〉1945~1989』 を読む 2 / 「草」

 おはようございます。

 めっきり秋らしくなってきました。朝方は涼しい。

 眠りも深い。体も動きやすい。いい季節です。

 

 

  

 

          *               * 

 

 長い昭和史ですが、読んでいきます。

 

目次です。

6章 「東京裁判」の判決が下りるまで――冷戦のなか、徹底的に裁かれた現代日本史

     冷戦のはじまり/社会党内閣の成立/激変する世界情勢/A級戦犯はどうやって決められたか

     東京裁判とは何であったか/「天皇は訴追せず」/〈茶番劇〉に敵も味方も汗を流す

     ため息の出る裏話/判決下る/残った後味の悪さ

7章 恐るべきGHQの右旋回で……――改革より復興、ドッジ・ラインの功罪

     激しくなる米ソの対立/米のアジア戦略に利用される日本/GHQの内部対立

     「改革」より「経済復興」へ/次々と起こった怪事件

8章 朝鮮戦争は〈神風〉であったか――吹き荒れるレッド・パージと「特需」の嵐

     至る所で「金づまり」/「赤」はすべて追放せよ/アプレゲールの暴走

     朝鮮戦争で「特需」に沸く/さようなら、マッカーサー

9章 新しい独立国日本への船出――講和条約への模索

     反米ムードに苛立つアメリカ/全面講和か、単独講和か/吉田VSダレスの攻防

     〈軍隊の卵〉警察予備隊の編成へ/講和・安保条約の二つの問題

     天皇退位〉発言は「非国民」なり

10章 混迷する世相・さまざまな事件――基地問題、核実験への抵抗

     消え行く占領の〈影〉/「金は一年、土地は万年」/『東京物語』が描いた戦後の気分

     改憲再軍備論を生んだ復古調の波/定まらぬ目標にガタガタゆれる日本人

 

 

          *               *

 

 戦後の日本がいかにGHQに支配され、指導されていたか、よくわかります。「GHQが戦後の日本を作った」のです。

 

6章

  1946年3月5日、チャーチルが演説をします。そこでいわれた「鉄のカーテン」という言葉が有名になりました。東西冷戦の始まりです。

 5月12日「米よこせ」デモ。19日「飯米獲得人民大会」が日比谷公園で。参加者は25万人。日本に社会主義革命が起こるのではないか、というぐらいだったのです。

 1947年にはストリップが登場します。また官公庁も含めたゼネストが計画されましたが、GHQの命令で中止。4月に社会党が143名当選して片山内閣を作りました。民法が改正され、大家族主義の戸主は否定されます。

 

 1948年、世間では帝銀事件美空ひばりのデビュー。世界ではイスラエル建国。パレスチナ問題の始まりです。そして6月、ベルリン分割。

教育勅語」や「軍人勅諭」が法的に失効しました。

 

東京裁判」は1946年5月3日に開廷し、1948年11月12日の判決が下りるまでの裁判です。

  P217の「A級戦犯はどうやって決められたか」から、~「東京裁判とは何であったか」~「天皇は訴追せず」~「〈茶番劇〉に敵も味方も汗を流す」~「ため息の出る裏話」~「判決下る」~「残った後味の悪さ」のP252まで、東京裁判の内容を解説されています。たくさんのエピソードが書かれています。判決も図で書かれているのでわかりやすいです。

 

東京裁判 - Google 検索

 をリンクしておきます。

 やはり、自分で考え判断することが重要だと思っています。

 勝者が敗者を裁く、というのは世間でよくあることです。力を持った者が勝ちです。ぼくは、世界は〈悪〉に近い力を持ったものが牛耳って動かしていると思っているのです。ほとんど理不尽なのですが……人の社会はそういうものでしかない、と思うのです。

 

 

7章

 ヨーロッパでの米ソの冷戦は激しくなりました。

戦争中、ソ連が中国に関してどちらかというと反共産党の態度をとり、中国共産党を圧迫している国民党のほうを支持していたのです。戦争が終わってもそれは急には変わることなく、昭和21年5月3日、東欧とは大違いで、日本軍を追い出して占領していた満州からも、また朝鮮北部からも、ソ連軍は一斉に引き揚げたのです。これは、「中国は蒋介石政権に任せる」といったような、国民党政府に協力的な態度と見られましたので、アメリカは安心しました。(P258)

 そういうことがあったのですね、知りませんでした。

 そして第二次国共内戦が起こります。

 中国共産党が中国を支配するようになると、まずいと思ったアメリカは日本の〈民主化〉を押し進めてきた占領政策を転換することになります。それには朝鮮半島の分裂も影響しています。アジアで共産主義陣営の力が強くなったからです。

 

 P263~271「GHQの内部対立」では、マッカーサーとワシントンの対立、GHQ内での改革推進派の民政局に対する参謀部G2がありました。ウィロビーが代表です。

「これからの日本を、アジアにおいて共産主義の進出を押しとどめる防波堤にする」

「改革より復興である」

 というのがワシントンの意向でした。

  • 改革や追放などをこれ以上進めないこと。
  • 東京裁判を早期に終結させること。
  • 経済復興を第一義的な目的とする。
  • 日本独立に向けた講和を視野に入れ、警察を強化すること。沖縄、横須賀の基地は確保しつつ、権限はできるだけ日本に委譲してゆくこと。

 占領政策の転換が起こります。

 1948年10月19日に吉田茂内閣が始まります。

 

 

8章

 ドッジ・ラインは日本経済を復興させるための政策です。インフレを抑制するために官公庁の余った人員の解雇、国鉄では20万人を首切りします。民間でも解雇が相次ぎます。それでインフレは抑えられたのですが、デフレになり「ドッジ不況」と呼ばれました。

 

 この頃、怪事件が頻発します。

 下山事件

 機関車の暴走事件。三鷹事件松川事件共産党の陰謀といわれました。

 

  1949年6月にはシベリアからの引き揚げが始まります。ところが、抑留されていた人たちは収容所で共産主義教育を受け赤化して戻って来ました。

シベリア抑留 - Wikipedia

引揚者 - Wikipedia

 1950年には共産党が弾圧され、レッドパージが始まります。

 日共はクレムリンの指示により武装闘争に入ります。山村工作隊が組織されます。

日本共産党の戦後秘史(1)

 (これは共産党を除名された人の告白本です。興味深いです)

 

 現在の共産党の政策は……

日本共産党 - Wikipedia

 

 この頃の世相はアプレゲールと呼ばれました。

 朝鮮戦争が6月に始まったので、日本は戦争特需に沸き立ったのです。

 1951年4月11日、朝鮮戦争をめぐるワシントンとの意見の違いから、マッカーサーは罷免されます。

 

 

9章

 1947年、芦田内閣は講和後の日本の案を作っていました。芦田外相はこれを天皇陛下にお見せしたようです。この後のマッカーサーとの会談時に「沖縄に基地が残る」ことを容認されたそうですが……その辺の事情が、もっと詳しくP314に書かれています。

 

 P325~331はアメリカとの講和をめぐる裏の事情です。吉田茂とダレスの会談の内容も書かれています。再軍備をせまるアメリカに対して吉田は復興優先でした。

1951年の政治 - Wikipedia

 

 朝鮮戦争が始まったので米軍は朝鮮に移動し、日本の軍備が手薄になりました。それで警察予備隊が編成されることになります。

  • 米軍がいなくなるので、暴動などに備えるため。
  • アメリカとしては再軍備して朝鮮戦争に派兵してほしい狙いがあった。
  • GHQの参謀部G2で密かに再軍備の研究を進めていた。(服部機関、森機関)

 これには38万人の募集があり、競争率は5.1倍でした。

 1950年末に発足。旧軍人の復活もありました。

 

 1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれました。ソ連、中国は参加しませんでした。

 同時に日米安保条約が結ばれました。P340~はその問題点が書かれています。まだまだ細かい点が決まっていなかったのです。

 この安保条約は1952年4月に発効します。問題点は……

  • どこに基地を置くか。
  • 事前協議条項がなかった。
  • 極東条項――必ずしも完全に日本を守るとはいってない。
  • 〈領土〉の問題――沖縄の主権はどうなるのか。

 

 その頃、共産党などが主導した、血のメーデー事件吹田事件大須事件が起きます。

 

 

10章

 1952年は破防法反対闘争の年です。

法政大学大原社研 1952年の破防法反対闘争 ゼネスト〔日本労働年鑑 第26集 411〕

破壊活動防止法 - Wikipedia

 

 また、占領軍に接収されていた建物が次々と返還されました。

 日本が独立した影響もあり、世相は――「君の名は」の真知子巻きが流行し、ジャズとGパンが流行りました。

 

 1953年には全国で反基地闘争が盛り上がりました。

 内灘闘争は1952~57年。55年には砂川闘争

 映画『東京物語』が作られました。当時の戦後から復興し始めた世相がよく表現されています。 

 また、3月にはスターリンが亡くなりました。

 

 1954年は「逆コース」と言われた年です。

 6月には防衛庁が設置され、警察予備隊自衛隊となりました。

 政治には「輸送船団方式」が定着しました。この詳しい説明はP369に書かれています。官僚が政策を立案し、与党が立法する、経済界がそれを支える、という方式です。

護送船団方式 - Wikipedia

 

 この年の3月、ビキニ環礁で水爆実験が行われ、第5福竜丸の乗組員が被爆して亡くなりました。ビキニマグロが話題になりました。

 旭丘中学事件

 近江絹糸のストライキ。(戦後10年経ってもこんな経営者がいた!)

 映画『ゴジラ』が封切られました。

 

 

          *               *

 

 P375に書かれているように、独立した日本は「どんな国造りをするか」という方針を巡って混乱しました。〈1961年までの10年間は明治維新の時とよく似ている〉と書かれています。

  • 吉田ドクトリンと呼ばれる経済優先の政策と、
  • それに対して憲法も変えて再軍備もする、独立派の主張。

 経済か、独立か、という対立です。

 また、共産党の武装闘争(=革命運動)などがあります。アメリカが与えてくれた民主主義を守るべきか? 民主主義とは何か? 民主化……革命。

 そういうことがあって、60年の安保闘争へと向かうのです。

 

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「草」

 

雨の後

激しい

草の匂いが

する

森は

静寂に

包まれて

草たちは

濡れて

佇んでいる

草に

囲まれる

それは

いいこと

ずっと

空腹を癒すために

山菜や

野草を

採ってきた

ぼくは

頭を垂れて

ありがとう

と言う

目の前の

葉には

露が

きらきら

光っている

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。