日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

社会の底辺で生きてきて68歳になりました。後悔ばかりの人生でしたが、それもしかたがないことです。〈初期仏教〉を信じているので、なんとか暮らしています。訪問していただいて感謝しています。ありがとう。<m(__)m>

『昭和史 1926~1945』 を読む  3 / 「雨の世界」

 おはようございます。

 朝夕は涼しくなってきました。昨夜は裸では寝ていられないので窓を閉めました。9月になって秋に近づいていきます。これで図書館に避暑に行く必要も無くなりそうです。^^; 季節は少しずつ動いているようです。

 

  

 

          *               * 

 

 今回で「戦前編」は終わりです。

 

目次です。 

11章 四つの御前会議、かくて戦争は決断された――太平洋戦争開戦前夜

     外務省内の対米英強硬派/雲散霧消した日米諒解案/「対米英決戦を辞せず」

     やる気満々であった「関特演」/戦争を辞せざる決意をする

     桶狭間とひよどり越えと川中島/「戦機はあとには来ない!」

     対米開戦を決意する/ニイタカヤマノボレ一二〇八

12章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった――つかの間の「連勝」

     開戦通告は必ずやられたし/「だまし討ち」の永遠の汚名

     ひたすら大勝利に酔った日本国民/ミッドウェーの落日

13章 大日本帝国にはもはや勝機がなくなって……

      ――ガダルカナルインパールサイパンの悲劇から特攻隊出撃へ

     ガダルカナル奪取さる/山本長官戦死の発表/豪雨のなかのインパール街道

     サイパン奪還は不可能/特別攻撃は海軍の総意?

14章 日本降伏を前に、駆け引きに狂奔する米国とソ連

        ――ヤルタ会談東京大空襲沖縄本島決戦、そしてドイツ降伏

     元曉の焼夷弾こそあぶなけれ/日本の家屋は木と紙だ/散る桜残る桜も散る桜

     昭和天皇が倒れた日/引き延ばされた返事2原子爆弾ポツダム宣言の「黙殺」

15章 「堪ヘ難キヲ堪え、忍ビ難キヲ忍ビ……」――ポツダム宣言受諾、終戦

     ヒロシマの死者の列/「もはや戦争継続は不可能」第一回の「聖断」

     「隷属」と「制限下」/二度目の「聖断」によって/降伏することのむつかしさ

むすびの章 三百十万の死者が語りかけてくれるものは?――昭和史二十年の教訓

 

こぼればなし ノモンハン事件から学ぶもの

     幻想・独善・泥縄的/司馬遼太郎さんのこと/隊長からの一通の手紙

     事のはじまりは国境侵犯/「研究委員会」の結論/情報は天皇に達せず

     服部参謀と辻参謀/南進論の大合唱/ノモンハン事件の教訓

     日本人の欠点を如実に記録

 

 

          *               *

 

 

 

11章には、太平洋戦争開戦前夜の情勢が書かれています。

 

 1940年、駐米大使に海軍大将の野村吉三郎が就任。谷正之とのコンビで対英米強硬派の外務省を改革しようとしましたが無理だったようです。

  • 〈米英協調派〉幣原喜重郎、佐分利貞夫、重光葵、堀内謙介、芦田均、(後に強硬派になった)藤村信雄、福島慎太郎、平沢和重。
  • 〈アジア派〉有田八郎斎藤博、谷正之――中国進出は宿命。米英協調の枠でやる。
  • 〈大陸派〉松岡洋右、斉藤良衛、吉田茂――日本の権益は守るが、外交手段で。
  • 〈対米英強硬派〉本多熊太郎、白鳥敏夫、栗原正、松宮順、重松宣雄、仁宮武夫。
  • 〈ドイツ傾斜派〉東光武三、三原栄次郎、中川融、牛場信彦、青木盛夫、甲斐文比古、高瀬侍郎、高木公一。

 

 なぜ、こんなに引用して人名を並べたかといえば、世間には派閥と言うものがあって、それが社会を動かし、人の運命を動かしたりすることがよくわかる、と思ったからです。それが組織とか団体とかが持つ本質なんだ、と思っているのです。

 それにしても知らない人ばかりですね。こういう官僚が政治を動かしている。

 

 P338~345当たりまで、日米の国交打開案から「日米諒解案」へと話が進んでいたことが書かれてあります。1941年4月の時点です。

 そこに松岡外務大臣三国同盟の締結、中ソ中立条約を締結して帰ってきます。それで日米の交渉は雲散霧消してしまうことになります。

 

 同時代に行われていた大本営政府連絡会議の内容は……南進の方向に傾いてゆく。

 そして御前会議。P348~382まではその内容と、戦線の拡大の了承です。どういう情勢だったかが詳しく描かれています。

昭和天皇独白録』も引用されています。松岡外務大臣を追い出すための総辞職、第三次近衛内閣の誕生の時の昭和天皇の言葉。

 いろいろあって、東條内閣が誕生することになります。

 そして開戦へと向かうことになります。このへんの御前会議や周辺の事情は、読んでいて面白いのですが、むしろ、こんな先の見えないなかで開戦に踏み切ったというのが、いまではちょっと理解できません。時代というのは、一度転げだしたら、どうしようもないものなのでしょうか。

 

12章

 1941年11月27日、ハル・ノート

 開戦前後のこと。宣戦布告の事情。

 海軍はなるべく不意打ちしたかった。アメリカは暗号を解読済みで、日本が真珠湾を攻撃するのはわかっていた。

「リメンバー・パールハーバー」という言葉は1942年のガダルカナル島攻防の時に言われ始めた。当初、アメリカ大統領が演説で言ったことは、「だまし討ち(trachweous sttack)」という言葉でした。そんな裏話、初めて聞きました。

 

 ルーズベルトが「日本に攻撃させたい」と考えていたのは明らかです。ヨーロッパ戦線に参戦するために早くドイツに宣戦布告したかったからです。そのために同盟を結んでいた日本を追い詰めたのです。

 

 P396~401では「すたすら大勝利に酔った日本国民」。初期の勝利に酔う日本の姿を描写しています。

 

 1942年6月5日のミッドウェー海戦では日本の空母4隻が撃沈され、多くの方が戦死しました。大敗北です。しかし国民には公表されませんでした。

 このミッドウェー海戦の後、6月18日「日本文学報国会」が作られる。

 

13章

  • 昭和17年(1942)8月8日から始まったガダルカナル島の戦闘。その時の事情P410~414。すごく悲惨です。補給が途絶え、食べるものがないため餓死したのです。

 

 この本のP418~437で著者が書きたかったことは、日本軍の作戦がいかに無謀で非人間的だったか、だと思います。全面的に賛成します。

 太平洋戦争の悲惨さは、若い人でもなんとなく聞いているし、わかると思います。

 

 庶民の目で見ることがいい、と思うのです。

 この本の著者は知識人的だと思いますが、庶民の視点から社会を見ようとしています。それがいい、と思います。

 

 

14章

 その頃の庶民の生活が描かれています。三度の飯も食べることができなくなりました。P440~442。戦争に嫌気が差してきた状況は、終戦まで続きます。

 

 ヤルタ会談が開かれます。

 その頃日本では、「本土決戦完遂基本要綱」を決定しています。

 硫黄島が本土空襲の重要なポイントになります。3月10日の東京大空襲

 そして沖縄決戦。沖縄のことはいまでも様々な視点から取り上げられています。当時の日本は、今日を生き延びても明日のその身は保証されない状況でした。

 そして、ドイツ降伏

 ポツダム宣言受諾までの事情。P461~470。

 

 人間って、〈滅びの美学〉に身を任すことはできないのですから、どこかで踏みとどまるべきだと思うんです。とくに、国を動かす人たちは無責任ではいけない。

 

 

15章 

 原子爆弾の投下については、アメリカは責任があると思います。この本ではP472~476に、アメリカの事情が書かれています。

 

 P476~は、御前会議が開かれた状況が描かれています。

 ホツダム宣言受諾に関して、天皇制を守ることが重要となっていたことがわかります。そのことがP480~の「第一回の聖断」からP489の「二度目の聖断によって」に書かれています。

 

 

【むすびの章 三百十万の死者が語りかけてくれるものは?――昭和史二十年の教訓

  • 昭和史は満州を国防の最前線として領土にしたことから始まります。明治維新から日露戦争まで40年かかって築いてきた大日本帝国を、その後の40年で滅ぼしてしまう――

 この本に書かれている戦死者を引用します。

  ガダルカナル島――戦死8200人、餓死、病死1万1000人。

  アッツ島――戦死2547人、捕虜29人。

  ニューギニア――戦死15万7000人。

  タラワ島――戦死4690人、捕虜146人。

  マキン島――戦死690人、捕虜146人。

  ケゼリン島――戦死3472人、捕虜250人。

  グアム島――戦死1万8400人、捕虜1250人。

  サイパン島――戦死約3万人、市民1万人、捕虜900人。

  インパール作戦――戦死3万5000人、病気で倒れた人4万2000人。

  拉孟騰越――戦死2万9000人、生存者1人。

  ペリリュー島――戦死1万650人、捕虜150人。

  フィリピン――全域で戦死47万6800人、生存13万3000人。

  硫黄島――戦死1万9900人、捕虜210人。

  沖縄――戦死10万9600人、市民10万人、捕虜7800人。

  空襲による死者――全国で29万9485人。236万戸の家が焼かれた。

  日中戦争の死者は、総計41万1610人。

 

 引用して数字を書くだけでも、多くの死んだ方たちの一人一人の思いを想像できるのではないか、と思ったのです。多くの方が亡くなりました。理不尽な死だったと思いますが、けっして無駄死にではなかった。尊い犠牲だった、と思うのです。

 

 著者は〈歴史に学ぶ〉ことで何を知り得たか、日本の欠点を提示します。

  • 国民的熱狂を作ってはいけない。なんと日本人は熱狂したか。マスコミに煽られ、熱狂することが人々を引っ張っていき、戦争へと駆りたてた。
  • 抽象的な観念論を好み、具体的な理性的な方法論をないがしろにすること
  • 集団主義の弊害。
  • 国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握できていなかった
  • その場しのぎ。誤魔化し。

 

 

         *               *

 

 歴史というものは見方によって様々に変わります。でも、戦前の戦争の歴史は軍部の暴走や責任で引き起こされた、のは事実だと思います。

 暴力は、人間が好むいちばんのものです。

 戦前の歴史に学ぶと、なんともいえない虚しさを感じてしまいます。時代に翻弄された人々の苦しみがあります。 

 いつの時代も同じ……ともいえますが……

 

 

 来週は〈戦後史〉を学びます。 

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「雨の世界」

 

遠くの

空が

光って

稲妻が

走る

しばらくして

地面を揺する

低い音が

響く

雨が降ってくる

それは

この世界を

変える

きっかけなのだ

雨の匂いは

虫たちを

怯えさせ

急いで

土の

隠れ場所を

探させる

草が

そよぎ

雨粒が

地面を叩き

見る間に

水たまりができる

ほんの

一瞬前と

違った世界が

表れる

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。

 よい週末をお過ごしください。

 また来週の、月曜日にお会いします。