日の記し ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。☆彡 ・☆

底辺で生きてきて68歳になってしまいました。後悔することの多かった人生ですが、しかたがない。自分なりの仏教を信じているのでなんとかやっています。訪問していただいたことに感謝しています。ありがとうございます。

『昭和史 1926~1945』 を読む  2 / 「滝壺」

 おはようございます。

 大阪は、蒸し暑い朝です。天気予報によると、26度なんですけれど、湿度が高いようです。86%になっているから。

 今朝は眼科に行って最終的な良性の確認をもらうつもりです。飛蚊症は治らないけれど、しかたない。

 

 『昭和史』の続きです。

 

          *               * 

 

目次です。 

6章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが……――盧溝橋事件、南京事件

     重大視されなかった西安事件/七月七日午後十時すぎ/連隊長の独断専行の命令

     第三者の陰謀があった/「南京虐殺」はあったが……/泥沼化していった戦争

     致命的な「蒋介石を対手にせず」

7章 政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン――軍縮脱退、国家総動員

     海軍中堅クラスの強硬論/超大戦艦を建造すべし/「国家総動員上必要あるとき」

     スターリンのごとく」大胆に/ノモンハンの悲劇/戦争は意志の強い方が勝つ

8章 第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした

           ――米英との対立、ドイツへの接近

     海軍の良識トリオの孤軍奮闘/遺書をしたためた山本五十六/強硬となりはじめたアメリカ

     パーマネントはやめましょう/スターリンの悪魔的決断/「いまより一兵士として戦う」

9章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか――ひた走る軍事国家への道

     「ぜいたくは素敵だ」/「バスに乗り遅れるな」の大合唱/最後の防波堤が崩れた時

     金のために魂を売った?/血と苦労と涙と、そして汗

10章 独ソの攻略に振り回されるなか、南進論の大合唱――ドイツのソ連侵攻

     恥ずべき北部仏印への武力進駐/戦争へ走り出した海軍中央

      〽紀元は2600年……/松岡外相のヨーロッパ旅行/ヒトラーの悪魔的な誘い

     ご機嫌そのもののスターリン/英雄は頭を転向する

 

 

 

          *               *

 

 

6章

 中国では混乱が続いていましたが、蒋介石が張学良を討とうとして西安事件が起こります。逆に蒋介石が監禁されたのです。話し合いの結果第二次国共合作、抗日統一戦線の構築へと進むことになります。中国がひとつになって抗日、排日にまとまることになりました。ところが日本軍はこの重大性を理解していなかったようです。

 

 1936年に正式に外務省が「大日本帝国」の呼称を採用します。「日本は大なる国」。このイメージが独り歩きしてゆき、ますます日本は増長してゆくことになります。

 

 1937年7月7日に盧溝橋事件が起きます。

 この解説の文章がドラマ仕立てになっていて、小説のようで読ませるのです。P187~192。

 牟田口連隊長の「抗戦せよ」という独断命令が、後に戦争へとつながってゆく場面。

 日中双方が疑心暗鬼のなかで戦闘していて、真相はどうだったのかはわからない。

 

 この頃、この本には書かれていませんが、中国人部隊が一方的に日本人を虐殺した、通州虐殺事件が起きます。リベラルよりなので省かれたのでしょう。

 中国が「日本人がやった」という南京弾虐殺記念館の写真にも、通州事件の残虐な写真が使われているらしいのです。

 

 こうして支那事変(宣戦布告をしていないから事変)が始まるのですが、正式に〈戦争〉となると困るわけです。そう本には書かれています。日本は、中国の後ろ盾であるアメリカやイギリスから多くを輸入していました。

 近衛内閣は「中国をやっつけろ」という態度で、戦線は拡大します。上海から戦闘は始まり、北部では共産党を追撃して、国民党軍との戦いでは当時の首都南京に迫ります。そして南京を攻略するのですが……国民党軍は庶民に紛れ込んで、いわゆる便衣兵としてゲリラを仕掛けてきます。それが市民への虐殺につながったと……

 この本ではP198に偕行社『南京戦史』(1989年)を、ほぼ正しいのではないかとしています。その記述によると戦闘外の不正な行為によって3万人が殺されたらしいのです。それに基づいて、中国に謝罪しているのですが……

 

 南京事件については様々な見方や意見があります。

 それらを自分なりに知り、考えて自分で判断するしかないと思います。

 

『南京戦史』 - Google 検索

agora-web.jp

 

南京事件 (1937年) - Wikipedia

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

南京大虐殺検索結果

 

 

 日本陸軍は統制が取れていたので「虐殺はなかった」というのが事実ではないでしょうか。

日本人は神社やお寺にお参りする精神性の高い道徳的な民族です。理由もなく虐殺はしません。 

 むしろ、後に国民党軍が台湾を支配した時に、2・28事件にみる大虐殺が起こったように、国民党軍は昔から規律ある軍隊ではなかったのです。南京の混乱時に住民を殺したり強姦したということが考えられます。他の本とかで読んでもわかることですが、当時の国民党軍といえども、地方の軍閥が人々を支配していたのでもわかるように、暴徒やヤクザと同じレベルで、中国という国や、国民、市民ための軍隊ではありませんでした。

 

南京大虐殺はなかった - YouTube

「大虐殺はあった」というほうの検索も上げておきます。

       南京大虐殺 - YouTube

 

 いまの中国共産党や韓国政府が、世界中で、どれだけ汚いやり方法で反日キャンペーンを行っているかをみると、そういう人たちの言うことが信じられないのです。

 南京に進駐した日本軍はそこにいるために進駐したのでしょう。現地の人を殺してなんのメリットもありません。むしろ進駐をうまくやるために宥和政策をとるのが普通じゃないですか。じっさいにそうしていたので市民と交流しているフィルムも残っています。市民を虐殺する動機がありません。

 

 いずれにしても、戦争というのは最悪です。いいことは何もありません。 

 日本は戦争の泥沼にはまってゆくことになります。

 

7章

 この章は海軍の話です。

 時代は1930年のロンドン軍縮条約の頃に戻ります。これには条約派と強硬派がいたのです。そのことがP212~の「海軍中堅クラスの強硬論」に書かれています。

 

 アメリカはワシントン海軍軍縮条約で日英が組むと自国が不利になるので、日英同盟の破棄を求めました。日本は破棄することになります。もともと、英国に対して利用されているのでないか、日本がアジアで発展することを押さえようとしてくる、という不信感があったのです。この条約は、列強と日本の格差を感じさせられる出来事と受け止められたようです。

 

 国家総動員法の成立(1938年)、これで日本の軍事化はいっそう進んでいきます。

 近衛内閣がしたことのもうひとつは「東亜新秩序声明」です。

 日中戦争はアジアの安定を確保するための戦いであって、日本、満州国汪兆銘政権の中国が仲良く手を結んでアジアに新しい秩序をつくるために続けているのだという大名目をつくりあげ、歴史的にも意義のある戦争だと主張したのです。(P229)

 戦争の意義や目的を美化することは、権力者がよく使う手です。 これが大東亜共栄圏という考え方に発展していきます。

 それは西欧の列強の植民地支配の考え方から離れたものなので、日本は孤立していくことになります。これが昭和13年頃の情勢です。

 翌年(1939年)5月にノモンハン事件が起こります。

 ここでは関東軍ソ連の双方の思惑が描かれています。 

 

8章 

  • 三国同盟がドイツから提案されて問題になっていました。当時は平沼内閣だったのですが、反対する海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、事務局長の井上成美と、賛成の陸軍とが対立しました。陸軍は英米に、さらにソ連と対抗するためにもドイツと同盟を結ぶことに賛成でした。もちろん海軍にも反英米派がいたのです。
  • 反対派は脅迫されました。
  • 山本五十六はそのために遺書をしたためたほどです。
  • 天津事件が起きました。犯人はイギリス租界に逃げ込み、容疑者の引き渡しは拒否されたので、日本軍が租界を取り囲んだのです。
  • 昭和天皇は反英運動に憂慮しましたが、どうにもなりませんでした。
  • イギリスは屈服しましたが、アメリカが日米通商条約を破棄してきました。
  • 日本は戦時色が強くなり、「パーマネントはやめましょう」の時代です。
  • 突然のように独ソ不可侵条約が結ばれました。そしてドイツ軍はポーランドに侵攻しました。

 

 9章

【なぜ海軍は 三国同盟にイエスと言ったか】

  • 昭和15年国粋主義が徹底された年です。カタカナの名前は言い換えられました。ディック・ミネは「三根耕一」に改名。スポーツの言葉も日本語に言い換える。「ぜいたくは敵だ」「生めよ殖やせよ」
  • ヨーロッパではドイツが連戦連勝。
  • 外務大臣松岡洋右が就任します。彼は反英米派です。
  • ドイツから三国同盟の要請が来ました。アメリカがヨーロッパの戦争に参戦しないようにするためです。
  • ルーズベルトが日本への輸出を許可制にしました。日本は追い詰められます。
  • 三国同盟に反対していた海軍が方針転換、このへんの事情はP286~291に書かれてあります。
  • 10月15日のドイツ空軍のロンドン空襲は、英国の勝利に終わり、ドイツ空軍は大打撃を受けました。
  • P298に昭和天皇が最後まで三国同盟に懸念を抱いていたエピソードが描かれています。

 

10章

  • 三国同盟を締結した日本は米英を仮想敵国とする決断を下して、フランス領だったベトナムに派兵することになります。仏印を通して中国に支援物資が送られていたからです。
  • 当時の海軍の戦略がP309~314「戦争へ走り出した海軍中央」に書かれています。
  • 1940年「紀元は2600年……」の大式典が宮城前広場で行われました。
  • 松岡洋右外務大臣はドイツとソ連を訪問します。その時の様子がP322~332において語られます。ヒトラーの、スターリンの狙い。ソ連との中立条約。国際政治は奇々怪々なのです。
  • 1941年6月22日、ドイツがソ連に侵攻します。松岡外務大臣は「いまこそソ連を叩いてドイツに勝たせよ、その後、南進すれば米英を押さえ込める」と主張します。軍部は準備が必要だと濁して、答えは出ません。
  • そしてひたすら戦争への道をたどることになります。

 

 

          *               * 

 

 この本を読むと、国内のことだけでなく、外国との関係でいろんな紛争や事件が起こることで、歴史は作られていくのがわかります。

「なぜ、その事件が起こったのか」その背景を知ることが、歴史を見極めることかもしれません。世界のことも知らなければ、日本のこともわからない、そう思ったのです。

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

 

 

   「滝壺」

 

深く

潜ってゆこう

底に

眠る

魚のように

ただ

この世の

ことを

静かに

受けとめて

身を

ひそめる

水面を

流れる

落葉の影が

岩に

揺らめいて

こんなにも

世界は

美しいから

ここで

じっとして

いよう

 

  

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。