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 日の記し   ★ヽ(´・ω・`)ノ 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきた67才で、もう老人なんですが、そこから見える風景を書きます。読んだ本のまとめや検索してわかったことなどをメモします。生きることは辛いですが、何をやっても生きていけると思うのです。仏教を生きる支えにしているので、そのことも。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

『日本仏教史 裏のウラ』 / 「始まり」

 おはようございます。

 すこし寒い朝になりました。昨日の夕方は雨が降っていたので、そのためでしょうか。天気予報を見ると〈快晴で暖かくなる〉ようです。

 

 ニュースの裏には〈嚇し〉や〈建前〉や〈利権〉が透けてみえます。政治というのは力の駆け引きなんだろうと思います。……裏で何を考えているか、素人にはわかりません。いずれにしても〈力の強いものが勝つ〉世界なんだと思います。

 

 

          *               * 

 

 図書館で借りて来たのですが、「この本、読んだんじゃないかなあ……」と思って調べてみたら2年前にブログに書いていました。 

san-sai.hatenablog.com

 まあ、いいや。もう一度読みます。

 

  仏教の解説書や名僧の伝記などを書いた本はたくさんありますが、裏話とか斜めに構えた視点のものは少ないです。それでこういう本に興味を惹かれてしまうのです。

仏教史〉といっても、中世の日本の社会では権威を作るほうの役割だったりしたので、権力に庇護されたり、また逆に追放されたりした歴史です。そういう裏のエピソードです。

 歴史って大事です。

 でも、社会の表面に表れているものは、必ずしも純粋で正当性があるものだけではないと思っています。それは建前とされた歴史でしかない。ほんとうのものは、裏で何が行われていたか、知らないとわかりません。

 

1章 日本の仏教をどう見るか 

  • ヨーロッパでは18~19世紀に〈東洋学〉が生まれ、それが明治に輸入された。それで仏教が宗教学の対象になった。それまでは文字通り〈仏の教え〉で〈仏道〉や〈仏法〉だった。
  • 日本人は無宗教ではない。神道仏教どちらも信仰しているといえる。
  • 中世から近世は神仏習合。明治に〈廃仏毀釈〉が行われた。これは政府が出した「神仏判然令」がきっかけになった。

 

2章 空海最澄はどっちが偉いのか

  • 最澄の時代は、出家というのは国が認めるものとして制度化されていた。
  • 最澄は還学生(げんがくしょう)として遣唐使になっている。国費留学生のエリートです。
  • 空海は謎めいた人物です。また「三教指帰」の序文は空海が書いたものでないようなのです。
  • 空海は達筆ですが、王義之(おうぎし)や李邕(りよう)を手本にしている。それは京の都でなければ見れなかっただろう。そういうことから推察すれば、空海が四国の山奥で修行していたのは、後世作られた話だといえないか。
  • 空海は私度僧で唐に渡ったのでなく、三論宗で出家得度した正式な僧侶でなかったか。
  • 『恵果大徳行状』の内容では、天皇からの手紙を携えていた、それに密教を学び、経典を持って帰るだけの大金も持っていた。
  • 最澄は中国で密教を学べなかったので、頭を下げて空海に弟子入りした。二人の決別は『理趣経』を貸してくれなかったいざこざの結果。
  • 最澄の弟子の円仁は中国から念仏を持って帰った。

 

3章 浄土教信仰はどのように広まったのか

 

 この本では、南都六宗唯識と空の話が書かれていて、法華経が流行ったわけはご利益が期待されたからだと、当時の仏教の状況を説明しています。戦後、般若心経の写経を広めたのは奈良の薬師寺であり、そのエピソードも書かれています。

 

 六宗兼学と法華最勝という言葉の謂れ、最澄と対立した法相宗の徳一という僧のこと、それぞれの宗派の仏教解釈の内容が解説されています。

 

4章 親鸞の幻像と日蓮の実像

 親鸞は承安三(1173)年生まれ、日蓮は貞応元(1222)年生まれ。親鸞は90歳まで生きているので40年ほど重なっているわけですが、一度も出会っていないそうです。

 

 親鸞にはわからないことが多い。

 恵信尼と結婚したこと、関東に行ったこと、『教行信証』を著したことは疑いのない事実ですが、他の伝えられたことがほんとうかどうかはわからない。親鸞が書き残したものから推察するしかない。

 恵信尼は80代になって娘への手紙に、親鸞が若い頃、比叡山で〈どうそう〉だったと書いているが、どうそうが何を意味するかわからない。「堂僧」という字は後の人がかってに当てた。

 

親鸞がほんとうに流罪にあったのか〉疑問に思っていると、書かれてあります。

 

 

5章 厳しい禅の道場から葬式仏教が生まれた不思議

 瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)という経営に長けた人が現れ、永平寺を経済的に支えるためのシステムを作ったこと。

 

 

6章 仏教新宗教とどう関係するか

 立正佼成会天理教のエピソード。PL教団にも言及しています。

 

 明治の神仏分離と、西欧から〈宗教〉という言葉が入ってきたことによって、それまであった〈宗派の教え〉としての意味が変えられた。宗教が信仰集団の意味を持つようになった。

 日本人は近代になって初めて、神道仏教を、違う宗教として捉えるようになった。

 

 天理教が新興の頃、山伏からの攻撃を逃れるため、教祖みきの息子、秀司が吉田神社吉田神道を学びお墨付きを貰おうとした。しかし明治になって廃仏毀釈となったので、今度は真言宗の傘下に入った、そんなエピソードが書かれてあります。

 

 また霊友会から立正佼成会が分派したこと、戦前の日蓮信仰を基盤とした国柱会のことなども書かれています。国柱会で有名なのは満州事変の石原莞爾と、詩人の宮沢賢治。そして戦後も法華信仰は廃れることなく創価学会が大きな組織になり、公明党を作ります。宗教が集票組織として政界に影響を与えるようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

  ……     ……     ……     ……     ……     

 

   「始まり」

 

風が

水の匂いを

運んでくる

シダや

低い草が茂った崖に

小さな

滝がある

水の白い糸は

よじれ

網をかけたように

岩をおおって

滴り落ち

下の

草や木が

からまったところから

水が

流れ出て

そこから

谷川が

始まっている

ここは

生まれるところだ

森の魂が

遠くで

さまよっているが

いつかは

ここに

戻ってくる

 

 

  

 

 

………………     ………………     ………………     …………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。