日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

社会の底辺で生きて来て、68歳になりました。そこから見える風景や、読んだ本の感想や、ネットの検索でわかったことなどを書きます。生きることは辛いこともありますが、何をしても生きてゆけると思っています。仏教は生きる指針です。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝します。

アインシュタインとホームレス / 「祈り」

 

 おはようございます。

 昨日、天気予報をみると、これからの最低気温が5度とか6度とかでもう寒くなることがないのがわかりました。それで出していたストーブをしまいました。

 暖かい……けれど曇っています。午後から雨が降るらしいです。

 もう春です。四天王寺の桜は、蕾が膨らんできました。

 

 

          *                 * 

 

 ぼくはひとりなので、ぼんやりと考えることが多いです。 

  アインシュタインとホームレスのことを考えていました。じっさいの話ではなくて、頭のなかで比較する、対称的な二人として……考えたのです。

 

 アインシュタインは理性とか知識とか社会的なものの代表として思いついただけで、社会を引っ張ってゆく代表的存在のシンボルとしてです。

 一方は、社会を代表する。

 一方は、ホームレス。社会の落ちこぼれ。

             ……対称的な存在です。

 

 アインシュタイン相対性理論という新しい世界観を作りました。現実を更新しました。それで新しい科学も、発明も生まれた。社会を進む方へ動かしたといえます。頭で考えるだけで、理論を作るだけで、その頭脳で世界を変えたのだからすごいことです。

 

 一方、ホームレスは何の成果も生み出しません。

 できないからです。それでホームレスでいます。

 

 社会的に見ると、一人は社会を発展させ、社会に責任を持ち、能動的に生きている。

 一人は、社会から落ちこぼれて、保護されるほう。

 対称的な二人です。

 でも、人としての価値は同じです。そうぼくたちはそう教えられてきました。それは正しい。民主主義は人権を守り、人を大事にします。

 たまたま、社会を代表する貴重な存在になった人と、社会的には無価値に見える人……介在しているのは社会的価値や位置なのです。社会でどういう位置にいるか、が、その人の価値を決めている、というか、そう見えている。

 

 民主主義ではすべての人は大切にされ、尊重されます。

 仕事の重要性や、社会的立場は関係ない。みんなが大事な存在です。

 

 でも、じっさいは、社会を動かしている方が重要と思われ、そう扱われます。

 人は社会の中でしか生きられない。それで人よりも社会のほうが大切です。歴史を見ても、個人より集団がいかに生き残るかが優先されるようです。

 

 それはしかたがないのかもしれません。

 人は社会の中でしか生きていけない弱い存在だからです。そのなかでは窮屈なところに押し込められる人もいる。

 

 

 二重規範なのかなあ、という気もします。社会での扱い方が違うのが……

 でも、当然だという気がしますし……社会的に有意義なことをする人が優先されるのはしかたない。

 ホームレスだからといって、他の人たちが手荒く、冷酷にするわけではないでしょうし……たまに余裕がない気持ちの時に、無価値だとみえる者に意地悪な気持ちになることもあるでしょうけれど……

 

 学校や社会でいわれる〈建前〉がそのまま適用されるような、ゆったりとした幸福な社会だったらいいのになと思っています。

 

 

          *                 * 

 

 

 ぼく自身はホームレスに近いので、心情的にはそちらに寄り添います。それに世間でもホームレスの人に同情する人のほうが多いでしょう。

 

 ぼくが怒りを覚えるのは、〈人には同じ権利がある〉という建前を叫んで、社会を攻撃する人達がいることです。そういう建前を利用して、けっきょくは〈自分たちが勝手に思っている方に社会を動かしたい〉というやり方……ホームレスの存在を政治的なスローガンにしてしまう人達に違和感を覚えるのです。〈ホームレス=社会の犠牲者〉みたいな単純な考え方は偏見を含んでいると思っているからです。ここでのホームレスは、〈社会的弱者〉と言い換えてもいい。そのシンボルです。

 

 ホームレスになった個々の状況も違うし、それぞれが違う人格なので、ホームレスだからと一括りにできない。

「人は同じ権利を持っている」は間違いではないんだけれど、ケース、ケースによって、権利が保証されていたらいい、と思うのです。一律的に、画一的に捉えるのは間違いです。

 

 大事なことは、その人が幸せになるようにできたらいいな、と考えることです。

 助けを必要としているなら、できるだけその人が言うように。

 干渉してほしくないなら、自立しているのだから、見守るだけでいい。それは尊重し、見守るという支援です。

 

〈上から目線〉の〈社会の改革〉は、〈社会的弱者〉を利用しているだけではないか、と思ったりするのです。

 

  

          *                 * 

 

 何をいいたいかというと、〈個人が救われたり、幸せになることは、社会的立場とは関係ない〉ということです。だから他人が救ってあげることもできないでしょう。その人が生き易いように手助けできるだけです。

 

 個人が幸せな気持ちになるのは、その人が「幸せだ」と思うことであって、どんな状況に置かれているかでないと思うのです。どんなところでも、どんな立場でも、幸せになることはできる、と思っています。

 社会のなかで、ぼくらは個人として生きていまが……〈幸せ〉についていえば、「これが幸せだ」という社会的な形はないと思います。

 ただ、傍から見ていて、「幸せなんだろう」と推測するしかない。社会的にはそういうものだと思うのです。

 

 幸せは自分で感じるもので他人に決められるものでない。

 他人から見える社会的な評価はどうであれ、幸せは自分で作っていくしかないと思うのです。

〈幸せになる権利〉は誰にも平等に与えられています。そして幸せは与えられるものでなく、自分で作るものです。

 

 

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「祈り」

 

立ち止まって

祈る

雲のあいだから

射す光が

木の

影を作り

行く手を塞ぐように

道に

落ちている

どこまで行けるのか

その秘密が

わかるまで

息をつめて

待っている

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、幸せでありますように。

 よい週末をお過ごしください。

 また来週、お会いします。