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 日の記し   ★ヽ(´・ω・`)ノ 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきた67才で、もう老人なのですが、そこから見える風景とか、ふと思ったこと、検索してわかったことをメモして残します。仏教を生きる支えにしているので、もっと自由になれるでしょう。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

酒浸りだった頃の思い出 /

 

 おはようございます。

 暖かい朝です。昨日と同じです。午後から雨になるようです。

 

 

          *                 * 

 

 

 昨日、酒浸りだったのが離婚のひとつの原因だったと書きました。お酒の思い出を書きたいと思います。

 

 ぼくが人生で初めてひどく酔ったのは、18歳でタコ部屋に入っていた時でした。仕事をやめて大阪駅をフラフラしていた時に、騙されて飯場に連れて行かれたのです。穴掘りばかりやらされました。5日目ぐらいにトラックの荷台から飛び降り、逃げたのです。

 その時の経験です。飯場の食堂で、周りのおっちゃんがみんな酒を飲んでいたので、ぼくも諸式で日本酒をもらい2合ほど飲んだのです。諸式というのは、飯場に置かれた売り場で、どんな物でも労働者に掛売りするのです。もちろん世間より高く、日当から引かれます。

 ひどく酔って物が二重や三重に見えました。白黒テレビの画面が何重にも歪んでいました。それまでは子どもだったので、酒には軽く口をつける程度でした。

 それからは、酒を飲んでは吐き、二日酔いになり……という人生になりました。

 

 20歳で千葉の寮にいた時も、仕事が終わると部屋で飲んでいました。

 アルバイトニュースを通じて探した、船の荷揚げする仕事でした。素人の沖仲仕です。ぼくの部屋の相方はぼくと同じようなフーテンだったのですが、寮には大学生が多かったのです。たぶん学生運動で大学にも行かれず流れてきた人たちだったのです。

 ひどいアル中のおじさんがいました。

 同じ部屋の若い子が怒っていました。酔って、トイレと部屋の区別がつかず、隅に小便をしたということで、殴られていました。

「○○さん、助けてくださいよ」と、20歳のぼくに、その40歳ぐらいのおじさんが泣いていうのです。

 色が白い人で、とても労働者に見えない人でした。一週間も経たないうちに辞めさせられたようです。

 その寮にいる時に喧嘩もしたし、仕事帰りのマイクロバスのなかで、三島由紀夫が割腹自殺したのも知りました。

 

 返還されて行った沖縄では泡盛の瑞泉を飲んでいました。最初は、臭くて飲みにくいですが、慣れるとおいしい。テビチを当てに飲むのを覚えたのです。

 

 大阪に帰ってきて、正社員で勤めていたときも、忘年会でひどく酔ったことや、道路で寝転んでいたことを思い出します。酒が憂さ晴らしでした。酔って、財布を盗られたこともあります。

 転職やアルバイトを繰り返し、その鬱憤を晴らすのは酒しかなかったのです。

 人と居酒屋で飲むのもありましたが、一人でも部屋で飲んでいました。酒がないと生きていけないようで……

 

 ここ生野区に来て、金属部品会社の営業に雇われました。社長が韓国籍だと知ったのはだいぶ後のことでしたが、会社の若い人を誘ってスナックへ行ったりしました。女の人とつき合っていた時は、毎回、居酒屋から始まりました。この7年間がいちばん普通の生活をしていました。ちゃんとしたサラリーマン生活だったのです。貯金はできませんでしたが。

 

 50歳前後の西成での日雇いの時が、いちばん荒れていました。

 仕事が終わって、立ち飲みで酒を飲み、酔いつぶれ、道路で寝る……または簡易宿泊所に転げ込む。なにもやることがないので、お酒を飲むしか楽しみがないのです。

 アルコール依存症気味でした。

 お酒を飲んで、すべてを忘れたかった。

 この頃、酔っぱらいのおっちゃんに、「西成で歌われてる唄や……」と教えてもらったことが忘れられない。

「足を洗えと 人には言えど 洗うに遅い 身の錆と

 どうせ浮世は薄情 明日を知れないこの俺さ」というメロディです。

 

  

  いまも焼酎は飲んでいますが、一日2~3合ぐらいだと思います。

 50歳を過ぎて椎間板ヘルニアに苦しんだし、痛風になったし、体力もなくなったので……そんなに飲めないのです。

 人生を簡単にまとめるなんてダメだとは思うのですが、お酒がメインテーマだったのは間違いないと思います。 

 こうして書き出すと、酒が逃避でしかなかったということがよくわかります。何度も禁酒しましたが、けっきょく止められない。ほんとうに止めるには、生活を変えることが必要です。

 老人になって、いいことは、体力がなくなるので何事にも執着しなくなることです。体力も、気力も、知力もなくなりました。これは、ある意味、達観できる状態になったことで、幸せではないかと思っています。

 

 いま、忘年会シーズンですが、やはりお酒は程々にしておいたほうがいいようです。 

 お釈迦様も、酒は飲まないほうがいい、といわれています。

 弟子に「びんずるさん」という人がいて、ぼくは、アルコール中毒だったのではないかと思っています。でも、酒を止めることができて、ちゃんとした弟子になりました。

お賓頭盧さま 《おびんずるさま》

          四天王寺の六時堂の廊下にも座っておられます。

 

 基本的に、子どもはお酒を飲みません。大人も飲まないで生きていけるはずなのです。ぼくには無理でしたけれど……なるべく依存にならないようにします (^_^;)

 

 個人的なお酒の思い出でした。くだらない話でごめんなさい。m(_ _)m

 

   

           *                 * 

 

 西成で教えてもらった唄が気になったので、検索してみました。なかなか辿り着かなかったのですが、

『想いでの赤いヤッケ 高石友也フォークアルバム Vol.1 』という1967年に出たアルバムの『明日は知れない』という歌のようです。

     足を洗えと 人には言えど

     洗うに遅い 身のさびと

     どうせ浮世は 行きどまり

     明日を知れない このいのち 

  という歌詞みたいです。

高石ともや 『小さな箱』 − LP−011 : 高石友也フォーク・アルバム VOL.1 −

のページを見ると……高石ともやさん作曲の歌だったのですね。ずっと作者不詳の労働者の歌だと思っていました。

  歌はYoutube では出てきませんでした。

 

 出だしだけ試聴してください。寂しい歌です。

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。