日の記し   ★ヾ(´・ω・`)ノ.: 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきて67歳になりました。そこから見える風景や、読んだ本のまとめや、検索してわかったことなどを書きます。生きることは辛いですが、何をしても生きていけると思うのです。仏教を生きる支えにしているので、そのことも書きたいです。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

離婚のこと……労働時間の短縮……生き方…… / 「波の花」

 

 おはようございます。

 今朝は暖かく感じます。昨夜寝る前に天気予報を聴いていたら、晴れですが、午後から下り坂らしいです。明日は雨になりそうです。それでも一日でも暖かいほうがいい。

 

 

          *                 * 

 

 寝る前に目を閉じてぼんやり考えていると、「なんか、ひとりだなあ」と思ったりして、独り暮らしの自分を振り返ったりしてしまいます。

 独りであることは、自分にとっては楽なことで、寂しさを感じることもありますが、たいがいは自由で快適な気分でいられるのですが……

 

 32歳で離婚して6歳だった男の子を置いてきて、それが後悔の根本です。子どもを育てられなかったことはよくないことです。

 離婚そのものは大人の事情でしかたない部分があります。人っていうのは愛情を巡って言い争ったりする。愛している、愛してないで喧嘩する。愛が冷めたら離婚してしまう。人間関係は終わる。

 

 離婚は仕方なかったという事情があるのですが、たぶん、これが人生の屈折点になっていてそれから〈孤独になった〉のだと思います。あのころ政治的な活動も嫌になったので止め、アルバイトや資格をとるのにも疲れて、酒浸りの生活態度だったから将来のことが見えなかった……それに嫁さんの父親が亡くなったこともあって、実家の商売をどうするかという問題もあったし、3人姉妹の末っ子という田舎での事情もあったし……いろんなことが嫌になっていたのです。ほとんど自暴自棄でした。

 夫婦が同じ目標を持ち、目指す生活の理想も同じだと、仲良く暮らせると思います。だけど、もともと違うところで育っているから、感覚が違ったりする。そういう些細な違いが気にならないほど、同じものを目指していたらいいのですけれど。

 

 離婚は悔やみませんが、子どもを育てられなかったことは最大の罪です。もちろん彼女が育てたほうが幸せになれるだろうと思ってそうしたのですが……彼女はフェミニストだったし、頑固だし強い人だったので……でも、それだけではないものが残ります。

 

 

          *                 * 

 

 離婚してから気づいたのだけれど、夫婦の社会的な側面は〈子育て〉です。もちろん子どもができない夫婦もいるし、あえて子どもを作らない夫婦もいるので、決めつけてはいけないと思います。でも、結婚制度は社会的にみると、子どもを育てる機能を持っている。社会的な役割というか……。それで政治的にも〈子どもを育てること〉が援助されている。いまは〈女性も働き、輝く社会〉とかいって、保育所の増設が叫ばれ、子育てが社会化されていく過程みたいです。これからは社会全体で子育てする、そんな風になるのだろうと思います。イスラエルのキブツみたいに共同保育が当たり前になり、家庭の機能は失われていくのでしょうか。リベラルが望む社会主義的な社会になっていくのでしょうか。

 

 でも、ぼくは家庭があり子どもを育てて……というのが好きです。

 そのために「もっと労働時間が短縮されないと……」と思っています。 

 なぜ、一日4時間労働にならないのだろう。

 そうすれば、半日働くだけだし、残りの半日は余裕を持って暮らせます。男も女も半日労働がいい。それが理想です。そうなれば余裕で子育てができるのです。

 

 いまは働き過ぎです。そんなに労働中心の生活をしたくない。ずっとそう思ってきました。生産性とか経済成長とかにこだわって、なんになるのでしょう。お金も貰えないサービス残業でくたくたになって、家庭のことなんかかまっていられないほど疲労して……そんなに働かないと、明日はみんな餓死する、ような日本になるでしょうか、そうはならないと思うのです。不景気にはなるかもしれないけれど、死んでしまうほどの貧しい社会にはならないでしょう。

 

 働き方の創意工夫が必要なんです。

 効率よく生産でき、楽に働ける方向に行ったほうがいいと思う。一日8時間も働いたら、自分の生活が圧迫されるのでは……人生を楽しめない。

 

 製造業では「時間短縮は無理」と考える人もいるだろうけれど、もっと自動化、ロボット化が進んでいくだろうし、ローテーションを組めば出来るでしょう。

 

 誰もが余裕がある暮らしになったほうが、社会にとってもいいはずです。 

 いつまでも、労働が〈奴隷の仕事〉であることを止めて、社会のために〈参加して働く仕事〉になればいいと思う。産業界の人にも、考え方を変えてほしい。

 

 それに、ベーシック・インカムが導入されれば、もっといい。それを切望しています。

 

 

          *                 * 

 

 でも、社会が変わらなければ、どうすればいいのでしょうか? 

 社会に頼っていられないので、自分で〈短縮労働〉をする人が増えていくだろうと思います。一時はフリーターとかニートと呼ばれたけれど、いまではそれで鍛えられた人たちが多くいると思うのです。

 どうせ非正規でしか働けないのであれば……自分の人生を、会社や社会に頼るのでなく……違った生き方を選んだほうがいい。

 生活に安定を求めたいのは誰でもそうですが、社会がそれを与えてくれないのであれば、求めないことを基本に生きたほうがいい。

 

 たとえば、田舎に住む。若ければやっていけます。働く場所は町にして、通えばいい。あるいは半年は町で働き、半年は田舎にする。古民家を買ってしまえば、家賃は一生いりません。田舎で食べるだけであれば、そんなにお金はかからないものです。そんな実践をしている人も多いみたいです。

 ぼくもそうしたかったのだけれど……その前に人生に絶望していたから挑戦する気持ちが起きませんでした。いまは老人だから、もうどこで暮らしても同じです。

 

 隙間産業じゃないけれど、人生も工夫次第で、自分が楽になるように生きていけるはず、と思うのです。

 

 

 

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「波の花」

 

吐く息は 

白い粒になって

風に消える

それを

誰かが

見ている

ごつごつとした岩場に

打ち寄せる

深い青と暗い緑の

波は

うねり

踊って

飛沫を上げ

岩を洗い

波の花を咲かせる

白い泡は

岩のあいだを漂い

ちぎれ

風に舞い

飛んで

風景に溶けて

見る者を

白く

染める

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。