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 日の記し   ★ヽ(´・ω・`)ノ 。・☆彡 ・☆

底辺で生きてきた67才で、もう老人なのですが、そこから見える風景とか、ふと思ったこと、検索してわかったことをメモして残します。仏教を生きる支えにしているので、もっと自由になれるでしょう。リンクを貼らせていただくサイトの方々に感謝しています。

理想の社会を願うのは誰もいっしょですが…… /

 

 おはようございます。

 寒い朝になりました。当分、この寒さは続くようです。でも、元気でやりましょう。

 

          *                 * 

 

 一昨日、沖縄で空中給油訓練をしていたオスプレイの羽が破損して海岸に不時着し大破しました。アメリカ軍兵士が骨折したのですが、死者が出なかっただけでも幸いでした。

 基地反対活動家はこの時とばかり、声を上げています。彼らにとっては良いタイミングで事故が起こってくれたので、チャンスなのです。

 やはり目指す利益が違うと、同じ事件でも違って見えるのです。

 

 ぼくは日本のなかに外国の軍隊が駐留しているのはおかしいと思っていますし、国の防衛は自国の軍隊でやるべきだと思っています。

 トランプが導くアメリカはいずれ海外に展開している軍隊を縮小していくでしょう。ですから将来には沖縄から米軍がいなくなる可能性もあります。

 

 いま反対派が基地撤去を叫ぶのは、別の目的があるはずです。 

 米軍基地を撤退させると、必ず中国が沖縄を取りに来るでしょう。それが中国の戦略だからです。沖縄独立を叫んでいる政治家は中国に占領してもらいたいのでしょう……

 ぼくは、沖縄県民に、中国に属したいのか、中国人になりたいのかを訊くべきだと思っています。庶民や、大衆がその国を作っているのですし、時代をつくるのもその庶民だと思うからです。庶民が何を望んでいるのかを中心に政治は為されるべきです。

 沖縄県民の8割の人が中国によい印象を持っていないというアンケートも見たことがあります。

http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/research/documents/h27report.pdf

           (『平成 27 年度 地域安全保障に関する県民意識調査』)

 けっきょくは、多くの人が望むように歴史は動いていきます。

 一部の指導者がいくら旗を振っても、その通りにはなりません。

 そのようになるのは、多くの人がそのようになることを望むからでしょう。

 

 

          *                 * 

 

  朝、ラジオ体操に行くために商店街を歩いていると、新聞を配っている女の人や男の人に会います。新聞配達の人ではなく、たぶん赤旗聖教新聞を配っている人だと思います。自転車の前かごに入れているぐらいの部数ぐらいしかないので。

 新聞配達の人らしくない感じですから党員の人が新聞を配っているんだろうな、と勝手にそう思っています。シャッターのところに差し入れているから、新聞の名前を確認したことはないのですけれど。

 

 こういう人たちが党の活動を熱心に支えているのです。

「がんばっているなあ」といつも思います。

 

 そんなふうに、普段見かける活動家の日常に感心するのとは別に、政治活動の様子をニュースなどで知ると、「ちょっと、ついていけないなあ」と思うことが多いのです。

 

 

           *                 * 

 

 

 

 最近まで無法なやり方で行われていた沖縄の高江のヘリパッド建設阻止闘争とか……

 中核派とかは隣の韓国の朴大統領弾劾デモに参加していたようです。 

(『前進』の文章なんか一般の人が読む機会もないと思うので、このサイトにリンクを貼らせていただきました。感謝します)

 

 やはり政治理念が先行しているので、他国の革命運動にも駆けつけなければ……と思ったのでしょう。けっこうお金がかかると思うのです。自費なのでしょうか。

 ぼくの経験からいえば、こういう活動は、党に組織された下部の党員によって支えられていると思うんです。理論を唱える幹部はいつも隠れた安全なところにいます。そしてブルジョアジーのような生活をしています。

 

 この動画では中核派の女性活動家の本音も表れているように見えます。

 

 難しいですよね……いわれているように、理想とする世界を作るための〈革命〉という行動と、日常の生活との果てしないギャップがあります。

 ぼくも若い頃に革命というロマンチシズムに酔った時代もあったのですが、観念的で独りよがりだと気づいて止めました。

 活動に疑問を持っても、いったん組織に所属するとやめられないのが人間であったりします。

 それでも多くの人が、正義を主張するとか体制に抗議することが、「けっきょくは自分のためだったのだ」と苦い気持とともにわかるのです。

 他人と共に生きるには、我慢することも必要なのだと。自分も他人も生かすためには……現実の悲惨や苦しみに耐えることはけっして消極的な生き方でもないのだ、と気づくのです。

 

 暴力では世界は変わりません。若い時はロマンチシズムに酔い、社会が一気に良くなるように願うので、耐えることに我慢できないのですが……

 けっきょく何もしていないようにみえる庶民が、時代や歴史を作っているのです。

 

 理想とするものを実現するために、他人を巻き込む。挫折すると他人のせいだと考えるようなやり方は、だめだと思います。

 孤独かもしれませんが、人は自分に与えられた人生を受け止め、自分で責任をとるべきです。

 自分のことは自分でしかわからないのですから……他人や社会のせいにしてはいけないのです。 自分が解放されるのは、自分がどう生きるかを考え続けることのような気がします。

 

 

 

 

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。