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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

人の考え方や性格の基にあるものは…… / 「夜の動物」

 

 おはようございます。

 朝の5時前です。まだ暗いけれど、天気予報によると、今日は快晴だということです。ラジオ体操が終わる頃には晴れて青い空になっているでしょう。

 

 昨日から「每日、なんでもないようなつぶやきを書こう」と決めたのですが、この下の文章は火曜日ぐらいに構想して前もって書いていたものです。だから、冗長で小難しい。それでも準備して書いたものだからそのまま載せますね。

 

「詩のようなもの」は、書けたら載せていくようにします。

 

 

          *                 * 

 

 ぼくは「自分なりの仏教徒」なんですが、こうなったのはどうしてなんだろうと思うことがあります。 人はどうして考え方=主義を持ったり、偏った性格になったりするんだろうと疑問に思ったのです。

 そして、自分の思想遍歴を書き出してみて、人生を振り返りたいと思いました。

 他人が何を考えていようと関係ない、興味が無いという人もいると思うのですが、聞いていただいたらうれしいです。

 

 

 誰でも自分の〈主義〉というか〈哲学〉を持っていると思います。その人の生き方や考え方。

 ある人にとっては「他人は利用するもの」だったり「自分が優先」だったりします。また「金がすべて」という人生観を持っている人もいます。

 もちろん多くの人が「みんなが仲良く生きていけたらいい」と考えたり「義理人情」を大事にする生き方をしています。 

 大多数は世間的な常識を信じる普通の人です。

 でも、エリート意識を持っていたり、党派に属していて普通の意識を超えたところに人生を賭ける人もいます。新興宗教を狂信している人もいます。苦難に直面していて不安で自分の人生を歩んでいる気がしない人もいるでしょう。

 

 人間って他人のことはわからないので、その人がなぜそんな考えをしたりするのか、なぜそんな性格なのかは傍で推測するしかありません。人は「自分はこんな考えを持っている」といちいち他人に説明したりしない。「自分はこんな人です」と自己紹介する人も稀です。いちいち説明していたら、こんな競争社会では相手に手の内を見せてしまうことになります。そうなると、他人とつきあう上で不利だからです。 おおっぴらな人は少ない。

 他人の考え方や人格や性格は、推測するしかありません。それで人間関係に誤解が生まれたりするのですが……

 

           *                   *

 

 人は自分のことはよくわかっていると思っているようです。

 なぜこう考えるのか、なぜこんな性格になったのかは自分がわかっていると思っている。人生の様々な場面で悩んだり、自問自答したりして、なんらかの形で進む道を選択してきたからです。

 

 じつは考え方も大きく変わるようです。ぼくは〈自分なりの仏教徒〉として仏教を生きる指針にしています。最終的に仏教にたどり着いたと思っています。

 その道筋をまとめてみました。

 

  • 16歳で工場で働き始めたのですが、夜勤をしていましたし、給料も低かった。たぶん1万4000円ぐらい。とても自分に未来があるように思えなかったのです。
  • 当時の流行のフーテンを週刊誌で知り、憧れて新宿へ行きました。それまでも家出を繰り返していたし、自由に生きたかったのです。フーテンは仕事もせず、社会に対して反抗的な態度を取っていました。それを美学としていましたし「かっこいい」と思っていました。
  • 日雇いの土方などして……返還された沖縄に行きました。違う所に行きたかった。沖縄は違う風土を持っていました。
  • 沖縄で釜ヶ崎共闘会議の人と出会って、いっしょに飯場で働いたり、共同生活をしました。マルクス主義の初歩を教えてもらいました。
  • 大阪に帰ってきて、新左翼の集会に参加しました。最終的に中核派のシンパになり、三里塚闘争の集会には1977~82年まで毎回参加しました。関学を出て障害児施設で働いていた女の子と結婚もしました。地域の市民運動にも参加したのですが、他人との関係がうまく行かなくなってきました。アルバイトとか結婚生活とか政治集会への参加とかで忙しくて疲れたのもあるし……中核派三里塚での青年行動隊との対立やセクト主義が嫌だったので、不信感を持ったのです。考え方や性格の行き違いでうまくいかず離婚しました。今だったら反省してわかるのですが、自分が正しいと思い、それに執着したのが軋轢の原因です。
  • ひとりになって、「どう生きたらいいのか、根本から考える必要がある」と思いました。キリスト教が救いになるかと思ったので教会の礼拝にも行きました。
  • 聖書を読んだり、図書館から借りてきた西洋哲学の解説書とか社会思想の変遷の本を読んだりしました。いろんな勉強をしました。西洋哲学、宗教、心理学、自己啓発本……「これで生きられる」というものを知りたかったのです。
  • キリスト教は「神の痛みの神学」。カール・バルト。文学ではロラン・バルト……この頃は難しい表現が知的だと思っていました。每日、本を読んで、ノートをとっていましたが……もう捨ててしまいました。物事を分析したり理解しても一向に自分の身についた生き方にならず、生きる自信も持てないことに気づいたからです。

 

 宝島社の本がわかりやすかった。 

  

イラスト西洋哲学史(上) (宝島社文庫)

イラスト西洋哲学史(上) (宝島社文庫)

 

 

  心理学の本などを読むうちに、西欧的な考え方では救われないのではないかと思うようになりました。考え方ではなく生き方の見本になるものが欲しかったのです。それで東洋思想を学ぼうと決心して、以前から好きだった老子や、仏教の解説書を読むようになったのです。

 

           *                   *

 

 いまは〈自分なりの仏教徒〉だと思っていますが、仏教は宗教ではなく生きるための哲学だと考えているので、信仰ではありません。それでも不安な時や寂しい時に、「ブッダが助けてくれるだろう、アドバイスしてくれる、いっしょにいて慰めてくれる」と思うと、気持ちが落ち着きます。人にとって信仰は大事だと思っています。

 

 けっきょく、人は〈頼りになる拠り所〉を求めるのだと思います。

 それは宗教とか、学問でも、政治信条でも、世間的な処世術でも、自己啓発でも、他人を愛することでも、恋愛でもかまわない気がします。自分が「これだ」と思うものを信じることができたらいい。仏教でいうように、人はいつも不安で煩悩の火で焼かれています。自分をわかって救ってくれるものがあれば安心して人生を任せられる。

 

 けっきょく〈安心して、生きられる〉ということを人は求めているのだと思います。

 人の考え方や性格は、そこから来ているのです。

 結論として……

 考え方や性格は表面的なものに過ぎないだろうと思います。そういう考えに至った深い理由があるはずです。それを理解するようにすれば他人のことも少しはわかるのではないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「夜の動物」

 

知らない動物が

テントを揺らす

ぼくが寝ているその顔の先に

鼻面を持ってきて

外から

嗅ぎ回っている

餌を探しているのか

寂しいから来てくれたのか

ぼくにはなにもない

ただ当てもなく

旅をしている

ここも

空っぽのテントに過ぎない

そんなことを考えて

じっとしていると

ああ

夜の獣の匂いを残して

行ってしまった

ぼくの夢の

苦しみを引き受けて

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。