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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

なぜいつも犠牲者がいるのか…… / 「廃屋の横で」

 

 おはようございます。

 今朝は寒いです。水道の水も冷たい。天気予報では午後に少し雨がふるそうです。

 

 

          *                 * 

 

  ぼくはひとりなので、抽象的なことを考え込んでいたりすることがあるのですが……

「この社会、世界はなぜ犠牲者を生み出すのか?」という疑問が頭を離れません。

 

 こんなことを考えることが間違っているかもしれませんが……

 

 自分が底辺で作業員とか派遣とかで働いてきたので、「こんなん、社会の犠牲者じゃん」という気持ちがあったからかもしれません。じっさい日雇い作業員とかは都合よく使われている存在なので、景気の悪いときには働くところを見つけることができませんでした。

 失業は資本主義では当たり前にあるのですが、誰の責任でもない。

 失業に陥るような働き方をしている労働者のほうが悪いのだと思えます。西成にいたあいだ、そう思っていました。

 

 

 犠牲者は「いつも必要とされている」と思っています。

 ぼくは共産主義の欺瞞というのを若い時に見たので、社会変革の運動に参加しようと思いませんが……左翼の人たちの話を聞いていると、労働者たちは政府や権力の犠牲者みたいです。でも、多くの人は、幸せに生きているように見えるので、労働者はすべて犠牲者という観念的な考え方は、違うだろうと思っています。

 

 

 3割の人が体制を支え、3割の人が反対し、3割の人が自分の利益を中心に考え行動し(だから世の中はいつも不安定です)、残った1割は社会の枠組みから外された(外れた)人だという考え。これは「3・3・3・1の法則」といって、昔、本で読んだので覚えているのですが……ネットで検索しても出てきません。あまり流布されていない考えのようです。ぼくは、この考え方に納得しているのですが。

 ぼくの考えでは、この1割が社会の犠牲者です。

 生きていくのに相当追い込まれた人たち。

 生きることに悲観せざるを得ない人たち。

 苛められる立場になった人たち。

 

 

 ぼくは自分なりの仏教徒なので、最終的な答えは仏教の教えにあると思っています。

すべては変わる=諸行無常

因果の法則を知ること=諸法無我

  それが認識できたら、欲を捨て、すべての執着を離れることの重要さがわかるはずです。でも人間は煩悩があるからなかなか捨てられない。

 それでも〈苦しみ〉の正体をお釈迦さんが明らかにしてくださったのだから、ずいぶんと生き易くなったはずです。

 でも仏教では救われないかもしれません。仏教は社会変革を打ち出していないからです。むしろ、自分を変える思想なので。

 ぼくの場合、個人的には仏教で救われたのですけれど。

 

 

 世の中はいつも混乱して人は闘争しています。

 戦争で死んだり、殺されたりするのは、苦しみです。

 自分を理解されず、無視されたり、非難されたり苛められるのも苦しみです。犠牲になるそういう人たちが、いつもいます。

 そして人を非難したり、苛めたりする人が必ずいるのです。

 

 

 個人的な困難に直面した時の解決法は何でしょうか……

〈信じるものに拠って、希望を持って元気に積極的に生きていく〉しかないでしょう。

 抽象的な答えになってしまいますが、具体的なことは様々なので、一概に「こうだ」といえないのです。

 

 気持の持ち方とか、心がいちばん大事だと思います。

 すべてはそれが基本ですから。

  

幸せ(しあわせ/幸福)のホームページ

を、時々見ているのですが、ここでの、

問題解決のヒントにも、シンプルな道筋が示されています。

 

 

          *                   *

 

 

 社会のシステムを変える方法、考え方も、様々にあると思います。

社会変革〉で検索してみましたが、これだというまとまりもないようです。

 

 宗教の世界も、金融の業界も、戦争論も地政学も、政治も、経済学も……次から次に新しい理論や考え方が出てきて、議論は活発になっているようなのですが……

 

 世界や社会がどう変わっていくかに興味があります。

 でも、共産主義という理想の幻想は34年前に崩壊しました。次に来る変革はまだやって来ません。

 少しでもそういう予感がしたなら、拙くても、そのことを書きたいです。

 

  図書館に、ぼくが興味を持っている経済評論家、三橋貴明さんの本を予約しました。読みましたら、また感想を書きます。予約がたくさん入っているので、ずいぶん先になるかもしれませんが。

 

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「廃屋の横で」

 

鈴虫だろうか

リーンリーンと

虫の声が

途切れることなく

闇に

響く

それは

永遠に続くようだ

秋も深まって

山は冷えている

吐く息が

白くなる

ここは

廃屋になったレストランの

駐車場の片隅で

忘れられたように

県道を通る車も少ない

ライトをつけた車が

テントを照らすと

草の

影が揺らぐ

ぼくは

虫たちの声に囲まれている

生き急いでいるような

哀しい

合唱みたいだ

こんな夜は

山の魂を持った動物が

やって来るような気がする

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。