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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

自分なりの経済学を勉強します / 「クスノキ」

 おはようございます。

 朝、5時過ぎです。雨はいまは止んでいるようです。昨日は一日中ずっと降っていました。台風16号の影響らしいです。みなさん、ご安全に、御無事でいてください。

 

 

 ぼくはこのブログを書くことですごく勉強になっていますし、支えられています。読んでくださってありがとうございます。すごく感謝しています。

 

 先週から〈自分なりの経済学〉を考えています。

 自分の身近な問題意識から考える「経済って何だ?」という疑問……ぼくの経験をお話します。

 16歳でプラスチック工場で働くようになって、まず考えたことは「人間は働いて給料を貰わなければ生きていけないようになっているのは、なぜなんだ」ということでした。経営者でない限り、誰もが労働者として雇われて会社の指示に従って働き、報酬としてお金を貰う。雇われないと生きていけないようになっている、ということです。

 ずっと格別好きでもない仕事をし続けないと生きていけないのが嫌でした。

 

 それで転職したり、家出、放浪したりを繰り返しました。

 学歴もないので「将来は暗い」「ずっと工場労働者は嫌だ」という思いでいっぱいでした。

 人並みに、考えたりしたのですが、どうしても明るい楽しい未来など来そうにない。それで30歳までに死ぬ予定でいたのです。世間は全共闘の闘争で混乱して、若者は三無世代と呼ばれ、フーテンが週刊誌を賑わし虚無的な心情が流行った時代でした。ぼくもいっぱしに新宿ヘ行き、睡眠薬などを飲んでラリったりしたのです。

 高田馬場や横浜の寿町で立ちん坊をしました。日雇い作業員です。

 旅をしたくて、日本中を目的もなく放浪しました。

 1972年の返還の後に沖縄に渡りました。

 沖縄では飯場に入り道路工事をしていました。

 

 でも、ぼくは労働者としては失格です。技術を学ぼうという気持がなかったのです。これで一生食っていきたいという仕事に巡り合わなかったというか、仕事をすることは単に「金を手に入れる」ことだとしか考えられませんでした。

 

 30代(1980年代)前半にも転職を繰り返してアルバイトをしたりしていました。ライン作業、プラスチック成形、ゴム工場、道路工事、道路の白線引き、建設作業員、弁当配達、駅の清掃、数え切れないほどの臨時の仕事をしました。その頃の日記は焼いてしまったのでもう思い出せません。

 

 それで失業を繰り返していたので、初めてベーシック・インカムという経済政策があるということを知った時に「救われた」ような気がしたのです。

 国が、「生まれてきたこと、生きることを保証してくれる」なら、安心です。失業して将来が不安で、死んでしまおうという気持ちにならなくて済みます。ベーシック・インカムは、べつにお金でなくてもかまわないのです。食べることと住むことの生存権が保証されればいいのです。どんな形でもいいので、失業で追い詰められて、将来を悲観して死にたい気持ちになる現状を変えて欲しいのです。

 

 社会の大半の人は、人生で一度も失業したことがない人たちだと思いますが、そういう人には底辺の気持はわからないと思います。これは恨みとか妬みでいっているのではなく、経験しないものはわからないという人間が持つ〈現実〉です。

 

 それでも社会には底辺層が存在するし、資本主義社会というのはそういう底辺を作り出して、それを極端に犠牲にすることで成り立つ〈見せしめ社会〉だと思うのです。

  誰かをイジメて惨めな姿が晒されれば、そうでない労働者は安心するし、そこに落ちる恐怖から逃れようとまともに働く……

 

 自分が勉強してきた限りでは「資本主義社会は差別や格差を拡大する、疎外された労働とイジメと、欲望の自己中心社会」と思っているので、ベーシック・インカムによって社会が変わることを切望しています。もちろん、資本主義社会の〈個人の自由〉とか〈人間は皆平等〉という理念は大賛成です。でも、建前でしかないことも多い。現実は、そんなに自由でも平等でもなく、もっと厳しいです。奴隷状態に置かれる人も多い。

 

 

 この社会がいう、人が豊かに生きるために「経済成長しなければならない」というのは嘘だと思います。

 経済を成長させるために、人は振り回され、時間に追われ、疲れ、精神的にますます貧しくなります。

 経済成長は一部の富裕層を作り出すだけです。その人たちは金を集め、投資し、また金を集める、マネーゲームをしているだけです。人間のために役に立っていない。

 この世界で身に余る金を手に入れることでなにができるのでしょうか。

 いくら美味しいものを食べても、每日だと飽きてしまいます。

 いくら大きな家に住んでも、掃除や維持に金がかかるだけです。

 いくら権力を持ち、人を動かしても、死ぬ時はひとりで死ななければなりません。

 

 人のできることは限られています。自分の体の範囲です。

 人の快楽は肉体由来のものです。食べる喜び……セックスする喜び……名誉や、権力を持ちたい承認欲……それを維持するための暴力を使う喜び……つまり、「自分は強いんだ」と思えることが心地好いのです。

 

 でも、愛されません。どんなに金を持っていても権力を持っていても、ひとりの人間に愛されるようにすることはできません。人はそれぞれ自由な心を持っているからです。

 お金はこの社会では最高の交換価値を持ちますが、人間性を作り出すことはできないと思うのです。

 

 

      *               *

 

 

 自分の体験を考えながら〈自分なりの経済学〉みたいなものがおぼろげながらも見えたらいいなと思っています。いつも最後はベーシック・インカムという救済策の結論を出してしまうのですが…… (^_^;)

 

 

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「クスノキ」

 

幹から大蛇のような

根が伸びている

クスノキよ

何百年もの風雪に

樹皮は

黒く堅く

枝はボディビルダーの腕のように

太い瘤になって

手を広げている

巨人だ

人を包み込む体

魂も大きいだろう

抱きついて

静かに

耳を澄ませば

地中から

水を吸い上げる音がする

クスノキよ

あなたは

ここに立って

世界が変わるのを見ていた

雪が降り

風が枝を揺すった

季節が通り過ぎ

光が射し

雲が流れた

漂泊するものよりも

たしかに

変化をとらえた

巨大な木よ

あなたに会って幸せだ

ぼくがいなくなった後も

ここに

あなたは立ち続け

風の唄を歌うだろう

 

 

  

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。