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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「現実はどうなのか」です / 「ブナの林を見に行く」

 おはようございます。今日から9月になりました。 

 台風が過ぎ去ったので、大阪はまた暑さが戻ってきたようです。また、図書館に避暑しなければなりません。

 

 昨日の夜はこの討論を見ていました。

 

 相変わらずネット保守的なコンテンツを視聴しているのですが……

 ぼくは政治を信用していませんが、右からの批判のほうが〈現実を捉えている〉と思っています。

〈現実はどうなのか〉ということが、すべての出発点だと思うのです。

 

 そういう意味で、左翼やリベラルの人は、自分の頭の中にある理想とか観念を現実に当てはめようとするので、現実をちゃんと認識できていません。ぼくが左翼の人を嫌いなのは「自分たちが正しい」と主張して、他の言うことを聞かないからです。他を拒絶するからです。

 集団的自衛権の法案の時も騒いでいたように、レッテルを貼って相手を貶めるやり方をするからです。

 

 なぜ、左翼やリベラルがそんなことをするかといえば、日本を解体して共産主義化して自分たちが独裁する国にしたいからです。そのために〈平和や、戦争反対や、民主主義や、共生社会〉などの綺麗な言葉をスローガンとして連呼します。内容を検証したり、討論するのではなく、その綺麗な言葉を連呼する自分に酔っているのです。平和を叫べば平和だと思っている……ただ、うるさいだけなのに。迷惑なだけなのに。

「それは民主的ではない」と相手を攻撃して、抵抗できないようにして、自分が主導権を握る人がいますよね。どんな職場にもそういう困った人がいると思います。

 彼らは、民主的なことなんかどうでもいいんです。彼らの隠された欲望は、自分が他人を支配して好き勝手にできることです。

 

 だから〈現実を検証しないで観念を優先する〉リベラルな人たちは、平和や民主主義も言葉でしか捉えていません。現実より自分の考えが大事なのです。

 

 平和とは、庶民の暮らしが壊されることなく、穏やかに暮らせることです。

 民主主義も「無理が通れば道理が引っ込む」みたいなことがないことです。

 

 彼らが平和とか民主主義という時は、相手を攻撃するために言葉を使っているだけなのです。戦争反対も、基地撤去もそうです。反対するのが目的なのです。

 たぶん左翼やリベラルは、自分たちの理想である、日本を民主的な共産主義の国にもしたくない。自分が独裁したいだけでしょう。

 

〈言っていることよりも、やっていること〉です。

 言葉よりも、その行動が招き寄せることが重要です。

 

 戦争反対と言って、戦争を仕掛けてくる国から防衛することに反対していたら……それは、相手に支配されろと言っていることです。

 左翼の人たちは、戦争を仕掛けてくる独裁の中共北朝鮮を批判しません。ミサイルが飛んできても、赤珊瑚を奪われても知らぬふりです。日本が戦争をしようとしていると日本だけを非難するのです。

 攻めこまれたら降伏しろ、服従しろ、殺されろ、ということを公言しています。戦争反対が正しいから、日本が滅びて無くなってもいい、という思想です。

 抵抗しなければ、チベットウイグル北朝鮮強制収容所のような悲惨なことが起ります。それがわかっているのでしょうか?

 左翼の人の言葉には現実が入っていないのです。たんに言葉の遊びです。

 

 そういう思想もいいのです。

 でも、「あなたはいいけれど、ぼくは嫌なので、自分だけで行って、他を巻き込まないでください」と言いたいです。

 

 ぼくは自分なりの仏教徒ですが……他人に仏教を勧めたりしません。ただ、自分の体験を語るだけです。他人のことは、その人が判断します。

 左翼の人は、他人を巻き込もうとして必死です。それって他人を利用していることではないのでしょうか。

 

 ぼくはネットで保守的なものを視聴していますが、現実がどうか、だけに注目しています。思想は右も左も変節するもので、命をかけるほどのものではない。他人をへこませるためにはよい論争手段ではありますが……

 

「いま、現実はどうなっているのか」を知ることだけが、正しいほうに行く道だと思うのです。

 空疎な観念優先の思想を大事にするよりも、現実にどうなっているか、です。現実をしっかり見るほうがはるかに意味があると思います。

 極端な政治の場面での選択よりも……人知れず苦労したり、心を痛めたりしている多くの庶民がいる、そのほうが〈現実〉です。漁場を奪われた漁民とか……原発事故によって故郷から追われた人たち。

 

 ぼくも部屋にいてネットを見ているだけなので、現実をわかっているとはいえないので……反省もするのですが……でも、もう老人だからいいか……と自分のことは甘く採点しています……  ^^;

 

  左翼とかリベラルの人が、あまりにも〈自分は正しい〉と信じ込んでいるので、そうではない現実のほうが真実なんだといいたかったので、書きました。思想や観念的理想は頭で作られた妄想でしかありません。現実だけが、現実です。なによりも、何が行われ、どうなっているか、知ることが大切です。観念的なものを現実に当てはめてはだめだと思うのです。

 

 

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「ブナの林を見に行く」

 

樹皮が割れて

黒いのは

なんの木なんだろう

枝は広がって

朝の光は

葉を透き通らせて

降り注いでくる

ここは

ぼくしかいない

穏やかな世界だ

ブナの林があるという

山腹に向かって

土留めの

木の階段を

登っていく

ホオノキ

この大きな葉でわかる

ぼくが知っている木は

ほんとうに少ない

子どもの頃は

ひとり

近所の池に

石を投げて遊んだり

原っぱで

蝶を追いかけた

それもいまは

幻のようだ

 

ブナの林を見ている

ブナの木に会っている

整然と植林されて

美しい公園のようだ

緑の葉から

朝の日差しが輝き

頬を撫ぜる

風が吹く

それでもあたりは

積もった枯れ葉の

匂いでいっぱいだ

人に育てられた

ブナの木は

静かに

立っている

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。