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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

自分の価値観を生きる / 「河原で」

 おはようございます。

 まだ熱気が残っています。生暖かい朝です。寝苦しかった……汗をかいて寝ていました。

 

 

  昨日のブログに書いたことは66年間生きてきた自分の実感です。底辺で生きて、人生で何の成果も作れなかったといえますが……社会はひとりの人間にとって、とても強固で壁のように立ちはだかります。もちろん、それを克服する道も用意されているわけですが、みんなが乗り越えられるわけではないので。

 

 日本のように自由で豊かな社会でも、階級的なものを感じてしまう底辺層というのはいます。資本主義で社会ができている以上、しかたのないシステムといえるかもしれません。図式的に捉えれば、上流階級、中流意識の中間層、底辺層と分けられるでしょう。みんないっしょの社会なんていうのは理想でしかないと思います。

 

 もともと、世界の歴史を見れば、奴隷を使っていた社会から、封建領主の農奴へ、資本主義の賃金奴隷にと変化してきたので、「人は人の下に人を作る」存在なのだと思っています。

 

 それで……「社会はそんなもんだ」と思っていたぼくがたどり着いたのは仏教の考え方です。

〈無常〉です。それが原理としてある。

 そう考えたら、すべてが腑に落ちたのです。世界とか、生きるということがわかりました。〈すべてが変わる〉こと、から始まっている。

 

 そういうとき、 

野垂れ死考 (1983年)

野垂れ死考 (1983年)

 

 という本などを読みました。他にも仏教の本を。

 

 いちばん納得できたのは、 

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

 

 です。この経済社会に「否!」という強さを感じました。この本を批判している文章もありましたが……

 

 もともと仏教界は、日本の国の知識階級なのですが……そこからはみ出し、民衆と生きたお坊さんがたくさんいます。その伝記などを読むと、共感します。

 

乞食桃水には感動しました。

柳河が生んだ桃水和尚

 

 みんな、自分が納得できる生き方をしたいんだな、と思います。

 ぼくの場合は〈自分なりの仏教徒〉ですが、それぞれが、死ぬときに「楽しかったなあ、これでいい」と思えたらいいのではないでしょうか。

 社会の価値観に従っていると振り回されるままなので、自分なりの価値観で生きていくほうがいいと思うのです。

 

 

  

 

 

 

  ……             ……              ……

 

 

   「河原で」

 

水音だけでいいのだ

草の匂いがあればいい

空に

鳥が舞って

鳴き声が響く

ここ

谷川の石に座って

目を閉じて

静かに待つ

感じる

それが

いい

すべて与えられ

満たされている

遠くまで来たが

ここでわかる

じっと

静かにすればいいのだ

鳥や鹿の

鳴き声が聞こえる

待っている

出会うもの

自分のなかにあったものだ

手を伸ばして

水をすくう

純粋なものが

手の中に残る

谷川に影が映る

魚や昆虫たち

鳥や花

草たち

夏の幻たち

それらは互いに

支えあって

世界を作っている

ぼくもここで

ひとりで

それに参加する

人の住むところを離れ

山のなかに来たが

ここは寂しくない

人がつくる

嫉妬や虐め

激情や支配

そんなものから遠く

離れて

ここにいる

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで平和でありますように。

 また、8日に。