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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

生き方を探していた昔  / 「砂丘」

 おはようございます。

 今朝は、そんなに蒸し暑くありません。曇り空です。ラジオでは雨と言っていたのですが……

  いま雨が降っています。

 相模原市の障害者施設で大量殺人事件が起こったようです。詳細はまだわかりません。15人が亡くなったとか……ご冥福をお祈りしています。

 

       *                   *

 

 

 最近は、昔ほど本から知識を得たいと思えなくなったのか、本を読まなくなりました。「知識は知識でしかない」と思っているせいもあります。

 文章ばかりの本や、考えなければならない本は、疲れてしまいます。図書館で本を選んでいるときに興味を惹かれても、ページをめくって文字ばかりだと敬遠してしまいます。最近は、軽いエッセイか、図鑑みたいなものがいい。旅の本もいいけれど、長いと読むのが辛くなる。

 

 

 ぼくがいちばん本を読んだのは、中核派をやめて、離婚もして、どう生きたらいいかわからなくなった32歳の時でした。このときは、アパートの部屋と図書館の往復だけしかしていなかった気がします。

 

 なぜ、どう生きたらわからない状態になったかというと、それまでの自分の気持では、新左翼の運動に人生をかけた気でいたからです。

 中卒で16歳で工場で働き始めてから、18~20歳はひとりで放浪していて、それから22歳で沖縄に行くまで、大阪で建設作業員とかアルバイトをしていました。ずっと底辺層だったし、そこから抜け出す方法も知りませんでした。

 沖縄では道路工事の飯場に入ることになるのですが、このときにいっしょに仕事をしていたのが、元弘前大学の学生で釜ヶ崎共闘会議の人でした。その頃、西成での活動ができなくなって、共闘会議の人が沖縄に流れてきていたのです。

 

 それで、マルクス主義の考え方を教えてもらいました。自分でも勉強しましたし……それで、大阪に帰ってから中核派のシンパになって、革命という理想を信じていたのです。

 いまでは観念的だったと気づいていますが、新左翼の運動も信じられなくなって、生き方を見失いどうすればいいかわかりませんでした。これからどう生きていけるのか悩みました。そういう悩みは、若い頃には誰にもあることだと、今では思っています。

 

 図書館に行き、生き方の本、とか、宗教、哲学の本などを手当たり次第に読んだのです。その時は必死でした。「人生とは何か」という根本的なことをわかれば、生きていけると思っていました。 

 宗教のことも考えました…… 

 けっきょく、哲学とか神学とかキリスト教は、自分には向いていない、とわかりました。それで〈初期仏教〉に戻ってくることになりました。 そのときから〈自分なりの仏教徒〉です。

 

 人生に迷うことはありますよね……いろいろ考えたり、正解を求めても、答えにたどり着けないし、安心できるようになるのは難しいです。安心できるのは宗教的な態度になったとき……仏教でもキリスト教でも他の宗教でもいいので〈自分より大いなる存在に守られている〉と思ったときだけです。

 ぼくは思うのですが……人間って、自我や、自分を越えたものに、愛されたい、包まれたいみたいなところがあるんだろうと思っています。 

 そういう意味では、社会に認められること=承認欲求みたいなものも、自分より大きな価値観から認められるという、代理的なことなのだろうと思ったりします。自分以外の大きなものから認められたい、というのは人の願いです。 

 

 いまは、ぼくは66歳になったので、もう求めるようなことはしませんけれど…… 

 

 それで、いま生き方に悩んだりしている若い人に、思っていることを伝えたいと考えたのです。(偉そうに上から目線で、すみません。m(_ _)m)

 

  若い時は、求め、答えを得ようとする、価値のある者になりたい願望が強いと思います。それはすごく大事なことです。そういう若者のエネルギーが社会を作ってきたんだろうと思うのです。

 でも、焦らないで。自分の持っている価値以上のものになりたい、と苛立たないでください。反動的に自暴自棄になったり、破壊的になったりするのはダメなことです。

 自然にしておけば、いつか解決します。
 苦しみはあってもいつかは越えられ、欲しいものは手に入れられる。ゆっくりと焦らず、自分を支えてほしいと思います。必ず答えは見つかります。あなたの味方になってくれる人は必ずいますので、それを信じてがんばってください。

 

  

 

(文章の途中から文字サイズが小さくなってしまいます。原因を探しているのですが……わかりませんでした)

 

 

 

 

 

  ……              ……              ……

 

    

   「砂丘」

 

砂の山が

丘のように盛り上がって

向うまで続いている

波打ち際までは

遠い

ギザギザの葉の草が

ところどころ

砂に

張りついている

どんなところにでも

命は芽吹く

砂に足を取られて

歩きにくい

ぼくは

これからどこへ行くか

考えるために

ここに来た

海の上に

入道雲が大きな腕を伸ばして

浮かんでいる

空の半分を

占める雲は

山のように連なって

空の色はどこまでも深く

青い

日陰もない

ここに座って

なにをするのか

はるか向うの岬は

蜃気楼のようにうっすらと

影になっている

シンプルな

砂と海の世界が広がる

ぼくの人生も

こうであればいい

なにもいらないのだ

砂と海と雲

それぞれがそのまま

そこにある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。