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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

言っていることよりも、やっていること / 「旅」

 おはようございます。

 朝方は涼しいので、少し窓を開けて寝ていると寒いなと感じてしまいます。人間ってわがままです。

 

 

 一昨日に電話で問い合わせたコマツ教習所から申請書類が届きました。仕事が早いと気持ちがいい。感謝しています。今朝、記入したものを投函します。

 

 

 自分の暮らしのなかで、具体的なこと、やっていることが大事だと思います。日常に、やっていること。行動とかしぐさ、です。

 頭で考えたことや、思想は、変質するので、ほんとうはそんなに大事なものではないのです。どんなに論理的で正確だとしても、妄想と変わらない。これは〈自分なりの仏教徒〉なので、そう思うのです。

 頭でこねくり回したものは、どんな正しいことであれ、妄想です。それが世の中の法則とか常識になっていても、人間の妄想でしかないんです。

 

 大事なのはその人が具体的に〈やっている〉ことです。なぜ、そんなことを思うかというと…… 沖縄の米軍基地反対闘争のことを考えていたからです。

 

 沖縄のキャンプ・シュワブや嘉手納基地や普天間基地のゲート前で、通勤してくるアメリカ人に抗議している人たちがいますよね。かれらは平和を叫んでいます。でも、やっていることは、〈抗議〉だといって、外国人を〈罵っている、脅している〉ことです。かれらの論理では、そういうことは正義なんでしょうけれど。

 平和とかいうけれど、〈抗議する自分〉が好きで、そういう活動をして〈興奮し、喜びを覚えている〉のでしょう。心理的にいうとストーカーとかクレイマーと同じです。建前的なことを話し、そのためにしているというけれど……具体的には〈抗議する自分が〉好きなのでしょう。叫んでいる自分が気持いい、相手をやりこめる自分の立場が好き、なんだと思います。

 

 正義を叫んだり、こうするべきだ、という人には、そんな人がたくさんいます。

 

 いま正義を叫んでいた人が、次には戦争を叫ぶかもしれません。

 叫ぶ人は、他人を巻き込むのが好きな人です。叫んでいる自分が好き、な人です。自己顕示欲が強い人に過ぎません。正義は関係ない。

 

 ほんとうに平和を望んでいる人は、静かに他人と協働するはずです。

 米軍基地をなくせ、というだけでなく、どうすれば米軍基地がなくなるのかを模索して、そのために努力するでしょう。

 相手を脅してやりこめるだけでは、ヤクザと同じです。

 

 

 

 昔、77年~82年にかけて、ぼくは中核派のシンパでした。集会に動員される兵隊だったのです。新左翼の理論を信じていましたし、〈革命〉を信じていた……底辺が、マルクス主義を学んだ末に、結論として選んだことでした。

 でも、三里塚闘争中核派セクト主義的な分派活動をしたので、止めました。ぼくらのような兵隊には教えずに、かってに幹部が運動方針を立て、結果は後で知らされる……それで、利用されているだけとわかったからです。組織というものに絶望しました。

 止めるときに「中核派暴力団も、やっていることは、縄張り争いで、同じやん」と、オルグの人にいって止めたんです。

 

 

 どんなに美しいことでも、正義でも、人間の妄想なんです。だから、妄想にもとづくことは、自己合理化して非常識になっても気づきません。

 

 暴力反対を叫ぶ人が、暴力で相手を叩きのめすのはおかしい。

 

 

 大事なことは、美しい言葉を言ったり信じたりすることではなく、どうすれば、その理想に近づけるか、具体的な行動をとることです。具体的なことしか、理想に近づく方法はないのですから。

 

 だから、ゴミが落ちていたら拾う、という行動をとれる人はすごい。

 家の前だけでもきれいに掃除をしている人はすごい。

 会社に通って、勤勉に働いて、家族を養っている人はすごい。尊敬に値します。

 口だけでなく、自分でそうする人はすごい。

 みんなにいいだろうことを、黙ってしている人はすごい。

 自分がすることで、周りの人を幸せにできる人はすごい。

 

 ちいさな具体的な行動でいいんです。それが世界を平和にしている。そしてそれはすごいことなのですが、すごく見えない、それでいいんです。

 

 ぼくも、アパートの二階のトイレを、朝、トイレットペーパーできれいに拭くようにしています。ダイソーで買ったクエン酸を使うだけで、嫌な匂いもなくなり清潔になります。時間も1分もかからない。もう3年も続けています。誰かがやらないと不潔なままです。みんなが気をつけて使えばいいのですが、個性も民族性も違うので、それができません。そうならないのも、いいのです。こうしなければならない、というのはおかしなことなので、ただ、気になる者が、きれいにすればいい。それで文句を言われたらやめますが……

 

 自分なりに、いいと思うことを続けることしか、善いことにつながることができないだろうと思っています。迷いながら……小さな日常的なことを続けていくことが、平和につながると思っています。

 

 理屈っぽくなってしまいました。すみません。m(_ _)m 

 

 

  

 

 

 

 

  ……              ……              ……

 

 

    「旅」

 

カエデのような木の葉が

手を広げて

谷川に

かぶさっている

澄んだ

ひんやりとした

風が

沢を渡る

見ているぼくは

やわらかな陽射しに包まれ

生き返ったようだ

新しく誕生した気分で

歩く

ずいぶんと

遠くまで来たが

まだ

自分がやることが

わからない

ひとりは寂しい

白い花をたくさんつけた木

みんな誰かを呼んでいる

鳥は枝に

虫は

花に集まっている

自然は

生きもののダンスのようだ

声と匂いと

ふれあいと

 

ぼくのなかに

ひとりの人がいて 

いつか

その人に

抱きしめられたい

と思う

 

 

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。

 また、25日にお会いします。