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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

老後の〈死ぬ〉という仕事  / 「歩く」

 おはようございます。

 昨日の夕方から雨が降り続いています。今朝はラジオ体操に行けません。ほとんど膝の痛みも治りかけているので残念です。

 それでもいいです、部屋の中でひとりでやります。

 

 ひとりでできることや、やれることは多いです。

 読書や音楽。楽器の練習や、映画を観ること。勉強や自分で考えること。人の方向をつくるものは、一人でやったことから始まるのかもしれません。

 でも、人間関係も大事なので、それも人生を方向づけるものでしょう。

 ぼくも、人づきあいは大切だと思っているのですが……もう66歳ですから……

 老後というより、死ぬことが仕事みたいなものかもしれません。

 いえ、これは、大げさに言ったり、びっくりさせようとしたり、露悪的なことでいっているんじゃなく、だいたい還暦を過ぎたら、人間、死ぬことを考えなくてはならない、老後もそのためにあるんだと思うのです。

 

 麻生さんが、講演で、「テレビで、90歳の人が老後のことをいっていて……いつまで生きるつもりだと思って見てました」といったことは正直な感想でしょう。揶揄するこめに言ったのではないと思います。麻生さんは「90歳になってもお金を溜めているんじゃない、もっと使ってよ」と、お金を回す意味でいったのですけれど。

 

 武田邦彦さんも「男は50過ぎたら生きてる意味はありません」と、よくいうのですが、それは、〈もう社会の仕事から下りる時期だから、それ以後は、他人のために貢献する生き方をしなさいよ、そうしないと虚しいよ〉という意味だそうです。

 

 

 考えというのは建前とか正しさでは、だめだと思うんです。多面的に考えないといけない。なにが正しいのかは、その人が持っている事情で違ってくるでしょうけど。

 

 生病老死、人生は苦です。

 生まれて、死んでいく。このことは誰も避けられません。

 そういう〈死ぬことは必然〉という視点から見ると、心の準備をしておくことが必要な気がするのです。

 できるだけいま生きているのが続いて欲しい。ずっと生きたい……というのが人間の切ない望みですが、〈みんな死ぬので……それが当たり前〉と考えたら、また違う生き方ができそうな気がします。

 

 最近、老人の介護疲れからの無理心中や、介護していた妻や夫を殺してしまう事件が多いです。辛いことです。

 もっと他人の助けを借りることが当たり前になればいい。そして〈他人を介護する、助ける〉なんて大げさに考えるのではなく、〈ちょっと助けになればいい〉ぐらいのつきあいが、当たり前になればいいと思います。

 いつかはみんな死んでしまうので、それまでは無事に楽しく生きられれば……と思います。あまり難しく考えても、しかたないような気がします。気楽に生きるのがいちばんです。

 

 

 

 

 

   ……               ……              ……

 

 

   「歩く」

 

杉の林から光が

斜めに降り注ぎ

霧のなかに

世界は浮き上がり

どこに誘われているのか

わからない

ぼくは

木の匂いや

草に包まれて

ひとり歩いている

葉から落ちる露

苔むした石に

導かれながら

どこまで行くのか

色あせた落ち葉や

木の根を突き破って

密生したシダ

お前たちは なにを考えている

教えてくれ

胞子を撒いて

誰を呼ぶのか

ぼくが歩くのは

なにかに辿り着くため

足の痛さや体の重さの

意味を知るためだ

自分以外の大きなものに

気づくように

 

峠へ向かう道は

坂になって

空へ伸び

林の奥へ消えている

その急になったあたりは

石を並べ

階段のようにしてある

誰かが

歩けるように

してくれている

土にきっちりと埋まった

湿った石よ

それがどれほどに暖かいか

その人に 

手を合わせて

祈る

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。