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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

沖縄のことがほんとうに心配です / 「山道で」

 おはようございます。

 昨日は一日ずっと雨が降っていて、うっとうしい天気でした。今朝も曇り空ですが、雨が上がって涼しいです。昨日はこんなことを考えていました。 

 

 参議院選挙の公示日が近づいて来て、この大阪の生野区でも政党の宣伝カーが回ってきます。共産党の車が目立ちます。生野区では共産党公明党が強い。それは在日韓国・朝鮮人が多いことと関係があるのでしょう。社会的な矛盾が目立つところでは、よいにつけ悪いにつけ政治の力が働くみたいです。

 

 ところで、

 こういう事情で公示日が決められたんですね。

 べつに反発しているんじゃないですけれど「へえ」って思ったのです……政治って、建前的なことが全面に出されるんだな、慰霊の日だから選挙の公示日にしてはいけないのか……6月5日の沖縄県議選では元米海兵隊軍属の女性暴行殺人事件があった影響で「オール沖縄会議」派が勝ちましたし、今日の日曜日には那覇で基地撤去の県民大会が開かれました。

 

 という記事で、客観的に見えますが、総合的な分析はなく、やはりひとつの〈左翼的〉視点から書かれているようです。〈基地撤去が正しい〉ことが前提になっていると思うのです。事件への怒りや悲しみはあるでしょうが……どういう現実があり事件が起きたのかという視点がない。基地があるから犯罪が起きるのじゃない気がするのです……どう考えても飛躍し過ぎだと思うのですが……沖縄にとってはそれが〈正しい〉という現実なのでしょう。

 飛躍しているというのは……軍属の〈犯罪という特殊な事項〉を、基地撤去という結論に導くために〈一般化〉しているからです。そんなことをしたら、子どもが万引きしたら、小学校を移転させなければなりません。そうすれば万引きの被害がなくなります。そういう論理です。

 

 ぼくは22~25歳の若い頃に沖縄に住み、嘉手納の第3ゲートの前の道路を作る作業員で暮らしたので、沖縄のことが懐かしいのです。いいところだという気持ちがあります。だから、沖縄県民がいつまでも左翼の反日的活動を許しているのにがっかりしています。もう反戦とか反基地運動の段階を超えています。

 

 中国が尖閣口永良部島の日本の領海を侵犯をしていて、沖縄の漁民も漁ができないような現状をどう考えているのでしょうか。県民の気持ちを知りたいです。

 このまま中国が工作し、日本に圧力をかけ続けると、沖縄独立派が勢いづき、結果、中国の影響が大きくなり、最後は中国領にされてしまうと思うのですが、それでいいと思っているのでしょうか? 日本よりも中国領のほうがいいのか?

 

 国防の問題もありますが、専門的なことなので素人では捉えきれないでしょう。

 政治も一般の人間が考えるより複雑怪奇な業界です。

 だから、それらに関わる専門家(活動家)が暗躍しているのですが……(ー_ー;)

 

 でも、ぼくは、最終的には、普通の人が〈普通に思う気持ち〉が、歴史を作っていくと考えています。

 

 ずっと、「米軍出て行け」とか「基地があるから平和じゃない」とか「沖縄は本土の犠牲になっている」みたいなことをいって、それが当たり前のようになると、そういうことが本当のような気持ちになります。

 現実のことを考えようとしないで、頭の中にある観念的な空想が現実のように思えるのです。観念的なことが現実より優先されてしまう、ほんとうのことを知ろうとしなくなる。ほんとうはどうだったのか、どうなのかを考えなくなるのです。

 

「基地のない平和な沖縄」も大事な思想ですが、現実としては基地反対の活動の結果、補助金を吊り上げてきた過去があるに過ぎません。そしてそれは巨大な利権になっているだけで、県民の生活を向上させ、幸せにすることに役立っていないのです。沖縄の高い失業率や、産業がなくて観光収入に頼らざるをえない現状を見れば明らかです。庶民の生活が充実していない現実が、いちばん〈平和で幸せじゃない〉ことでは……ないかと思うのです。復帰後、沖縄に渡った補助金は莫大なものです。また優遇措置もとられてきたのに、なぜ豊かになれないのでしょうか。

 

 これは2012年の記事ですが、それ以前から構造的な腐敗は指摘されていました。

 

 

 政治的な運動によるだけでは、庶民は置き去りにされ、犠牲になるだけです。

 

 それに、沖縄を心配していることは何回も書いてきたので、またか、と思われる方もおられると思います……m(_ _)m

 

 ぼくも米軍が日本に駐留している現実は嫌です。でも、思想的な極論を除外すれば……我慢できるか、できないかというレベルの生活の問題のようにも思えます。地位協定を改定し、話し合う体制をとり、環境を整えれば、外国人の犯罪も防ぐことができるはずです。庶民にとっては、〈政治の問題〉ではない、〈生活の問題〉だと思うのです。それなのに、あまりに米軍撤退すべしという政治問題にし過ぎのような気がします。そんなに米軍が諸悪の根源なのか……なくなれば平和なのか。

 

 沖縄から米軍がいなくなる未来もありえるのです。政治というのはどうなるか一寸先は闇なので……補助金に頼っている沖縄経済はどうするんでしょう? 補助金に頼らなくてもやっていけるというなら、すぐに返上するべきです。補助金はいらないから米軍は出て行け、というなら納得できる。補助金の返上はすぐにでも県議会で議決できることですから、それから始めるべきです。「米軍は出て行け」というが、補助金は欲しい、というのでは矛盾しているので、他を納得させることができません。

 

 また、米軍撤退を主張する人たちが、一足飛びに、政治的な理想が実現する、なんて考えているわけはないでしょう。本音を隠して、建前で庶民を動かそうとしているのです。極端に理想主義的なことを叫ぶ人は、間違っているか、本音を隠して、庶民を騙しているように思うのです。

 

「オール沖縄会議」の人たちは、日米安保に反対し米軍基地を撤去せよといいます。

 それで現実はどうなるのでしょうか? どういう未来を描いているのでしょうか? 中国と貿易して、豊かな経済を手に入れ、平和な島で、観光立国になる……

 それは空想的過ぎないかと思うのです。現実にどうなるのかを考えたほうがいいと思います。

 中国が「沖縄は中国に属していた」といい「日本から解放する」なんていっている以上、支配され、中国領になってしまうでしょう。沖縄は中国人の島になるでしょう。そしてチベットウイグルみたいに弾圧され、殺されるでしょう。

 

 中国は南シナ海東シナ海で周辺国に紛争を仕掛け、支配権を拡大する政策をとっています。これは、必ずその方向に行きます。独裁国で、自由な論議がないからです。

 ただ、周辺国を支配する前に内部崩壊すると予想はされていますが……

 

 いずれにしても沖縄県民がどう考えているか、なのです。

 あまり政治に対して危機感を持たずに、雰囲気に流されていると、左翼の工作活動に長けた連中の好き放題にされて、けっきょくは庶民が犠牲を払うことになってしまいます。それがほんとうに心配です。

 

 最近の沖縄の情勢が気になっているので、言わずもがなのことをいってしまいました。

 ぼくは青春時代を沖縄で過ごした思い出が忘れられません。沖縄はいいところだと思っています。ちょっと日本の文化とは違う風土がありますが……どんな未来も、選ぶのは庶民であり、沖縄県民です。ぼくは、日本といっしょに歩んでほしいと思っていますが……「自分たちは日本人ではない」というアイデンティティを持っておられるなら、それはそれでしかたないことだと思います。独立して、新たな道を模索されるのもいいのです。

 

 歴史的には沖縄は琉球王国でしたし、たしかに薩摩によって支配され、明治政府に琉球処分されたという事実があります。異民族と考えてもしかたがない。

 ただもう戦後75年も経っているので、戦前には差別されることがあったとか、戦争で捨て石にされた、復帰後も差別されたとかの〈被害者意識〉はもう克服して欲しいのです。そういわれると、日本人としては返事できない所へ追いつめられてしまいます。「お前が悪い」と責める人とつきあうのは困難な気がします。

 

 大事なことは、これからどういう未来を作れるのかということで、大切なことは相手を思いやる共感です。それがなく相手を責めるだけでは、いっしょに将来のことを考える展望は開けないでしょう。人間関係と同じことなのです。

 

 翁長知事になってから「お前が悪い」と日本を責める韓国のやり方を真似ている気がします。このままでは韓国のように中国になびいていくことになるでしょう。

 沖縄県民の本音が、マスコミからは伝わってきません。それが不安です。じっさいに政治というのはどう動いていくのか予測できませんが、ずっと〈日本の被害者〉であると主張し続けると、共感の体制を作れないのではないでしょうか。

 ぼくは漫然と沖縄にシンパシーを感じてきましたが、それを見直すことも必要な気がします。それでなければ関係を改善できないでしょう。

 

 

 

 

 

  ……              ……               ……

 

 

   「山道で」 

 

そうだ

それでいいのだ

立ち上がりゆっくりと歩き始める

左足が痛い

一歩踏み込むごとに 痛みが襲ってくる

これはくり返すだろう

そういうものだ

歩いているうちに治る

 

山道を歩いていた

林の奥から

日が斜めに入ってくる

名前の知らない下草が茂って

草や木の匂い

言い表せない感覚

山には気が充満している

虫が鳴いている

小さな虫にも命があるのだ

きのこが

湿った草に隠れている

ああ 木の匂いだ

樹皮が大きくめくれている

鈎の形で

熊の爪痕がある

甘い樹脂の香りが立つ

 

この林のなかでは

なめらかに空気は澄んでいる 

命の循環という言葉が浮かぶ

そうだ

すべては命の重なりなのだ

 

社会もそうなのだろうか

誰かを犠牲にしているのか

そんなことを思いながら

足を引きずって 歩く

この足が痛いのも

誰かの代わりとして

授けられたものかもしれない

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。