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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「教えて! goo」の質問の答えを読んで / 詩はこういうもの

 おはようございます。

 昨日は南から湿った空気を持った前線が北上したので、午後からは雨でした。今朝も曇り空です。

 それでも沖縄の最高気温は26度。北海道の札幌市は13度らしい。日本列島は長いです。東北はこれから桜が満開になる。(*^^*) 

 この季節、いつか桜前線を追いかけて旅をしたいです。

 

 

 パナマ文書をきっかけにして「この世界は不平等なのだ」と再認識されられたのですが……

 みんなはどう思っているんだろう、と考えて検索してみました。

oshiete.goo.ne.jp

というサイトを見ていました。

 たぶん質問者は若者で中学生ぐらいの年齢だと思うのですが(違ったらごめんなさい)、ぼくも若いときに「なぜなんだろう」「どうしてこうなんだろう」と考えることは多かったのです。

 

 つまり、世界の在り方の根拠を知りたい。「なぜ、こうでしかないのだろう? おかしいではないか」という疑問です。

 質問のように「なぜ不平等なのか」……なぜ、金持ちと貧乏人がいるのか? 飢える人がいるのになぜ、救けられないのか? 戦争をやめることはできないのか? 

 根本的な疑問はたくさんあります……

 

 多くの疑問は、大人になるにつれて「しかたない、考えても無駄」と思うようになり、暮らしに追われるなかで忘れてしまうものですが、時々「あの時は初心だったな……」という気持といっしょに懐かしく思い出されるのです。

 

 ぼくは35歳の時、トヨタ期間工でした。寮でテレビを見ていて「なぜ、俺がお前でないのか」と突っ込んでいました。画面に映る人とか、司会者がずいぶん幸せそうに見えたからです。嫉妬があったし、自分は不遇なのに……と不満の絶望的な気持でいっぱいでした。若かったのです。自分はもっと価値がある、なにかできるはず、こんなものじゃない……そう思っていたからです。それは自分を認めない世の中に対しての怒りのようなものでした。

 

 たぶん、質問者も、そういう違和感を世界に対して持っているんだと思うのです。

「世界はおかしい」という思いと「自分は何ができるのか?」という焦り。

 

     *          *           *

 

 答えは多くの人が書いていますが……みんな真面目で真剣です。それぞれの答えが、いろんな視点で見ることを教えてくれるので勉強になりました。

 

 No.16 、たぶん仏教を学んだ人からの答えだと思いますが「平等、不平等ということに執着するこだわりを捨て、現実の姿を見よ」ということでしょう。偏見を排除して見れば、違った様に見えるということだと思います。それで真実(?)に一歩近づく。

 

 No.44も感心した答えでした。「不平等」と思うことは「平等」で「こうあらねばならない」と思っているということ。なにかを中心的価値として、社会制度を構成している現実がある、と指摘しています。ぼくが共感したのは以下の言葉でした。

乗り越えていかなければならない問題として定義した結果だと思いますので、一つの進歩であり、現在、問題解決の途上にあるのだと思います。

 すべてが変わっていくということを認識したうえで前向きに生きようとしている言葉です。

 

 

 質問は一見、すごく初歩的なものに見えるけれど……深い、です。答える人たちも真面目に答えているので素敵です。

 

「人間はつねにみずから解決しうる問題のみを問題とする」(『経済学批判』序言)というマルクスの言葉があります。(若いときに熱心に読みました ^^;)

 それを、ぼくはこう解釈しています。……だから、問題だと思ったということは、答えがわかっているということだ……

 

 このスレッドでは、質問に対する回答がそうなっていると思います。

 ただ、現実は不平等だし、これを是正してゆくのは難しい。一人の個人では、負いきれない、できない。システム全体の構造的なものとして表れてきているんですから……

 ひとりの人間としてどう考えたらいいのか……それを見つけたいと思います。

 長くなったので、また明日続きを書きます。m(_ _)m

 

 

    ……         ……         ……

 

『詩の岸辺』の2章での言葉を引用します。

 

……詩は難解だとかわかりやすいだとか、そんなことは別に何もないんで、単にそれを読み、読者一人ひとりの好みや感性に基づいてそこから何かを受け取ればいいだけのことなのです。「わかる」必要などないのです。詩の読み方に正解・不正解なんてありません。(P45)

 う~ん、この言い方はわかるのですが……でもやっぱり難解な詩というのはありますね。難解で「お前にわかるか」と挑戦されているような。そういう詩は、理知的で知的な言葉を使っていたり、韜晦な表現であったりするので、つい、惹き込まれてしまうのです。感覚だけで判断したらいけないような気がして……

 引用した文章の意味は、抽象画を鑑賞するような、見方に近いのでしょうか。

 でも、ぼくなんかが考えることは、詩は言葉で描かれているから言葉こだわってしまって、さらっと感覚で受け止めるのが難しいなと思ってしまうのです。

 

 では、詩の言葉はなんの役に立つのでしょうか。実用的な視点でいえば、なんの役にも立ちません。言葉の最も大きな実用的機能は、いうまでもなくコミュニケーションです。なんらかのメッセージを伝達し、それが意味を伴って相手に届けばそこで言葉の役割は終ります。ただし、言葉の機能はそれだけではない。

 役に立つ、立たないということとは別に、人間に喜びをもたらす、あるいは悲しみや怒り、複雑な感情をかき立てるための言葉というものがあります。意味を伝達するだけではなく、言葉が人間の鑑賞に堪え得る、ある「美しい形態」をとってそこに存在し、紙の上に、記憶の中に、心のひだの間にとどまり続けるということがあるわけです。繰り返し眺めたり、読んだり、口ずさんだりすることで、そのときの年齢に応じて読者の心にさまざまなエモーションをかき立てる。そういった言葉こそが詩なのだと思います。(P46)

 

 これでだいぶわかってきました。

 美しく、記憶にとどまり、心を癒やす……そんな形になった言葉なんですね。

 この文章を読むと、詩人と読者との共同作業ということを思います。誰かの心に残る言葉、それは素敵です。

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。