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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

続・パナマ文書を考えて / 『詩の岸辺』の1章まとめ

 おはようございます。

 今朝、ラジオを聴いていたら山形県ではこれからが桜の見頃だそうです。

www.rurubu.com

 日本列島は南北に長い。桜前線は北に上がっていく。桜が満開になっているのを楽しめることはいいことです。

 

        *           *           *

 

 

 パナマ文書に関してまだ考えていますが……このメルマガの記事に納得しました。

www.mag2.com

 

  問題は、

世界中の大富豪や大企業・大銀行だけでなく麻薬密輸団やテロリストなどの国際犯罪組織などまでがタックスヘイヴンを使って資金を洗浄して脱税したり秘密送金したりして来た

  ことにあるわけです。

 合法とか違法でないということが問題じゃなくて、大企業や銀行が、社会的には悪と非難している犯罪者やテロリストと変わらないことをしている……それで「信用できなくなる」ことが問題なのです。犯罪組織やテロリスト組織とやることが同じなのですから。

 

 そうなると誰も「社会的正義」や「道義」や、いわゆる「ヒューマニズム」を信用しなくなります。ぼくなんかの底辺は、今回のこと以前に社会的落伍者の立場なので、建前的なものは信用してこなかったからいいのですが……

 

 世界の1%の資本主義の貴族たちが他の人達を奴隷とみなして、特権を行使しても文句を言わせないというシステム……でも、そこでみんな、働いていかねば生活できませんよね。逃れられません。

 

 ほんとうに、人間的な資本主義はないのか? と思います。

 封建主義を脱皮して「人間はみんな自由、平等」の理念で始まった資本主義には良い面もあるはずです。悪いところを非難するばかりでは、次のシステムを作れないのですが……

「強い奴はなにをやってもいいんだ」ということが、世界の常識ではいけないと思います。

 

 この記事の最後でムヒカさんのことが取り上げられていることが、資本主義の物質主義が行き詰まっている証明のように思いました。

 

 

 ところで欧州ではパナマ文書が衝撃を与えていて、政治家の去就が取り沙汰されていますが、アメリカではそうでもない。

www.newsweekjapan.jp

というのが、アメリカの現状だそうです。

 また、アメリカの富豪は盛んに寄付します。それをすると節税になるからです。また財団を作って財産を移し替えます。節税の方法がシステム化されているんですね。さすが剥き出しの資本主義によって世界を支配するだけの力を持った国なんだな、と思います。強いものに有利になるようにできている。

 

 日本では……外国子会社合算税制となっているので、脱税はできないということです。でもグレーの部分はあるのでしょうけれど。それは表面には出てこないでしょう。

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp

 

 5月にいま調査している「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」の報告がなされる予定になっています。それで闇の部分が暴かれ、少しでも改革できたらいいのですが……

 税金逃れが合法である、なんて、変です。庶民は税金に苦しめられているので、節税できるというだけで、優遇されている気がします。企業とか団体のことだから「お前らに関係ない」といわれたらそれまでですが。大きな強いものが優位に立っているのは、「違うだろう」という気持から逃れられません。

 

 

 

         ……           ……          ……

 

 

『詩の岸辺』を読んでいます。

 1章の「現代詩――その自由と困難」のP12で、

 というわけで、伝統の桎梏から解放されて何でも自由に語れるようになった、五七の音律の規範から解放され封建的なしがらみからも解放されて、何でも書けるようになったとしても、しかしそれがはたして良いことなのか悪いことなのか、これは一概には言えないことであるわけです。実はそのあたりに、今この現代詩というジャンルが陥っている困難と言いますか、袋小路みたいな状況がある。

といわれているわけですが、

……これは文学のパラドックスみたいなもので、何でもやっていいんだよというふうに言われると、じゃあ何をやっていいのかわからない、あるいは何をやってみても、単なる言葉の切れ端の無秩序な垂れ流しみたいなことでしかないというようなことになったりもするわけです。そこに非常な困難がある。(P13)

 この文章で言い表されています。

 自由であるためにテーマが見つからなくなった。心理や感情の垂れ流し的表現でいいのか……

 引用しているぼくには答えは見つからないのですが、この第1章ではこの後、ランボーがフランス詩の定型を壊したこと、それが詩の革命を起こしたことが述べられています。そして日本も近代化していくなかで、萩原朔太郎がフランス詩の影響を受けて、新しい詩の形を作ってゆくことになる。

 その後、西脇順三郎の詩も引用、分析されていて、日本の詩の歴史が語られます。

 

 西脇順三郎シュールレアリズムの詩論は、言葉の連結を自由にしたわけですが、それによって自由にはなったけれど、作者の主体性がためされる現代詩の困難を招き寄せた……

 P41の最後の部分でこう書かれています。

……まことに多種多様な試みがなされてきたわけです。今日お目にかけたほんのいくつかの詩を読んだだけでも、さまざまな話法、さまざまな語法、さまざまなイメージ形成の試みがあったことがおわかりいただけたのではないでしょうか。

   (中略)

 窮屈な形式の桎梏から解放され、言葉を自在に使うことの喜びというものが一方であり、またそれと同時に、それでは自分の詩は何によって詩として認められるのか。やっぱり五・七調で人々に口ずさんでもらえるような言葉の方が、詩として本物ではないのかというような自信喪失、疑いや不安にも絶えずつきまとわれている。

……

……

……結局何を書いても、単なる行分けの散文にしかならないんじゃないのかといった、陰鬱な徒労感と絶望感みたいものですね。ここ百年ほどの日本の現代詩の歴史とは、そういう「引き裂かれ」の歴史だったと言ってもいい。その「引き裂かれ」の中に日本の現代詩人の戦いはあり、その熾烈な戦いは今もって現代進行形で継続しているわけです。

 

 長い引用になってしまって恐縮なのですが、この結論に、講演のテーマが表れています。詩人というものはすごく言葉に対して繊細なんだな、ということを再認識させられました。

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。