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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

花のことから、昔のことを思い出して

 おはようございます。

 ラジオ体操に行くときに通る建物の玄関の木に白い花が咲いています。写真を撮ってきました。

 

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 この木です。

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 検索して調べてみたら白木蓮(ハクモクレン)のようです。すごくすっきりして、きれい。

『白木蓮と木蓮』 モクレンの色・花言葉・季節は? 恐竜も食べていた! | ナゼナニコミチ

 このサイトでいろんな知識を教えてもらいました。感謝です。

 

      *            *

 

 その横の喫茶店の鉢植えの実。

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 これは?

 調べてみたら……ナンテンじゃないかと思います。赤い実のつき方が。

ナンテン - Wikipedia

 間違っているかも……

 

 ぼくは植物とか木とか、花とかに縁がない。よく知らないんです。子どもの頃から、教えてくれる人がいなかったから……草原で遊んでいた。花を植えている家なんて、近所になかった。

 

 ひとりで原っぱで、トンボとかバッタをとっていた。夏の暑い頃の草いきれの感触を思い出します。(自分で書きながら、あやふやだったので調べました。草いきれ(くさいきれ)とは - コトバンク

 

 父親がダンプカーの運転手だったので、砂利置き場の横に建っていたトタン屋根のバラックに家族で住んでいた。父は器用で、何でもこしらえたし、家の修理もした。五右衛門風呂の釜をどこかからもらってきてセメントでかまどを作って、そこで火を焚いて湯をわかして入った。風呂に浮かべる木のすのこも作った。タンスも、木の冷蔵庫も作った。小屋の土壁が剥がれてくると、木の板を張った。なんでも出来たんです。

 

 貧乏だったから、自分で何でもしたのだと思う。

 母親はいつも口うるさく愚痴ばかり言っていて……それでも父は聞き流していて……ヒステリーがひどくなって、目が見えなくなった。それで養鶏場から鶏をもらってきて、さばいて栄養をつけたりしていた。

 

 母親はまだ長生きしているけれど……(田舎の育った家の土地を売ってお金をくれたのは感謝しています)……父は15年ぐらい前に亡くなった。

 もっと、話を聞いておけばよかった。

 家に寄りつかなかったからなあ……

 

 家族って大切なものだなと、年をとって、わかる。親孝行もしないで、自分が生きるだけでいっぱいだったから……

 やはり、まっとうな生き方をしたほうがいい。というか、社会の下層に落ちるような生き方はだめだと思う。自分の甘さもあるけれど、しかたなかったこともある。でも後悔とか反省はしています。

 

 いずれにしても、歳をとるとというか……過去はもう帰っては来ない。すでに終わったことなので。

 それに、ぼくだけじゃない。みんな言わないだけで、辛い過去はあるんだと思う。後悔することもあるんだと思う。

 

 

 昔のことはなるべく思い出さないほうがいいかも……こだわりだから。

 それよりも、いつかは「これをやるために生きてきた」みたいなことができたらいい。まだ希望は持っています。(^^;

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。