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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

苦しくても生きていくことを……

 おはようございます。

 昨日は一日中、雨が降っていました。それで物思いに耽ることが多かったのです。 

 

 中学三年生が私立受験の推薦が得られずに自殺したという痛ましい事件の報道は、テレビでは続いているのでしょうか?

 悼みたいと思います。ご冥福をお祈りします。

 

「教育の場で何をしているのか」という怒りでいっぱいになりました。子どもを追い詰めて殺してはダメだと思うのです。

 

 事件の経過はこのサイトで解説されています。

 

【広島中3自殺】報告書(2)担任は教室前の廊下で「万引がありますね」とA君に尋ねた 「あっ、はい」と応えた(1/4ページ) - 産経WEST

 

【広島中3自殺】報告書(3)完「どうせ言っても先生は聞いてくれない」…指導の「魂」が欠落していた(1/2ページ) - 産経WEST

 

担任に「受からないと言われた」…中3、両親に : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

        ……           ……

 

のような悲しいことがあったばっかりではないですか……

 

        ……           ……

 

 

  今までも教育現場では、教師の見てみないふりの結果、いじめ自殺が起きたりしていました。そういう事件は数え上げられないほど繰り返されています。そのたびに学校側が謝罪し、改善を約束する姿を見ていました。

 もちろん、教育する側だけの責任を追求する、だけに終わるのもなにか違う気がします。いじめの場合は、いじめをする者たちが学校で野放しになっていることが原因です。 

 はっきりいうと、先生がいじめに対して見て見ぬふりをして無責任に対応するので、生徒側と信頼関係が築けないことが問題の根本なのではないでしょうか。

 

 

 教育は必要なことなのですが……こんな現状では、ますます不登校の子どもが増えるでしょう。そして、それは被害を受ける者としては、正しいことなんだと、ぼくは思います。

 ぼくが子供時代の1960年代も、学校に来ない子はいました。社会の問題になっていなかっただけです。 

 いつの時代も、管理されるほうには、そこからはみ出す子、はじき出される子がいる。それは人間が集団で生活する以上、どうしようもないことなのです。

 それに学校というのは巨大な集団で、現状では、管理的教育でしか動いていません。それは改善される展望があるのでしょうか?

 

 ぼくは自分なりの仏教徒として以下のように考えます。 

 大事なのは、建前的な、どうすればよくなるかとか考えることではなくて、素直に現状を認め受け入れることです。

 現状では、落ちこぼれたり、差別的な取り扱いで集団からの落伍者にされる子どもは、無くすことができないでしょう。そういう管理的な教育制度になってしまっているからです。それならどうするか。

 

 掲示板では担任の教師の質を問う声があふれています。こういう情報は間違っている可能性もありますが、前からこういう指導が行われていたということなのかと考えてしまいます。

 まともなことが行われていたら、少なくとも今回の事件は起こらなかったと思うのです。

 管理的で支配的な教育方針が変わってくれたらいいのですが……そうはならないでしょう。何十年も、いじめや管理教育の弊害が叫ばれてきて……改善されていません。これからも改革されないでしょう。

 

 ですから、解決策としては……教師にも、子どもにも、両親にも、いまの教育現場はそういう場所であることを自覚してもらうしかありません。

 

 いじめはあるだろうし、追いつめられることもある。

 支配的な、強制的な教育のシステムで動いている……現状では。

 

 いじめとか、差別的な取り扱いが当たり前という自覚があってこそ、それに対処する心構えもできると思うのです。子どもたちはうすうすわかっていると思います。自覚していないのは、教育に夢を持っている先生方でしょう。

 

 ぼくは、

  • 教育はもっとオープンに、学年横断的に。
  • 複数担任制に。少人数制に。
  • 学習単位ではなく内容で。

などという解決策を夢見ますが……専門家でもないので、実現できる見込みはないだろうとも思います。

 いまの教育制度は受験制度に組み込まれているからです。学歴社会で、余裕が無いと思うのです。

 

 

 

        ……           ……

 

 落ちこぼれようが、教育を受けることができなかろうが、そういう子どもたちが元気で生きてゆける社会になればいい。

 

 そういう社会を大人が作ることだと思うのです。

 画一的な教育体制でなく、オープンな学校をもっと作る……

 そうすれば、教育現場で絶望して自殺に追い込まれるような悲しいことが起こらないようにできるのではないか……

 もっと自由に生きることができる、余裕を持った、選択できる社会が、できたらいいなと思うのです。   

……それをみんなが心にとめて、心だけでも自由にしておくこと…… 

「個人がどう生きるか」が、最終的に社会を変えていく、と思っているので。

 

         ……          ……

 

 すこし暗い視点で見過ぎなのかもしれません。

 しかし、教育現場でいじめが無くなったという噂はこれまで聞こえてきませんでした。今まで、子どもが死ぬたびに、学校側が同じような謝罪を繰り返しているような気がします。それで、改善されたのでしょうか? まして今回は教師が原因ではないですか。

 

  ぼくは仏教を生きる指針にしているので、専門的な教育現場の改革のことはわかりませんが……改善されないかぎり、いじめとかが当たり前にあるということを知っておくのが大事だと思うのです。大きな集団の組織を変えるのは難しいのです。ですから、こういうことが続くと思ったほうがいいのです。

 これまでのことを振り返ると変わることを期待しても無駄だと思います。

 それよりも、まず、緊急避難的に、個人が現実への見方を変えるしかないのではないでしょうか?

 

 生きることは苦しいことです。

 ぼくの子ども時代は社会全体が貧乏で、殺伐としていた部分もありました。それでもなんとか生きていかなければならないということを、教えられていた気がします。けっしていいことではないですが。

 いまは豊かで、自由に生きられると錯覚する時代です。その一方で、社会から弾かれたら落伍者になってしまう恐怖と不安に苛まれます。

 

 なによりも……「どんな苦しいことがあっても生きていくんだ」という覚悟をすることが大切だと思うのです。社会にそんな雰囲気があれば、子どもが犠牲になることもなかったかもしれないと思います。

 

 

 大雑把な考えかもしれません。

 しかし、あまりに怒りを感じたので、間違っているかもしれませんが書かせていただきました。m(_ _)m

 

 書いた文章を読み返してみたのですが、肩に力が入って、暗いし重いです。

 明日は、もっと軽く違う視点から思うことを書きます。

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが穏やかで、平和でありますように。