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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

すこしの幸せ / 中桐雅夫 田村隆一

 おはようございます。

 今朝は暖かったのですが明日は冷えるらしいのです。

 晴れは続くらしいけれど……

 

 ぼくは買い物をした時にノートに金額を書いておく簡単な家計簿をつけているのですが、1月の食費は6790円でした。

 これは、お正月に実家に帰った時に、帰りにレトルトのおかずとか、のりとかふりかけとか、りんごとかみかんを持たせてくれるから……それで今月、そんなにスーパーに買い物に行かなかったからです。

 レトルトのハンバーグと豚肉生姜焼きを食べたのは、1月30日でした。賞味期限が切れそうだったのです。1月は普段では食べないレトルト食品をおかずにするので、「ハンバーグってこんなに美味しかったんだ」と思ったりすることが多いです。

 

 食べたのはこれです。

www.youtube.com

 日本ハムが作っているんだけれど、 他のサイトで見たのですが268円もするんですね。高い……

 こういうのを「食べなさい」と持たせてくれる姉に感謝しています。

 普段は自分なりの鍋物か、タジン鍋で蒸すことしかしないので。

 だけど、味が濃厚で……添加物とかいっぱいだろうな、と思います。基本、加工食品はどのように調理されているのかわからない。とくに現代ではコストを安く抑えるためにどんなことをしているか不安です。

 目の前でさばいたり収穫したりしたものじゃない現代の加工食品は、ベルトコンベアーで機械が作り出すのだから、人間が関わるのは原料のところだけだ……それをちょっといじればコストが下げられるなら、そうするだろう。不特定多数が消費するもので、身近な人が食べるものじゃないし……これは、食品業界に不信感を持ち過ぎだろうか? でも、そう思ってしまう。

 子育て中のお母さんたちは、とくに添加物に気を使と思う。子どもに毒になるようなものなんか食べさせたくない。

 

 たぶん食品業界のそういうところは闇なんだろうと思う。このあいだのダイコーの廃棄されるべきものが出回ったのも、安さを追い求める所に原因がある。これは、食品生産者も、消費者も責任があるところかもしれない。

 でも、ぼくのような下層民は、安いほうがありがたいけれど……

 

 ぼくは自分なりの仏教徒だけれど、ベジタリアンじゃないので、鶏肉とかは、好きです。野菜を中心にして献立を作る。

 無農薬とかでないといけないと考えたり、過激なベジタリアンの食の原理主義みたいなものは、ちょっと極端な現象のような気がする。それも現実が渾沌としていることへのひとつの態度とは思うけれど。

 

 ここからは食品の問題からはすこし離れます……

 思うんだけれど……原理主義的みたいになるほど……純粋になって自分のなかで満足できたり、充実感みたいなものを感じたりすることがあるようなのです。

 人間は不思議です。

 断食とかすると気持ちよくなってくる。

 ぼくも昔、断食に挑戦したことがあります。三日目ぐらいになると食欲を感じなくなる。身体はふらふらするけれど気持はすっきりしている。食べたくなるのは危険かも……と、そう思ったので、徐々に食べるようにしました。

 

 なにかを排除すると、純粋になった気になるのが人間です。

 嫌なものを自分の周りから追い出すと、本来の自分が蘇った気になる。純粋になった自分に酔ってしまう……ひとつの美学です。たぶんシーシェパードのような過激な環境運動もそういうところから起こるんだろうと思う。許容できないものをやっつけることで満足感を得ているのだと思うのです。主義や思想の問題ならどこかで落ち着くところがあるはずなので、反対のものにも納得できると思うのですが、感情だからどうしようもないのでしょう。シーシェパードの場合は環境利権を求めているテロリストにしか過ぎないけれど……「過激である自分」が好きなんでしょう。

  

 間違っているんだろうか……

 お釈迦様は、〈極端なことは幸福をもたらさない、中道を行きなさい〉と教え諭しました。ぼくも中道で、適当でありたい。すこしの幸せでいい……と思うのです。

 

 

 

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中桐雅夫

中桐雅夫 - Wikipedia

 

声 「非戦」を読む/「一九四五年秋 Ⅰ」中桐雅夫

 

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富士山−言葉で描かれた「富士山」: 中桐雅夫

 

3.現代詩を解く | 海神現代詩集

 

『中桐雅夫詩集』を読む: 矮猫亭日乗II

 

 中桐雅夫を検索するとたくさんのサイトが出てくるのは、その詩に共感する人が多いからでしょう。

 解説から引用します。

パセチックなものを、どちらかといえば散文的な口調で、冷静に抑制しながら、低声で語るところに特徴があるだろう。いいかえれば〈荒地〉グループがその初期に好んだ限界状況的なものを、日常的な現実との関連のもとに、あるいはむしろ、日常的なものを主とした目だたないリズムにおいて、描くことを好んでいるようである。(略)日常性を通して社会性をながめ、更に可能な場合は形而上性を探ろうとする志向をもっているといっていいであろう。」(P136)

 

 詩の特徴をよく捉えています。日常の当たり前の感覚から物事をもう一度捉え直す、そういう詩人の態度が多くの読者に好まれているのでしょう。

 

 

 

田村隆一

田村隆一 - Wikipedia

 

田村隆一詩集

 このサイトではたくさんの田村隆一の詩が読めます。

 

blue / orange 田村隆一『毎朝 数千の天使を殺してから』

 

「午後三時の詩」「時が満つるまで」

 

田村隆一 : 現代詩文庫を読む

 読み応えのある田村隆一論です。

 

田村隆一(その詩行のかっこよさから語る)

 

田村隆一 ぼくの鎌倉百景 「野原の中には」 - 言葉のあや織り

 

[流体枷仔] 田村隆一『四千の日と夜』「幻を見る人」小考

 

田村隆一「命令形」について:命令と祈り: 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌

 

帰途(田村隆一) - 吊忍

 このサイトの方が言っていることに共感しました。

 

岡崎武志『人生散歩術』 第17回 田村隆一(1)

 

四千の日と夜 | Diaries of Klee Society

 

私の好きな詩: 田村隆一 「天使」

 

下水道と歌三線と横笛と:田村隆一『十月の詩』

 

 

 

田村隆一(文学者掃苔録)

 

北村太郎と田村隆一: かわうそ亭

 

asahi.com(朝日新聞社):よみがえる田村隆一 戦後詩リード、全集完結 - 文化トピックス - 文化

 

田村隆一 『腐敗性物質』 - TEXT

 

12月の詩の旅:木 田村隆一 | おや爺のブログ

  

ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 授業実践例 > 第一章 詩「木」田村隆一

 

http://genshiken.sakura.ne.jp/130316 田村隆一『四千の日と夜』と『言葉のない世界』を読む.pdf

 

詩人・田村隆一――小さいものに宿っている光をとらえる―― | My Works

 

荻野央の図書室 田村隆一の『腐敗性物質』

 

田村隆一 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日

 

追悼・田村隆一 - pesyanko

 

詩人・田村隆一「港のマリー」を書く | 「消えた横浜娼婦たち」の事情

 

セレーノな生活を夢見て 田村隆一詩集「四千の日と夜」より「遠い国」

 

詩人からの伝言 : Penny Lane

 

フロイト誕生日・詩の会ミーティング続き−−田村隆一の『腐刻画』 | 英国アート生活

 

» 『田村隆一全詩集』死よ、おごる勿──詩人が残したもの よろず粗忽堂

 

田村隆一詩集 感想 田村 隆一 - 読書メーター

 

[mixi]田村隆一さんのこと - 田村隆一 | mixiコミュニティ

 

「詩をよむ若き人々のために」 詩論「路上の鳩」より 田村隆一 - わたしの感情の歴史

 

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 田村隆一の詩についての分析や解説はたくさん出ているのでそれを読んで欲しいのですが、P143に書かれている清岡卓行の解説に納得するものがあったので引用します。この本は1969年の出版でその時点での解説です。後の田村隆一の詩が身辺雑記的色調を帯びることのずっとずっと前です。

 彼のある種の詩は、観念の空転を示し、それを支える対位法的なことばの音楽だけが奇妙な迫力を感じさせるようにも思われるが、この「一九四〇年代・夏」などには、適度に生臭い具体性があり、読み返すに足りる魅力がそなわっているだろう。

 それにしても彼は、状況設定のうまい詩人である。戦後もかなり経過して世の中が安定してくると、彼は中桐雅夫などの場合とはほぼ反対に、日常的な現実の中にきびしく悲劇的なものを見てとるようになる。そこにはかなりの工夫もあるように思われるが、彼はどこまでも独得な高い調子をつらぬくつもりでいるのかもしれない。

 

 こういう解説を読んだ後でも、ぼくは田村隆一吉本隆明の断定の仕方が好きです。すごく惹かれます。

 

 

            (リンクさせていただいたサイトの方に感謝しています m(_ _)m)

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 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。