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  66歳 日の記し /          ☆。(´・ω・`)/ 。゜★・ ☆彡

社会の底辺で生きて来て55歳で世間と断絶を決心してから独りです。寂しいのでブログを始めました。思うことなどを書きます……仏教を生きる指針にしているのでそれも。リンクを貼らせていただくサイトの方には感謝しています。m(_ _)m

「最悪な事態を予想して……」  心象風景について

 おはようございます。

 朝方はやっぱり冬だなと思います。寒いし……暖冬だったので油断していた……北海道の人に笑われるだろうけれど、ちょっと寒いのにも嫌だなと思ってしまう大阪人はへたれなんです。昔の時代の人からも弱虫だと思われるでしょう。

 

 ぼく自身は貧乏だけれど、いまの時代は豊かで便利だからその恩恵は受けていて……ボロボロのアパートの四畳半だけれどガスも電気も通っているので生活には困らない。窓から隙間風は入るけれど、昔、ホームセンターで安売りしていたこたつがある。ほとんど一日、パソコンの画面を見ながらこたつに入って過ごす、そんな生活をしています。

 こんな引きこもり生活は、現代でしか出来ないし特殊なんだろうなと思います。

 人が個人になってバラバラで、他人が何をしていても無関心な時代の典型かも。

 

 親が病死してもそのまま放置しているニュースが報道されたりするけれど、親の年金がなくなるから、死亡届けも出さないのか……

 老々介護していて、悲観して殺してしまったり。

 火事跡から見つかる人。殺人。

 事件はいっぱいあるし、現代を表しているともいえる。

 

 いつも思うんだけれど「最悪な事態を予想しておき、最良の行動をとれるように準備しておく」べきだと思うのです。

 

 人生では様々な問題が起こるから、どう生きていったらいいか常に考えておくべきなんだろうと思う。それができない状況もあるだろうけれど、問題は、自分に降りかかって来て問題になるのだから、予想とか想像しておく必要があると思う。

 

 現代のように変化が激しいと世間についていけなくなるのはわかるのです。でも、想像だけでいいのでシュミレーションはしておくべきです。

 ぼくのように長生きはしない、と決めていれば考えることもないけれど……人生はいつも生活をどうするか、っていう具体的なことだと思うんです。ぼくは屋根がある所に住んでいるホームレスみたいなものだから、いいのですが……(けっきょく、長年、底辺の生活をしてきて、いまが一番シンプルな生活で自立している、と思っている)

 

 ただニュースとかで知る事件は、なんとかできなかったのか、といつも思う。

 他人事のように批評するのは簡単なんですが……当事者がいちばん辛い思いをしていると思うので、そういうふうにならないように出来なかったのか、といつも考えるんです。

 

 個人主義の時代だから、誰も助けてくれない。

 自分で自分を助けないと……

 時代がいいとか悪いとかいっても、最後は自分がすることが自分の生活になる。破滅的になる前に助けを呼ぶべきなんです。自分で背負い込まないこと。いじめ自殺とか、殺されたりとか、そういう環境からは逃げ出す勇気を持つべきなんだ。自分で自分を助けるほうに行くべきなんだと思います。

 世間にはきっと助けてくれる人はいると思う。社会は残酷なシステムですけれど、セーフティネットもあるから助けを求めるべきだと思う。孤立がいちばんいけない。

 

 自分は独りで生きていることがいちばん楽だと思っているので、こんなことをいっているのは矛盾していますが……^^;

 

 

 

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 詩をどう書けばいいかを探求するために先達の詩人の詩を読んでいます。

 

 嵯峨信之の詩は心象風景を描いている、と思っています。

 先週読んだ「マー・ガンガー」は、現実に近いところに描写の位置取りをしているのですが、嵯峨信之の詩は自己の心象のほうに描写があります。 

 心に浮かんだ風景を描いていると思うのです。

心象風景 - Wikipedia

とは、こういうことだそうです。日常では意識しない無意識も含んだ世界なのです。

 

 トリビュート_____Zamboa

『嵯峨信之全詩集』を読む - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

 この詩はすごい!嵯峨信之作「小さな灯」|たましい的な日々~大切な出会いと出来事byアポロンカズヒ―

 私の好きな詩: 嵯峨信之 旅情

 欣也の柏探訪 -- No.93 嵯峨信之の詩

  嵯峨信之の詩: 下倉の穆園日記

 ヒロシマ神話 嵯峨 信之

 

 この昨日のサイトから、ぼくが心象風景だと感じたものを取り出してみます。

         ……        ……

 

〈しずかなしずかな瞼の中をどこまでも漂流していく/ぼくには遠ざかるものしか/まだ来ていない〉

 三連は全体が心象風景といえる。

〈もしぼくがその海を空樽のように漂流していたら〉(ノアの方舟

 

〈はてしれぬ宇宙を旅している地球が/しずかに傾きつつわたしの傍を通りすぎる〉

〈それは空のはてにある/白い都からだ〉(時という靴)

 

〈二つの夜が近づきまた離れるたびに/透明なそのあわいに姿をみせていたものがひとりまたひとり消えていった〉(犬二題)

 

〈もう何年も昔から/ぼくの小さな船着場にやつてくる舟はない/血の岸で草むらを小さな闇が囲み終わった/そこへ死は簡単にやってくる〉(入江のほとり)

 

〈そのとき小きざみに動くおたまじゃくしの黒い影は/誰かの記憶にあるぼくの遠い影だからだ〉

〈太陽と言葉との間に/ぼくは硝子の長い梯子を立てかける/どこまでもそれを登っていってぼくは夜を探すのだ〉(小さな位置)

 

〈空にゆれている大きな時の鐘を見たのだ〉(窓)

 

〈生きようとするものは/その透明な尾びれをしばらくふるわせるが/いつかそれも消えてしまう〉(雑草詩篇

 

〈心の空に/軽気球がぼんやり浮かんでいる〉(生々流転)

         ……        ……


〈二人は肩をならべて歩いている/だが明日はもうどちらかがこの世にいない〉(小さな灯)

 

         ……        ……

 

〈跡かたもないことが行われたようにしずかな砂地がつづく/しかしよく見ると砂の上に/かすかに翼の触れた跡が残っている/運命がまたしてもぼくのなかを通りぬけて行ったのだろう〉(櫂)

 

         ……        ……

 

ヒロシマ神話」には心象風景がありません。それはヒロシマの悲惨な出来事がすでに神話とよばれるほどになっているからです。心象風景を超えたものであるからと思います。

 

 以上、簡単ですがぼくが心象風景だろうと思ったものを引用しました。

 

 嵯峨信之詩集を読めば多くの詩が心象風景で成り立っているのがわかります。あまりにも作者の記憶や思いに近いところで言葉が発せられているために、風景は心象風景となる……

 言葉がどの位置から発せられるかは、詩人の個性によって違う。

 ぼくは嵯峨信之さんの詩が好きです。違う世界に連れて行ってくれるから。

 

 テーマやモチーフへの、作者の思いや記憶、こだわりがあるほど、詩の描写は心象に近づくのではないかと思います。

 現実をどのように描くのか――というふうに考えないで、心象風景を描写するのも有りなのだ、と思ったほうがいい。そのほうが詩の幅が広がるし、もっと自由になれそうです。

 

 また、明日に続きます。

 

………………     ………………     ………………     …………………

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。

 誰もが、穏やかで、平和でありますように。